カテゴリー「経済・政治・国際」の104件の記事

2012年5月 8日 (火)

ローカルとグローバルとファシズム

 どうも皆さんお久しぶりです。ブログも書かなければいけないと思っていたところにお師匠さんから「ローカリズム言論」をいただきネタができたので書き始めます。

 今自分は群馬県上野村に越してきたわけですが、本当にすばらしいところです。水道管が破裂すればご近所が駆けつけて壁まで壊して直してくださり、下界に出かけている間に大家さんが庭に畑を作ってくださり、そこにはお隣さんがジャガイモを植えてくださる。そして米を買いに行けば、タケノコご飯をもらってくるなど、あげたらきりがありません。

 確かに最寄りのコンビニまで30分、冬季には気温がマイナス10℃だったりと、自然環境は厳しいこともありますが、だからこそ春の喜びがわかったりします。

 自分はずっと科学(化学)系にいたわけですが、(かがり火 144号参照)自分が求める問い「人はどうやったら幸せに生きることができるか」には全く役に立たないというのが勉強すればするほどわかりました。確かに原子力発電所の仕組みやデジタル回路の制御などは理解できます。でもそれは村にいると本当に何の役にも立たないことを思い知らされます。

 上野村は下の村ではないので山の中です。そうすると外にいる人はのどかな山間の風景を思い浮かべると思いますが、確かに見た目にはそうです。でも実際には違います。上野村の春は短いので、草木は一生懸命花を咲かせ、蜂は花々を飛び回り蜜を集め、ありも食料を貯め、鳥はさえずり相手を探し繁殖するのに忙しい。村人も祭りや農作業などに忙しいのです。暇なのは畑の知識も野草の知識もないので何の役にも立たず、ただそれを見つめるしかできない自分と観光客くらいのものです。

 蜂などを見ると都会の人は危ないとも思われるかもしれませんが、この時期は蜜を集めることに忙しいので、人間と戯れるような暇な蜂はいません。刺されたとすればよほど人間の側がちょっかいを出したので、じゃまにされたからでしょう。

 上野村は国家戦略の中で、田舎=遅れたところとされてきました。実際、そう未だに思っているご年配も多い。でも実は逆です。上野村は最先端を守り抜いてきたのです。国家にあらがったからこそ、今、山歩きツアーなどができるのです。そういう先人たちの苦労に感謝し、活かされていることを実感します。

 国が田舎を遅れた所としようとしたのには訳があります。一部の権力者が完全に統治できる国家つまり中央集権国家を作るために、田舎から都市へ人を集める必要がありました。当然国に頼らなくてもそこだけで生活が完結してしまう田舎の存在は目障りです。国家の管理下にすべてを治めたいが故、田舎より都市の方がすばらしいという幻想を抱かせ、田舎を否定し続けてきました。

 そんな支配者たち思いが功を奏し、今は国に頼らなければ何もできないうんざりとした都市ばかりになってしまいました。自分は今まで下界にいたわけですが、知れば知るほどこのままでは「都市が崩壊する。共倒れになる」と感じ、たまたま知り合った上野村に避難してきたわけです。本当に上野村はいいところですが、それだけに都市との共倒れだけはなんとしても回避しなければなりません。

 一時期、お金さえあれば何でもできると言っていた人がテレビに良く出ていましたが、それは国家が通貨を保証するという前提に成り立っています。国家が破綻すれば通貨はただの紙切れでしかありません。そうなっても上野村を始め、過疎地は生きていけるでしょう。しかし国家はそれを許さない。自分たちだけが豊かに生きていることをメディアを駆使して、全力で否定してきます。田舎が遅れた所でそんなところに住むのは野蛮だぐらいのステレオタイプでは許さないでしょう。幸い上野村は内山節派が応援に来てくれるので、理論武装できるから対抗できますが、他の地域は自立できる能力があったのに共倒れにさせられる危険があります。

 本来はこういうことを食い止めるために政治家がいるはずなのですが、皆さん学校で優秀に勉強をされてきたので、国家の洗脳の延長線上にいます。日本で地域のことを考えていた政治家は田中角栄くらいのものでしょう。賛否両論あると思いますが、それだけの仕事をしたのですから、それなりの対価を受け取る権利はあると思います。群馬なんか4人も総理大臣がでているのに、高速道路にしても新幹線にしても新潟のおまけで通っているようなものです。政治家の皆さんが思っている俺が国家を良くすると言うことが幻想なのです。「俺が」と思っているといつの間にか権力者によって支配されてしまいます。

 実際、自分も専門家であれと教育されてきました。だから学位が大切だと思ってきました。大卒で終わってしまったことにコンプレックスがあります。これだけ内山先生の話を聞いていれば論文出して博士もらえるのではないかと思っていました。最近ようやく実はそれは本質からはずれていることに気がつかされました。博士を取ることが目的になってしまっていて、本当は師匠の話を聞いて自分が何を考え行動するかの方が大切なわけです。

 この(権力者の暴走の)流れにあらがうにはどうしたらいいのかずっと考えていました。お師匠さんの本や説法を直接伺いながら思うのは、抗ってはいけないのです。大切なのは違いを許容すること。相手と自分は違う。まして自然は思い通りにならない。自然を制御できないのと同じように、人間だって完全には統治できません。我々は常に関係性の中で活かされています。関係性を意識した社会においてはすべての答えがおのずから導かれます。

 上野村の財産は「人」である。本当に観光だけで帰ってしまう人がもったいないと思います。今のうちから関係性を結んでおかないと、共倒れになってしまいます。

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2011年9月29日 (木)

若者の立ち位置

第169回J.I.フォーラム「若者が実践し、考える『政治の中身』」を聞いて から続いています。皆さんのコメントが長くなったので、自分の意見とは分けました。

都会は死んだ魚のようなただ生きている人が多い気がして、どうもすきになれないから、上野村に住みたいと言っているわけですが、しかし絶対数が多ければ、他人からの刺激を受ける中で、感化されて優秀な人も多いと思います。それ故昨日フォーラムを聞きに行ったときは、自分と同じ、もしくは若い人が社会の中で活躍する姿を見て、地方にいる自分はおいて行かれた気がしていました。

確かに自分は内山節先生を始め、いろいろな方を追いかけてはいますが、実際に行動をしているわけではない。それに対して社会起業家としてフォーラムに呼ばれる同世代がいることもまた事実。逆に何もせずただ、日々を過ごしてしまっているもったいない人がいるのもまたしかり。少し我々若者が何をすべきか考えてみようと思います。

今までの世の中はアメリカ社会にあこがれをいだきいかに欧米化していくかがポイントだったように思います。

いくつか例を挙げれば、地方を切り捨て、都市が逆得れさえすればよいという幻想。

自分の現在の支払い能力を超える分はローンを組んで家を買う。典型的なアメリカ型の消費にあこがれた時代。

余剰に生産することにより支えられていた生活。

これがリーマンショック、原発のメルトダウンなどシステムの崩壊をまじまじと見せつけられた私たちはどうしたらいいのか。何もしなければ社会の大きな渦に飲み込まれて、そのまま流されてしまう。かといって目標もないまま移動することもできない。

我々若人にできることは、「行動」することだと思います。確かにローカルサミットのように行動的な大人たちもいるわけですが、私たち若者に許された特権若さをフルに使うべきです。若いと言うことはそれだけで許される失敗も多いです。しかし今高学歴になり、私も含めて行動よりも先に頭で考え、是非を判断してしまいます。リアルはバーチャルとは違いますし、シミュレーションはある仮定の範囲でしか成り立たないのですが、先日の内山先生の話にあるように専門家たちにいいように誘導されてきてしまいました。

最低限生活レベルを下げる必要があるのは間違いがありません。完全鎖国をしていた江戸時代には人口は今の半分程度。このレベルであれば今の食糧自給率であっても何とか生きていける範囲だと思います。だから人口が明日半分になればそれで済むかという議論ではありません。

何しろエネルギーはほとんど自給できていないので、エネルギーの自給率で言うとほとんどの日本人が日本に住むことができません。高学歴は幸いなことに原発足りないキャンペーンを見抜くだけの力を私たちに与えました。昔だったら東電の言いなりになっていたことでしょう。そしてこんな事故があっても原発の必要性を言い出す人が多いことでしょう。節電することで社会の余剰も見えてきました。これで生活が成り立つのですから。しかしまだまだ、自給するためには足りないのでより改善していく必要があります。

三人委員会哲学塾で昨年「世代交代」というテーマでやったときに、今のこの状況を引き起こしたのは大人たちであるのに、その責任も取らないままに世代交代されることに違和感を感じていたわけですが、今はそんなこと言っていても仕方ないところまで追い込まれてきました。何しろ現実の時間は動き続け、そして問題は山積みなのですから。いつまでも他人に責任を求めて待っているだけでは、何も状況は変わりません。負の遺産を我々が精算しなければ生きていけないのですから。

先輩方のアドバイスを伺いながらも、自分の道を歩いていくしかありません。夢がなければ行動につながらないわけですが、今の状況の中で夢を描けと言うのは酷なのかもしれません。そうであれば、せめて無事に生きていられることへの感謝をしていくしかありません。自分が不幸だと思っているかぎり、永遠に幸せにはなれないのですから。

何事も発言は自由なわけですが、それを行動に移さなければ実績になりません。若者に必要なのは実績をつけさせていただき、成長していくことなのですから。今後ローカルサミット ジュニアも開催されるようですので、自分も活動してお呼びがかかるようにしていきたいですね。

持続可能性が最近のテーマな訳ですが、持続可能とは何か難しい課題です。とりあえず長く続いてきたことは価値があるわけですが、時代とともに変化が必要。形を残すことが大切ではなく、その本質が大切なのですから。

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第169回J.I.フォーラム「若者が実践し、考える『政治の中身』」を聞いて

先日にっぽんので「上野村ナイト」でお会いした方にお誘いをいただきJ.I.フォーラムに行ってきました。いつものことですが、面倒だとか、お義理で出かけていることが多いのですが、そういう感情をすぐに改めさせられるいいイベントに参加させていただけること、感謝です。

内容とするとNPO、NGO、社会起業家を実践している自分と同じR25世代の講演会でした。

パネリストは以下の通りで、少し話の概略を書いておきます。(あくまで自分のメモなので、原文ママではありません。)

  • 五十嵐 立青(障がい者雇用農園、ごきげんファーム代表理事/つくば市議会議員)
  • 大野 更紗(難病患者、『困ってる人』作者)
  • 川添 高志(ワンコイン検診発案、ケアプロ(株)代表取締役)
  • 小沼 大地 (NPO法人クロスフィールズ 代表理事)
  • コーディネーター: 荻上チキ (シノドスweb編集長)

五十嵐さん(1978年生まれ)

農家は人手が足りない。障害者は働く場所がない。うまくつなげられないかと思った。企業には障害者の雇用義務があるが、雇用するよりまだ罰金を払う方がましだとほとんどの企業が護っていない。

自分もよく知らないので、まずは彼らがどのくらいのことができるかしめそうと思った。障害者と障害者でない人の違いは少ない。もしかしたら私だって該当するかもしれない。そして今障害者に与えられる仕事は障害者のレベルにあっていない。あなたは障害があるからトイレ掃除だけしていればいいという状態。賃金が安いばかりではなく、中には給料も払わず交通費も持ち出しで働かせてやる場を作ってやっているという会社もある。そういう状態でも働いているのが現状だ。

障害者の能力は高い。例えば自閉症の人なら同じ作業を私たちよりも早く黙々とできる。

政治家であればペナルティーを増やそうとする。そうではなく障害者がきちんと働けることを提案していく。新しい物を作らなくても、関係性をイノベーションして、ある物をつないでいく。

政治は劣化しているがそもそも制度の問題かを考えなければいけない。NPOに最低賃金を払う能力がなければやっても意味がないという人がいるが、それは間違いを生む。それは最低賃金を稼げない人は排除されてしまう。最低賃金を稼げる仕事ができない人は仕事をする場を失ってしまう。

社会的認知度を上げていく。一緒に働く人は生き甲斐を初めて感じた。毎日の食事がおいしく感じるようになった。毎日仕事をしたいといってくれる。しかし前後をきちんと比較しなければ意味がない。ただ、良くなっただけではなく、どういうときに機嫌が良くなったのかをきちんと聞く。どういう要素が障害を持つスタッフをご機嫌にするのかエビデンスを取る。

大野さん(1984年生まれ)

大学がある四谷は国内の難民支援NPOや弁護士がたくさんいる。そのような環境の中で自分も難民支援にあたっていた。そして自身が難病にかかり、日本国内で突然難民になる経験をした。一切の社会保障がなく愕然とした。

書籍を執筆し、言葉を扱う物として慎重に歴史的バックグラウンドをふまえながら話していこうと思う。戦後の日本に福祉はなかった。福祉とは人の生活を支えるシステムである。しかしほとんど動いていなかった。これを埋めていたのが、一つは企業の終身雇用。これによって保険などが安定的に供給された。そしてもう一つが家族。インフォーマルな福祉を担ってきた。しかし現在終身雇用は破綻し、家族の形態は多様化しているのに家族の姿として3丁目の夕日の世界をノスタルジー化してる。しかし今まで行政にニーズがあげられてこなくても機能していただけに、行政は機能不全。認知すらされない人が隙間に落ちている。

社会起業家やNPO,NGOがこういう問題を示すと言うことには意味がある。日本の問題は建前の問題じゃない。本音でそう思っていたらそんな行動はしない。とても先進国といえないレベル。障害者が地域で生きていくのは大変。そこから先に行けるかどうかが大変。問題は可視化した。日本は社会保障やNPO、NGOになれていない。一般的には断片的イメージしかない。すごくいい人たちというイメージばかりがあり、それが活動に制約をつける。

NPO,社会起業家が自分たちの能力をフルに発揮できない。社会の側がこうあるべきだと思う制約の中でやらなければならない。このイメージが変わらないと法整備につながらない。NPOごとに財務状況や人員が異なるが、NPO法で一律に財務の開示、定例の理事会を開くことは大変。一律にされることが足かせになる。公が最低限まかなうべき合意があった上でNPOは能力を発揮できる。

みなさん会社でメタボ検診を受けていると思うが、あれはアメリカっぽい。健康体という概念があってそこに持っていく物だと。たしかに予防医学は大切かもしれないけど、よけいなお世話だと思う。

専門家ですら自分の範囲のことしか知らない。全体を把握している人がいない。プロセスが重要。今までは専門家や業界の人が来て、省庁が音頭を取る。そうすると想定外の論点はでない。難題は誰を呼んだらいいかわからないから会議すら開けない。現場の声は反映されない。

昔は地元の資産家などお金持ちが福祉を担っていた。しかしお金持ちの気まぐれの福祉ではなく、流動的で変化する民間の中でどうするか。データーがあるから対策できる。心の問題だけでは、物理的問題は解決できない。

国は多元性を確保するのが仕事。

川添さん(1982年生まれ)

病気になってからではお金がかかる。保険証すら持っていないフリーターも多い。そこで保険証なし、5分で検査できるようにした。

最初は医師を雇用しようと思っていたが、そうするとどうしても数千円かかってしまう。それだと我々が対象としたいフリーターは1割も受診できなくなってしまう。そこで検査自体は自分でやってもらう。それならば医療行為ではないので、安く提供できる。検査をしてもらうと3割が異常値で即病院に行ってもらわなければならない。病院を紹介することは薬事法に係ってしまうので、例えば糖尿病が心配される場合には当該診療科を教えて、後はインターネットなどで自分で検索してもらう。

検査結果に基づいて生活管理の仕方を教え、定期的に検査するしPC、携帯で管理することで健康改善に努めてもらう。

小池さん

まだ、会社を立ち上げたばかりで実際の活動を行っているわけではない。私たちの世代はITバブルの崩壊や、阪神淡路大震災を経験し、社会的関心が強まっている世代。だからといって自分で会社を興して何かをしているわけではなく、一度組織に入って勉強しようとする。そうすると組織に染まってしまう。

行政や企業には優秀な人材がいる。そこで転職するのではなく、仕事にとどまりながら毛件を積んでもらうプログラムを考えた。そこで組織に属しながらNGOなどの活動を企業に研修の一環として売り込んでいる。しかしいいことだとは認識しても、他の企業がやっていないなら、新しいことを始めるには・・・とお断りを受ける。また社会に役に立っても自分の企業の何の役に立つのかといわれてしまう。

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2011年8月 8日 (月)

農文協 読者のつどい2011 【哲学講座】 第四講

近代世界の限界という意識があった。経済発展と雇用が比例関係にない。高度経済成長期は比例関係を感じられた。仕事が大変になれば人が増え、人々は余裕を持って有意義な環境の中で仕事ができた。今日だと非正規雇用や、正規雇用であっても大変。余裕を持って有意義な仕事などできない。

今農文協に入る学生の話を聞いた。おじいちゃんおばあちゃんの話を給料もらって聞けるなんてラッキーといっていっていた。実際にはそんな甘い物じゃないにしても、意識が変わった。昔なら農村を伝える、農村を良くしたいなど使命感でやってきた。

江戸時代は封建主義といわれるが、あれは使い方を間違っている。本来は封地主義。土地を持って生きる、つまりその土地に固定されると言うことだ。ずっと暗い弾圧をする社会ではない。

昔は農村は送れていたところだと思っていた。しかし今は地域文化もいっぱい持っているいいところと見られている。しかし実際にはそんなに地域文化が残っているところは少ないわけだが。

目標を決めて、突っ走る途上国型は日本には会わない。途上国社会がある訳じゃない。そういうイメージがあるだけ。原発が安全だと同じ。ゴールを目指して人々を一つの目標に向かわせるのは独裁社会といえる。独裁者が独裁した訳じゃないけれど、他の価値を認めないというのは独裁。東京タワーは一つの転換期だった。世界一へのあこがれ。中国の新幹線が模造といわれているけど、日本だってパリのエッフェル塔をまねして世界一の東京タワーを作った。しかし今は何ができても吸引力がない。 made in JAPAN にこだわっても仕方がない。今製造業はブランドは日本でも製造は海外でやっている。

よくフランスに行くわけだが、フランスで高級な日本食をごちそうになったことがある。カリフォルニア米はなかなかおいしい。でも違う水で作られた食べ物正確には主食は合わない。風土にあったものが食べたい。しかしチーズなどの嗜好品はまだ海外の物の方がおいしい。いいものを食べたい。こういう場合に分けた使い方が先進国的社会である。

しかし政治は途上国型をやり続けた。国民の支持を今では得られない。マスコミや有識者は絶えず、国の指導力が足りないと途上国型をあおる。時代錯誤甚だしい。

戦後一番の失敗は自分のために生きることを教えたこと。戦時下、他者のために生きることが国のために生きることに一本化された。国のために生きたら大変なことになった。そこで自分のために生きることになった。自分のために生きることは社会システムに取り込まれていくということ。他者のために生きると、具体的に何をしたらいいかがよくわかる。自分のために生きることを生産し始めた。すでに一番苦しい時期、みんなが一つの目標に向かって突っ走る時代は終わった。

国の力をどうやって小さく移行していけるか。力を持つのは下の人たち。市町村だって復興のやり方はたくさんある。今なら復興支援に協力してくれる人がたくさんいるだろうに、国の支援待ち。途上国型でずっとやってきたから直らない。

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農文協 読者のつどい2011 【哲学講座】 第二講

危機とはシステム崩壊のこと。地震は古代から生活や労働システムが壊される。これは今日も同じ。今回の震災で東京のシステム崩壊は若干起きて終わった。鉄道が止まる。電気が足りなくなる。帰宅難民が一日でた。

東京で起こる予想の地震では公共システムも崩壊する。情報システムも壊れる。すべては電力システムの崩壊から始まり連鎖していく。土がない世界ではお手洗いが大変。関西の時は水、食料は2~3日ですぐに届いた。つまり2~3日分備蓄しておけば間に合うことになる。お手洗いは大変。僕は上野村があるから何とか交通手段を見つけて脱出すれば問題ない。最悪直線距離で100kmくらいだから何日か歩けばつくだろう。でも高層マンションや都会の公園ではそうはいかない。

自然が支援装置になっている。村人たちも助けてくれる。共同体と自然が護ってくれる。この二つがない都会でシステムの連鎖崩壊が起こったら大変なことになる。

共同体は人とのつながりだけではなく、自然とのつながり、技術もあった。今の社会は専門家でないと対応ができない。今回想定外という言葉がよく使われた。原発は最大80年くらい修理しながらも使える。80年もあるのであれば、大地震や戦争だってあるかもしれない。想定があることでシステムが作られる。すべては想定に基づいてシステムが設計されている。年金がピンチになっているのはシステムが想定と会わなくなってきているから。今までは右肩上がりで経済成長し、こんなに未納者が多くなるとは思っていなかった。システム設計値を作り直さなければいけない。個人でも同じでこれだけの収入があるからということで住宅ローンをくむ。農家がトラクターを買うのにお金を借りるのも同じ。会社がつぶれたりすれば、想定が変わり、システムが破綻する。

システムはそういうモノだとはっきり見た方がいい。すべては想定が会っての話。巨大システムになると専門家でしか動かせない。普通の人が排除される。専門外の人が入れないシステムでは、普通の人は受益者になるか、被害者になるしかない。(この部分を改良したら良く育つなど)干渉して良くしていくことなどはできない。この構造自体が危険なシステム。専門家たちが軸になるということは、専門家の視点からモノを考えられない偏った人たちが集まると言うことになる。すばらしい知見を持った人ではない。そういう発想でしかものを見られない。専門家は絶えずその視点で見る。農民だって農業という専門家だが、そこには共同体や自然などが入るので視点が広がる。違う世界の人といかにつきあうかが大切。今だと農民だって消費者とつきあっている。狭い範囲で語ると同じ意見が出てきて、専門家の暴走を生む。

危険とはどういう概念なのか。放射能とか化学物質とか。世界が危険というのは動物実験をしてガンが出るなどの症状が現れたモノを危険としている。それでいいのか。埼玉大学の食品添加物の研究をしている人。最初に危ないと言ったのは豆腐に入っているやる。我々が小さいころは豆腐はすぐに腐ったので、鍋を持ってその日のうちに買いに行った。しかしそれが日持ちするようになった。厚生省に危険だと申し出た。マウスに供与すると高い確率で胃ガンが発生した。しかしなかなか取り入れてもらえなかった。なぜならば流通にとっては画期的なことだから。今まではおいておけなかったモノが、長期に陳列できるわけだから。その後これに変わる添加物が開発されたことで、禁止になる。胃ガンは国民病だと言われた。それが禁止にされて胃ガンの発生率は欧米並みになった。

しかしその先生はそれを危険とは言っていない。危険とは人間の予測できないものだ。ネズミが死ぬようなモノは超危険物質だ。腐敗は死にも至るわけだが、ずっとつきあってきた。五感でわかる。まず、酸っぱい臭いがして、色が変わる、それでも判断できなければちょっとなめてみればわかる。だから危険とは言わない。最近では賞味期限がついて判断できない人が出てきたので、それは危険。

専門家といってもある角度からの専門家。安全だと判断されていたモノも別の角度から見たら危険だということは多々ある。天然の放射線は絶えず浴びて、体は自動的に修復してきた。しかし人口のモノは相ではない。つきあってきた歴史があまりに短すぎる。つまり、すべて危険になる。

専門家しか若菜内のは非常に危険な世界。大きなシステムも同じで自分で判断できないのは危険な世界。今の巨大システムは一つのシステムが崩壊すると連鎖崩壊してしまう。国に頼っていると震災対応もあんなもん。東電から経産省、国へとあがってくるデーターを見てしか判断できないわけで、それが一つでもおかしくなればシステムが機能しなくなる。

東電は広告を打つ必要はない。なにしろ消費者は他の電力会社がいいと言っても選択肢はないのだから。年350億円も使っていた。ある種のマスコミ買収費。経済の専門家は東電自体の問題よりも、年350億円使われないことが問題だと言っている。

東電の講演会はお金をもらう方からしたらいい講演会。1回100万からランク付けされている。自分は自然の良さしか言わないでいい。何を言ってもかまわないが、原発にふれないでさえいれば100万円。こんなクリーンさを守れるのは原発しかないとして、原発のクリーンさを第2部として東電社員が話す。東電は送電線も作っていないし、電気料金も直接社員がはかりにくるわけじゃない。そういう工作ばかりを社員がやってきた。

関係を修復しながら生活できない場所を作った。30年は入れない土地を作った。原発は風評被害は存在しない。風評被害とは農文協の社員一人がけんかをした。これが全社員がけんかをしたとなること。しかし原発はどこまでが危険かわからない。危険値はかわり、今まで安全だと言われていた値だって我慢しようという値になってしまっている。

こういう世界で生きている人たちを守らなければいけない。僕は購入券だけ買えばいいと思っている。商品自体は交換しないけれど、受け取ったこととして代金を支払う。これで農家にお金が入る。漁民であれば、これしかとれなかったということであれば、3倍の値段で復興支援費をかねて払ってもいいと思う。しかし原子力の場合は汚染された可能性があるとすると食べたいと思わない。人間的な思い、支援ができない。

今までの延長線上では対応できない。残念ながら土地に戻るかということもある。今までなら残った人たちが戻り、新しい人を連れてきて、再興ができた。しかし原発地域ではそれができない。新しい関係を創造するしかない。新しい関係を創造するしかない。

土地を持たない市や町が発生した。台帳の上ではあるけれども、立ち入り禁止。バーチャルの市町村。ネットワークの都市。それであれば僕が作ってもいいのかという話になる。一時的に特例とするにしても、20~30年は長いし、そういう状態でいいのか。

住民票があっても、違う都市に住む不便。そうなると住民も減っていくだろう。最後に残るのはどうにも行きようのない人と最後まで粘る人だけだろう。もし人口がゼロになれば市町村は存在できない。そうなるとその土地は誰が管理するのか。近隣市町村との合併だろうか。初めてのケース。

バーチャル市でいいのか。一面では私たちもバーチャルの世界に生きているから問題にしている。原発あるのは知っていたけれど、あんな事故を起こすモノだとは思っていなかった。原発は遠いモノ。イメージの世界に生きていた。

欧米に追いつけ追い越せと言うのは途上国的思想。その当時日本は途上国だと思っていた。先を走っているなら追い越せとはならない。江戸期にはいい文化を持っていた。追いつけ追い越せというイメージを明治時代に作った。戦前の日本には列強に追いついたというイメージがあった。植民地とか。それが変わったのが関東大震災。今でこそきちんと並んで支援物資をもらい、暴動も起こらず偉いと賞賛されているが、関東大震災では略奪などがひどく、軍が戒厳令を出して巡回していた。

そこではいろいろな風評被害が流れた。例えば朝鮮人が井戸に毒を入れているといったものである。それをそのまま読売新聞が伝えてしまい朝鮮人大虐殺につながった。3000人くらいの。警察署に囲っていると聞いたら、警察署すらおそった。日本人がいつでも美徳を持っていた訳じゃない。列強に追いついたときにはそういうことをしている。

なぜ今暴動を起こさずにちゃんとやっていけるのかを考えてみたい。バブル以降我々の社会はどこかで間違ったのではないかという思いがあった。そういう動きが広まっている中で震災が起こったとすべきではないのか。100%システムに入っている人がシステムを作り直すのは難しい。一つの文化の中で暮らしている人から新しい文明が出てくることはなかった。新しい文明は常に文明の狭間にいた人。初めて機関車を見た人は驚嘆する。それが毎日見ている人には感動がない。驚嘆することが新しい文明を作る。旅に出ることや、都市と農村の交流、過去を知るなどによって新しい価値観を得る。

私たちの社会は境界線に向かって歩いていた。大きく歩く人もいれば、小さな一歩の人もいる。でも向かい始めていた。システムの中にいる人にはシステムを見直すことができない。消費社会を批判していても消費社会の中にいればそれに頼らざるを得ない。

原発は安全か安全でないのかの議論はしたくない。少々のトラブルはあっても安全だとなるとそれに反論が出てきて、無限の論争になってしまう。原発は最終的に止まるかもしれない。それは安全性の問題ではなく、コスト論で最終処分まで考えたら会わないからという可能性はある。

広島、長崎の被爆経験があるだけに、核の平和利用にはあこがれがあった。軍事はいけないが、平和利用はよい。政府に批判的な竹谷ですら原子力を推進していた。そういう時代だった。反政府的知識人ですら賛成していたのだ。

そういう歴史を経て、原発の事故を得た。こういう形で人々のと生活を、思いをつぶした。そういう形で社会を作ってはいけない。等身大の人間たちの営みの中で迂回路ができないなら、すべきではない。安全、安全でないから脱原発なのではない。今までは死を遠ざけていた。死を覚悟する、覚悟することが未来。そういう形でしかつかんでいけない。決して生きる世界だけ喜びを感じていた訳じゃない。そういうものをどこまで戻していけるか。いかに大きなシステムに依存せず、専門家しかわからない社会を終わりにしなければいけない。等身大の世界をどう取り戻すか。人々はそれに向けて歩み始めている。

数字しか見ていない人にはできない社会。定住とはその場所に住んでいることではなく、その土地に永遠性を感じること。そこに何世代も住んでいくことではない。今日の問題は異動先に永遠性を感じ得ないこと。移住自体は昔から行われてきた。お嫁さんは隣村からだったりするし。

新しい技術を使うときは、新しいモノにはすべてにリスクがあることを意識して作っていく。新しいモノ=バラ色の未来ではない。本来成熟した社会とはそういうモノ。これができたらバラ色は途上国型社会。

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2011年7月14日 (木)

群馬県知事選挙を終えて

パソコンが熱暴走して、ほとんど書き上がったところで落ちた。保存しようか面倒だからいいかと思うといつもこうなる。

群馬県知事選挙が終わった。思い起こせば始まりは3月11日の大震災の日。

3月11日新前橋駅前から前橋問屋町への引っ越しを手伝うだけのはずでした。縁とは不思議なモノで、パソコンのネットワーク構築をしていたのが、県議の政策資料を作るようになり、いつの間にか選対の広報担当になっていって。本当に大変な4ヶ月でした。

日本に変化が起こったあの日、揺れる中引っ越しをして、まさかあんな大惨事になっているとは。そして、何も変わらなかった群馬県。

少し、事務所時代を振り返りますが、本当に引っ越しがすきな事務所でした。自分は引っ越しを手伝いに来たわけですから、仕方がないことなのかもしれませんが、

  1. 大震災の中新前橋駅前から引っ越し
  2. 事務所開き集会のため、事務机撤去
  3. 机戻し
  4. 人員増加に伴う模様替え×5
  5. 出陣式のため事務机撤去
  6. 机戻し
  7. 選挙当日の会場作り
  8. 撤収

細かいモノを含めるともっとかもしれません。

いわゆる選挙屋さんが少ない事務所だったうえ、好き勝手に行動する勝手連的な組織だったので、後藤新を本当に好きな人の集まりの中で、和気藹々と仕事ができました。多くのボランティアの皆様にも支えられ、自分も事務所から一円もお金をもらっていませんし、何で手伝っていたのか不思議です。結局は大変だったけど自分も楽しんでいたということでしょうか。

そんな事務所が選挙ムードになってきたのは角倉邦良県議がきてからでしょうか。それと同時に自分の仕事も忙しさを増していきます。何しろ告示前までに選挙期間中に使う書類の準備し選挙管理委員会の承認を取らなければならない上、ホームページ、メルマガなども告示までしかできないため、正直オーバーワークだったと思います。

後藤新氏が外に出す資料はよりよいモノを出したいと、ギリギリまで差し替え指示がくるのも忙しさに拍車をかけた原因かもしれません。ついこの間まで身内だった県庁職員を批判する気も肩を持つつもりもありませんが、彼らにあのレベルの仕事を望むのは酷だと思います。やる気がない人は、みえだがやれば2,3日の仕事を1週間以上かけてやっている職員(だいたいは定時少し前にきて、定時で帰る職員ですね)と、そいつらがやらないから結局自分でやるしかなくなって人の何倍も働く優秀な職員(だいたい深夜まで残業している)の両極に偏った組織なのですから。余裕がなければクオリティーの高い仕事はできませんし、余裕のある人は優秀ではないのですから。(まあ、要領が悪くて残業している人もいますけど)

選挙のプロがほとんどいなかったにもかかわらず、事務所スタッフは良くやったと思います。自民党の選挙のプロたちが固めた現職の壁は厚かったということを実感します。政治・選挙は自分が今まで生きてきた世界とは違う世界だとつくづく思います。今まで政治に関心がなかったわけですが、自分が関わると立ち位置が変わります。

いつのまにか三十路に突入し、メールチェックもせず、内山節先生の講演会にも行かず、すべてをかけて戦ってきたわけですが、まさかあんな色ぼけ棒読み知事に負けるとは本当にやるせないです。県民が知らなかっただけで、県議の多くも知る事実。それでも県議のほとんどは現職支援についた。こういうことをするから政治不信になっていくんだと思います。

貴重な出会いに感謝申し上げます。ありがとうございました。

関連ニュース:【群馬県知事女性問題】大沢知事に抗議230件 「公舎に女性泊めるとは何事だ!」 - MSN産経ニュース 1人で35冊買い占めも 

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2011年6月13日 (月)

後藤新さんを応援しています

今の棒読み知事ではいけません。公開討論会でひたすら棒読みをする知事。あれなら誰でもいい話です。

みえだは後藤新さんを応援します。

http://gotoarata.com

http://aratan2011.blogspot.com/

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2011年2月 8日 (火)

電気のゴミ(放射性廃棄物)を考える

以前おじゃました2009/2/15 電気のゴミワークショップ以来2年ぶりの投稿です。先日twitterで「できない、無理だなど否定から話始める人がいるが否定からコミュニケーションは始まらない。否定し続けていたなら今のテクノロジーは何一つ存在していないのだから。これがあればもっとよくなる、そして未来も明るくなると思わなければ何も変わらない 」とつぶやいたばかりですが、果たしてこのままテクノロジーは進んでいいのかと考え直しています。

この記事の前提として資源エネルギー庁やNUMOなどの業界団体は原子力発電所で使用した後の、高レベル放射性廃棄物は地下深くに埋設しようとしている(地層処分)ということをご承知おきください。個人的には地層処分というのは本当にいい方法なんだろうかという疑問の方が大きいです。

地球誕生46億年のうち、人類は猿人から考えても1千万年程度何億年も地下は変化せず処分地としてすばらしいのではなく、何億年もかけて地球が護ってきた物を我々が壊していいのか。たかだか1万年程度しか生きていない現人類が、10万年先の議論をすること自体が間違っているのではないか。それこそ後生に付けを残すことなのではないか。
たしかに向こう100年くらいの付けは消えるかもしれませんが、もっと重大な悪なのではないかと思えてなりません。

私たちのテクノロジーが未熟であるがために、地球を酷使していると最近は考えています。実際には河原にある石すらただ存在しているのではなく、何かの意味を持っているかもしれません。しかしそれは私たちにはただの石にしか感じないので乱雑に扱える。ヘンゼルとグレーテルの置き石のように意味があったかもしれませんが、それを知らなければじゃまだと捨ててしまうかもしれません。

私たちに残された猶予は六ヶ所村や原発での貯蔵が限界になるあと30年程度。この間にもっと画期的に処理が進まなければいけないでしょう。東京は最終処分を埋め立てに頼っているので、結局は埋め立てる土地を外部に探してきて、田舎を犠牲にすれば都市が存在できるという考えになりがちです。その埋め立て地ではダイオキシンや、悪臭、その他有害物質による土壌汚染などが深刻です。既存の施設を掘り起こし、こういうことをちゃんと処理していく方が後生のためになるのではないでしょうか。

リサイクルには製造するよりエネルギーがかかるというのが基本だと思います。エネルギーを使わずただそこにおいておくだけで、地球が後は処理してくれるのを待つというのには、人類は増えすぎました。

電気のゴミに関していえば、中性子線などを外部から当てて再度核分裂なり、核融合してしまえば、放射性廃棄物ではなくなります。こういう技術開発は必要だと思うんですが、いかがでしょうか。

さらにこういう問題では必ず出てくるのが、地元との関係。だいたいの方は良好な関係を気づいて、地域の文化活動にも貢献しているという。ちょっと待っていただきたい。確かにお金も人材も提供していただいているし、新しい風が入ったことにより伝統が再度掘り起こされる側面は確かにある。ただ、本質的なことを見逃している気がする。そしてそれに気づいた人は悪意ある反対者として阻害されてしまう。何しろ理論武装をちゃんとしていないから。

それは国がやる事業なんだから、頭のいい人たちが徹底的に考えたシナリオなので、それを覆すことは難しい。だんだんに地元住民に近づき、洗脳もされていくし。本来学者の役割は国とは遠いところでNOと言える人が必要なのだが、最近の学者はすっかり御用学者になっているので、国の方針を支持するためのデーターを出す。

権力あればかみつく自分のような人は少ない今、小泉竹中時代の劇場型国会を経てぼろぼろになった日本はどうやって進んでいったらいいのだろうか。

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2010年9月13日 (月)

第3回新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム 2日目

では、夜食の買い出しを終え、リラックスしてので、また気合いを入れて書き始めます。それぞれの分科会からの報告がありました。ちなみに自分は第六分科会で師匠の内山先生とご一緒したのでそちらは少し詳しくかけるかもしれません。

司会:山梨県庁 手塚氏、水産庁 長野氏

第一分科会 「草木染め」より報告
 子供たちと一緒に植物をとってきたのが始まり。仕事をやめた後も続けた。上野村ならではの近所づきあいがある。それから村の昔を知るようになった。上繭は(川を降りた先の)藤岡に売る。中以下は座繰り(糸を紡ぐ機械)して、平織りにした。その当時の座布団を今でも使っている。縦糸はぼろ糸、横糸はぼろ布をほどいて座布団を作った。玉繭のように2つつながってしまった物は、真綿にした。昔は染め物は藤岡で都染めといって化学染料を使って染めていた。最初は都染めをやっていたが、上流に住んでいるわけだから、川を汚してはいけないと焙煎液はすべて自然から抽出した物を使っている。草木染めの欠点。それは手間がかかること。それに植物が花が満開など一番いいときに使ってしまうことに心が痛む。命をもらって染めている。しかし、この欠点が未来につながる技だと思う。自然を楽しみ受け入れていくことが大切。

手塚氏:自分も絹織物に関わっていたことがある。手作業なので、どうしてもほつれや、色むらなどができる。大手百貨店に売り込んだときに、当時は欠陥率3%以内で納めろと言われた。製品の品質に問題というわけではなく、見た目によくない部位がどうしても10%位でてしまう。そんなわけでバイヤーにはじかれていたが、今はそういうのが趣があっていいと向こうから行ってくる。時代が変わった。

第二分科会 「竹細工」より報告
 3~4年目の竹がいい。強度が出てくる。1年目では若すぎる。そこが木工とは違う。木工だと30~40年くらい木が育つのにかかる。壊れても土に帰るのが自然からできた物の良さ。
 竹細工は竹を割くのが難しい。編むのは簡単。割くのに10年かかる。
 暮らしの中で使ってもらうことで技を残す。焼き物は90%近く国産と多いが、竹細工は少ない。ほとんどが外材。外材は壊れやすく、もろい、さらに水にも弱いという欠点がある。100円均一で使い捨てにするより、本当は長い目で見れば全然安い。
 ただ、若い人は食器の使い方すら知らない。今は使い捨てだし、よいのがわかっても使い続けていける自身がない。竹は一度ぬらしたら乾かさなければいけない。そうしなければ腐ってしまうことは昔は誰でも知っていた。しかし今の人はそういうことすら知らない。10年修行に耐えられる人も少なくなった。昔は男が習いに来ることが多かったが、今は女が多くなっている。
 経済効率は悪い。大量消費によって成り立つ。そういうことも考え直した方がいい。

第三分科会 「木工」より報告
 作ることもさることながら、売ることが大切。消費者の嗜好が多様化している。技が確かだから説明ができる。機械でできる仕事はしない。道具から自作している。木は一つ一つ生きているし、一つ一つ違う。
 経済的に豊かに暮らしていけなくても、明るく暮らしていければ、上野村に残るのではないか。昔は職人に弟子入りする人がいた。給料ももらわず技を盗んで独立する。

第四分科会 「狩猟」より報告
 熊取物語は人には伝えられないので省略する。昔熊は2~3年に1頭とれればよかった物が最近はよくとれる。1シーズン2頭なんてこともある。熊が里で歩いているのを見た。ハンターが少なくなっている。(これだけ見ているのに、)政府発表では熊が増えていないという。
 ハンターが少なくなる原因として、さらに銃規制が厳しくなる。犯罪があるとひとくくりに、規制されてしまう。そうすると地域の問題に対処できなくなる。そのうち1頭いくらとか補助金がつくようになるのではないか。

第五分科会 「和蜂 養蜂」より報告
上野村ではほとんど買う人がいない。しかし伝染病なども少ないから、飼いやすい。ただし、人工的に分家できないので、増やすのが大変な上、西洋ミツバチより小さいから蜜のとれる量も少ない。

第六分科会 「山仕事」より(これは報告に従わず、みえだメモです。)
 自分は頼まれて何千haとか切るのが仕事。全部一人でやる。
 自分がやり始めの頃は木を切らなかった。今の青木林業につとめ始めて、他の人が巨大なのこぎりで切った木を木馬(きんま・木製のそりのような物)に乗せて運ぶのが仕事だった。当時8寸くらいの木を切っていた。急なところはワイヤーでブレーキをかけながらおろしていけるから楽だったが、平らなところは人力で引っ張らなければいけないから大変だった。
 木を切ったら、木のつるとかで下から引っ張り出す。そして木馬に乗せられるところまで引っ張る。それは6~7年やった。
 その後自己流で木の切り方を覚えた。当時は広葉樹が多く、小さい物はチップとか箱材に使う。大きい木は製材して別の用途に使った。
 そのころは羽振りがよかった。1石1万だから、今の5~7倍。中卒で1日働いて350円もらえた。その当時まじめにためておけば、城が建っただろう。でも、みんな飲み歩いて使ってしまった。
 雑木樹林は評価が低かったので、こぞって広葉樹を切って、杉、檜を植えた。植えて大きくなる頃には外材が入ってきて売れなくなった。二束三文で売るなら、売らない方がいいとみんなそのままになっている。今考えておけば天然林にしておけばよかった。
 木は市場に出した。今の埼玉県児玉町と群馬県富岡市にあった。ユニック(クレーン)付き4t車を頼む。切るときは地主さんに許可とって。1本40~50万で売れたときもある。車に乗らないような長い8m位の木は、枝が伸びていると幹を傷つけるので、枝を落としたり、二叉に分かれるところで切ってしまう。
 里に近いところにはいい木がない。それに立派な木を持っている人は、その木に愛着を持っているから売ってくれないし、売る気がない。
 自分がチェーンソーで木を切り始めたのが昭和40年頃。当時の価格で13万くらいしたがすぐに回収できた。まだ周りでも持っている人がいなかったからおそわれなかった。木がさくさく切れるときはそれは楽しい。大きい木だと刃が木に巻き込まれて食い込んでしまうから、切れなくなってしまう。
 山仕事ならどこに倒してもいいが、(空師のような)町の仕事だと電線があったりするから難しい。山梨で頼まれたときも、電話じゃわからないからとりあえず見てみて、これなら切れるだろうと思ったから受けた。今でも難しい木を切るときは御神酒をあげる。
 股関節が痛い。左足の軟骨が3mmしかないと医者に言われた。でも手術したら今後大きな木は切れなくなるし。
 (村役場職員から)今Iターンで大卒が林業をやっている。日当7000~8000円最大働いて月24,25日、冬に雪が降れば仕事もできないので年200日+αくらいなので、月額13,14万円くらい。雨が降れば当然できないし、明るいうちしか仕事ができないから8~16時くらい。単身の村営住宅が1部屋1万、家族用でも3~4万円、インターネットが500円で使えるので、十分生活がしていける。さらに子供が3人以上だと村独自の子供手当が国の他にもらえる。今森林組合には40人くらいいる。
 上野村は間伐材を切ってもおろすのが大変な場所が9割なのでほとんど捨ててしまう。価格はちゃんとした木で1m3で1000円くらい。ここからトラックのレンタル費などが引かれる。価格が安いのでおろす手間もでないから間伐材だと捨ててしまう。木を切る人は今Iターンが多い。
 (内山先生より)土地の区分として国有林(よそ者)、吉本(佐久3000ha)、他はほとんど村内保有。
 (仲澤氏に戻り)自分が小学校の頃は山で移動製材していた。だからどこでも製材が作れた。
 その後はトロッコ+ガソリンカーで山奥からおろしていた。下りはブレーキだけで労力なくてもおりてくるし、登りはガソリンカーであげる。その昔は犬で炭を運んでいたところもあるようだ。犬にリアカーを引かせて。
 でも、今は炭焼き専門でやっていても炭が売れないからやらない。売れればあんなの手間だけですむからやる人がいっぱいいる。当時はこんにゃくが高く売れて、炭も売れるからよかった。
 (吉澤氏より)中国電力が古民家の修復をやっている。しかし古民家だから火に弱いと言うことで、オール電化にしてる。それもどうかと思う。

 (第六分科会全体討論)上野村はエネルギーを自給自足していけるはずだ。囲炉裏と薪が大切。そして「コンクリートから木へ」の転換。公共施設をコンクリートで建てているのがナンセンス。木で生活するようになれば、そこに製材や大工といった産業が生まれ、村が潤っていくようになる。村役場が率先してそういうことにお金を使わなければだめだ。

 (内山先生より)村の森を守る技もあるけど、仲澤さんのように特殊伐採できる人の技を都市に売り込むという方法もある。そして強い言い方だが、跡取りがいない人に発言権を与えない。今発言権が強い人は跡取りがいない人が多い。そうすると自分さえよければとなってしまう。跡取りが自分の子供でなくてもいい。ようはそれをつないでいける人なら。跡継ぎがいるからその子、孫のためにと100年スパンとかで物が考えられる人に発言権を与えていかないとよくなっていかない。

手塚氏:未来は昇降階段型ではなくてもいいと思う。螺旋階段型がいいのではないだろうか。上から見ると同じところくるくるしているようでも、確実に上に上がっている。
コンビニすら地域限定の物を作り始めている。今までは全国画一の物をPOSで管理し、売れる物を補充するというやり方から変わりつつある。

長野氏:私たちは自然の中で生きている。自然をいじることはおこがましい。都会は一人で何でもできると思ってしまう。

(全体討論)お互いの要望を取り入れた物作り。体験させることでその価値をわからせる。

 私たちは安い物を使うのがよくない。しかし、ホームセンターやコンビニなどをつい使ってしまう。
使う技術が伝わっていない。それは夜行列車で出て行った人の性。あの人たちはまだ、その技を持っていたが、子供に伝えなかった。
→竹細工職人の青木氏から
商売気はないが、消費を増やすことよりも、命を削って制作しているので、長く使ってもらいたい。100円均一のような安い物でも制作に当たってはその時間は人が命を削って作っているので大切に使ってもらいたい。
という言葉があり、みえだ自身はこの言葉を聞いただけで、山奥に行った価値があったと思うほどに感銘を受けました。(会場も大きく共感していました。)

 新たなる多数派と書いてあるということは内山さんも多数派でないことを認識しているということだ。しかし少数だからやめてしまうことなく続けていくことが大切である。是非村役場にはたとえ参加者が一人でもやめないでもらいたい。

締めの言葉(内山先生より)
 上野村にきて40年たつ。しかし上野村は飽きない。奥行きが深い。40年たっても知らないことがたくさんあり深い。そして人間の蓄積も深い。その2つがあるからこそ飽きないのだろう。これからの未来の力になるのではないか。
 今年は技でいこうかとなった。プロのトップの技。これは一人一人の技であって、弟子をとってもその人以降には受け継がれない。そして、プロまでは行かなくてもセミプロの技、素人の暮らしには役に立つ程度の技と技にもいろいろある。しかし素人の技を持つとプロの技のすごさがわかる。今回は職業としての技を持っている人を取り上げたが、生活の中の業師もいる。漬け物の達人とか。経済的に収益をもたらす訳じゃない。そういう物も入れると6つの分科会ではあと10年くらいかかるだろう。技は自分の労働に誇りを持たせる。技があると収益は厳しくても誇りを持てる。そして、新たな発見もあって仕事も楽しくなる。技を使って人々がつながっていく時代にこれからなる。人々がつながっていくための技もあるだろうし、間に道具などの物が介在するような技もあるだろう。
 技の世界は切れない結びつきを次いでいく。相互に結びつかないといけない社会になる。都会がなければ売れないだろうし、都会も田舎とつながりを持ちたいと思っている。イベント的な1回、2回の結びつきならば問題がないが、持続的な結びつきのためには技がいる。技があるから楽しいし、発見がある。技があるならしっかりと結びついていく。
 手塚さんが言うように10年ぐらい同じところをぐるぐる回っているだけかもしれない。でも10年後にはちょっとくらいあがっているかもしれない。
 今回やったのはよかった。技が何か確認できた。技を通してつながる世界をどう作るか再確認できた。
 上野村としてブランド化すべきだ。いわゆるバッグとかのブランドではなく、上野村からできる物はすべてブランド。自然も人もすべて。まねをしたいなら他の地域でもやればいい。そういう意味では上野村はいい線を行っている。技もあるし、自然もあるし、人もいいし、共同体も残っている。新しいブランド形成。
 始めの頃は輸入大豆でやっていた物が、国産大豆、今は村内産大豆で十石味噌を造っている。ちょっと高級なやつがそうだ。獣害があるから全量を置き換えるまでには至っていない。

 みんなで作る未来を遠くに見ながら・・・。

 そして、この後オプションの滝行を師匠と一緒に行いました。下の写真は滝行前にホラ貝を吹く師匠の雄姿です。滝をバックにとればよかったと後悔していますが、そちら側は人が多く構図取りが難しかったのでご勘弁。隣に子供もいましたが、大人10人くらいが一番水遊びではしゃいでいました。

Uchiyamatakashisyugendo

内山節 修験道スタイル

滝行して下界に戻ったなう。突然咳き込んで目がかすむ。やっぱり下界は空気が汚れているな。月15万で生活がなりたつらしいから移住してしまおうかな。

シンポジウムであまり寝ていなかったから(前は遠足前の小学生状態で眠れず、今日は酒飲んで熟睡できず)もう寝ていたらマンションやさんに起こされたなう。電気が消えている意味を考えてもらいたい。完全に空気が読めていない。せっかくマイナスイオンを浴びてリフレッシュしたのに既にストレス

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第3回新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム 1日目

また、群馬県と長野県の境の山奥に行ってきました。今年は群馬県庁職員に教えてもらった、峠のうどん屋藤屋さんに行ってから始まります。あまりのおもてなしの良さに、シンポジウムが始まる前からすでに満足してしまいました。この辺はつぶやきをご覧ください。

そんなわけで上野村。予定より早くついてしまってお目当てのうどん屋さんがあいていなかったのでドライブなう。国道なのに対向車とすれ違えないような山みち。くねくねはなれているが正直こんな細い道は嫌だ。わき水をくみたくてもともるところもない。電波もないからつぶやけないし。

天ぷらうどん

いよいよ本文ですが、例によってメモを元に再構成している上、時間がたっていますので、間違っていましたら申し訳ありません。初年からケーブルテレビが撮影しているので、YoutubeとかU-steramでながせといっているのですが、なかなかインターネットでは流れないようです。本当にもったいないと思います。入場無料なのですから。(でも、実は親睦が深まるのはテレビに映らない酒の席なので、参加しないと表面的な議論しかわかりませんよ。)

村長挨拶
 暑い中、村外からも多くの方がお集まりいただきありがとう。今年もお世話になるがよろしくお願いしたい。上野村は少子高齢化という重い病にかかっている。しかし20年以上かけて実施してきたことが実り、Iターンでようやく100人以上の若者が定住してきた。山村が生き延びて行くには山村の価値を認めてもらうことが大切。山村には山村の価値があり、都会には都会の価値がある。都会がよくなっていくわけではない。都会の方と上野村がよく打ち合わせをしてもらいたい。

主催者(おてんまの会)代表 黒澤さん
 お顔を拝見しますと、第1回からお越しいただいている方もいる。今回は「技が開く未来」というテーマで村内から手仕事の技を持った人にきてもらった。私は上野村に生まれたが、伝統の技に触れることなく過ごしてきたと自分でも考えている。今日こうして自分でも話を聞けることがうれしい。そこから日々の生活を見直していけたらいいと思う。

NPO法人ものづくり生命文明機構 中井財務省理財局計画官
 私は3回目の参加になる。母が上野村生まれ。今日は暑いので明日のオプションである龍神の滝に一足先に吉澤さんと打たれてきた。水量が減ってぬるかった。滝に打たれてすっきりとして、始められる。このシンポジウムが村と私たちの交流の場であることを楽しみにしている。村長の話は本当に重たい病気だと思う。そして、それは都市も、農村も、山村もかかっている。
 生きていくために、いろいろ作って食べる。環境との関わり方は心の持ち方だ。(欧米では)農業は自然を破壊する物だと思われがちだが、日本には棚田など美しい風景がある。
 山があり、里(村)があり、都市や石油コンビナートなどが下流にある。三層のピラミッド構造になっている。森の中にある山が頂点。価値観の原形は山村である。農業の里から出発した物が工業へと発展していく。自然との関わりをどこで取り戻すかが大切だ。それを確認することで日々の営みを確認していく。何はともかく、今日は十分交流を深めたい。上野村はなんと言っても水がおいしい。明日の滝行是非おすすめです。

司会:分科会で議論は深めていただくが、各分科会の代表村民から自己紹介をもらいたい。

第一分科会 「草木染め」 小倉八重子氏(工房る・ばば)
 上野村にきて19年目。草木染めを最初からやりたかった訳じゃない。最初は山村留学の子供たちのために仕事としてきた。上野村の自然、星がきれい、水がおいしい、そういうことを気づかせたいと、子供たちと一緒にやっていた。そして自然を相手に助け合う人々(村民)。
 8年くらいやって帰るつもりでいた。そうやって自然と触れるうちに草木染めを始めた。草木には未だにお世話になっている。染めに用いる宝庫。
 昔子供たちに言われた、おがる(地域)のばばあだから「る・ばば」。上野村は上流なので、排水には気をつけている。年金をもらっているから(商売に対して)甘いところはあるかもしれないが、こだわりは上野村でやっていること。

第二分科会 「竹細工」 青木岳男氏(でくの青木工房)
 涼を求めにきた人には申し訳ない。今年は例年になく暑い。竹は簡単。割って編むだけ。ただし、一人だから苦労することもある。手間のかかる効率の悪い仕事である。生産性は悪いが、エネルギー効率はいい。CO2はほとんど出さない。一流企業にも負けないエネルギー効率。エコが叫ばれ、(企業活動に必要な)エネルギー効率はあがっている。しかしそれは大量生産だから成り立つシステム。大量生産を支えるには大量消費があるからである。無駄に使うことを前提とし、その上でしか成り立たないエネルギー効率だ。
 皆さんが今日召し上がったおそば屋さんのざるは自分が作った物だ。そのほかに盛りかごや花かごも作っている。昔の技術を現代にアレンジしている。モナコ公国から招待があり出展したこともある。なんとそこでスペインの美術館に気に入ってもらい、現在は美術館の個人会員をしている。
 こだわりは群馬県産材を使っていること。寒暖の差が大きいと竹が堅くなる。強靱な竹を生かせる技術が必要となる。漆もなるべく地場産を使うようにしてる。中国産の漆が1万円/1kg、一方国産は8万円する。それなら自分でとることにした。そうやって地元の材料を使っている。
中澤正芳氏
 自分は青木さんのように立派な物を作っている訳じゃなく、遊びでやっているので特に説明することはない。
 昔はプラスチックがなかったからすべて竹に頼っていた。素人が始めたから青木さんみたいなプロの仕事はできない。暇しているよりもいいかと、ぼけ防止のために、百姓で使う腰かごとかを作っている。
 17歳の時に始めた。親類から教わった。教えてくれと行ったが最初はだめだった。どうしたら教えてくれるのかと聞けば、弟子になれば教えてやると言われたので、酒を持って弟子にしてもらった。
青木氏
 中澤さんの叔父さんから教わる予定だったができなかった。なぜなら、父が戦争から戻り、マラリアにかかっていた。皆さんご存じないかもしれないが、マラリアは症状が出る時間と、そうでない時間があり、症状が出ない時間は治ったようになる。それが夏の暑い盛りにでるので、村人からは畑仕事をさぼっていると思われた。だから、あんな遊んでいるやつの息子に教えることはないと言われてしまったからだ。小3で父から竹割りなたをもらう。勉強よりもむしろ竹細工の方がおもしろかった。

第三分科会 「木工」 今井正高氏(今井挽物工芸社)
 司会より:今井さんは近代木工のパイオニアでいらっしゃる。
 上野村の木工の歴史は30年。自分は23歳で役場に入る。当時の村長から上野村でも木工を始めると言うことで、その技を習得するために、村の職員として、2年間小田原に住み込んだ。その後10年職員としてやったが、フリーでやった方がいいと思って、昭和62年に自分で始めた。それから23年になる。自分でやっていくと大変なこともいろいろあった。特に販売には苦労した。
 みそ汁椀がよく売れる。木は熱の伝わりが遅いから、陶器と違ってさめにくく持ちやすい。日本人は昔から木との関わりが強い。
大野修志氏(木まま工房)
 自分はIターン。上野村にきて22年。上野村に田舎暮らしを求めてきた。親戚のつてもなくきた。村の人の親切のおかげで成り立っている。
 都会での生活がいやになった。生きている価値観がない。関東近辺の山は針葉樹林(主に植林で人工林)が多いが、上野村の魅力は広葉樹林が多く残っていること。今広葉樹林は少ない。それで上野村にきた。そのときお世話になったのが、今井さん。そして3年で独立した。やはり売ることが大変。そして継続していくことも大変。しかし、都会の販売会などを終えて帰ってきたときにほっとするのが上野村。
 今井さんは挽き物(ろくろで木を回転させて削って形を作る)だが、自分は玩具や家具などのいわゆる箱物を作っている。玩具は特に子供が使う物であるから安全性には気を遣っている。塗装剤や、角張っていないかなど。一番のこだわりはオリジナルであること。いろいろな木工職人が世の中にいて、いろいろな作品が世の中にあふれている。自分は多く売れなくても一人一人に会う物を作っていきたい。
 そして、値段が高いなどとよく言われる。それは自分にとってはチャンス。なぜならよく説明ができるから。待ってましたと思う。無垢の木は加工が難しい。だから加工するには技がいる。素人には作れないことを理解してもらう。見た目はそこそこで、安い物は長く使えない。いい物を長く使ってもらいたい。

第四分科会 「狩猟」 黒澤典久氏、黒澤一歩氏(黒澤食菌・親子)
 (父)自分はてっぽうぶち。農業でやっているのは現在うち1軒。上野村で農業で食べていくのは大変。狩猟は珍しいことではない。原始時代からやっている。でも一時の1/4にハンターが減ったから、鹿やイノシシが増えてしまっている。今、人工より多いのではないか。最初は楽しみだったが、今は義務。60軒の集落に昔は15人いたが、今は一人。遊びでもいろいろあるが、跡継ぎがいない。狩猟がなくなってしまうのではないかと心配している。
 すべてが難しい。仲間によく言っているのは安全指導。用のない時は弾を込めない。獲物であることを確認は徹底させている。しかしあまり厳しく言うといやになってしまうので、冗談めいて。
 上野村には現在9チームあるが、埼玉、東京、新潟、あちこちからも人が来る。役場の鳥獣の数値はあっていない。(違反だが、)ちゃんと報告していない人がいるのではないか。
 鉄砲のうまい下手は練習が必要なことだから、訓練すればいい。しかし法律が厳しくなった。実技があり、的に当たらないと免許が更新されないので、年寄りがやめてしまうのではないか。そうするとだいぶやめてしまうのではないか。
 (息子)上野村で育ち、高校は関西。卒業後埼玉の食肉加工所で2年勉強した。コンクリートで囲まれた生活に疲れ、退社を決意したが、一身上の都合ではやめられなかったところに、ちょうどよくオーストラリアへのファームステイが決まり、9ヶ月海外にいた。そこで人との交流や文化の違いを勉強できた。そして日本に帰ってきて16年がたった。村のいいところは若い人からお年寄りまで顔がわかる。いい意味でも悪い意味でも見られている。若い人には窮屈かもしれない。狩猟を始めたのが13~14年前。昔は1シーズンでイノシシ8頭、鹿2頭でたくさんとれた方だと思う。しかし、この10何年で年に鹿40頭もとれる。どこを歩いても鹿がいる。イノシシは多いときに比べれば減ったと思う。狩猟を始める前キノコ狩りや山菜狩りは好きでよく山に入っていたが、狩猟を始めてからこんなに大きい生き物がたくさんいるのかと思った。当時は何も知らずに山に入っていたが、今は怖くてうかつには入っていけない。
 自然と体が覚えた。鉄砲を初めて撃ったのはオーストラリア。勉強か(農場を荒らす)ウサギ刈りかどっちがいいかといわれて、勉強よりはということで始めた。だから鉄砲の扱いは向こうで覚えた。
 上野村で猟に初めて参加したのは犬を連れて撃たれた獲物を捕りに行く仕事を1年していた。地形もわからず、仲間に無線で聞いて、岩とかのかたちを教えて、案内してもらった。なんでこんなに目印のないところがわかるのか最初は不思議だった。それもだんだん一杯飲みながらの中で覚えていった。教わったというよりも自然と覚えたというのが正しい。

第五分科会 「和蜂 養蜂」 飯出八紘氏(上野物産)
 養蜂なんてどこでもできると言っても過言ではない。1945年におばる地域に生まれた。都会で15年生活していたが、、両親を見るためにUターンしてきた。何が仕事で何が遊びかわからないとよく内山先生に言われる。
 昔は西洋ミツバチをやっていたが、資材に金がかかる。そこで知り合いから和蜂を分けてもらって、一時期からしたこともあったが、現在は8群いる。内山先生のところでも飼ってもらっている。8月3日に熊がでたというので、すぐに引き上げてしまい今はないが。
 養蜂教室を開催したところ、20人くればいいと思っていたところを41名の参加があった。養蜂をやりたい人には巣別れの時に、分蜂してやろうかと思う。
 仕事でも遊びでもそうだが、すべて今やっている人がいなくなるとなくなり、衰退してしまう。だから都会の人でもやってもらいたいと思う。日本ミツバチは西洋ミツバチと違って温厚。もともと日本にいたわけだから、スズメバチへの対抗手段もあるし、病気や害虫にも強い。庭があれば都会でも飼える。
 日本ミツバチは手に入れるのが大変。一番の天敵は人間。集めた蜜をみんな持って行ってしまう。次が熊。木の空洞にあるやつも引き裂いて、きれいにとられてしまう。うちは幸い人に近いし犬がいるから、音がするとすぐにほえるので被害に遭わなかった。

第六分科会 「山仕事」 仲澤壮八氏(林業)
 今年の11月で満70歳になる。自分は山の仕事をする人間であって、こんなに大勢の前で話をしたことがない。山仕事大きく分けて2つある。1つは木を育てる。苗木を買って植えて、下草刈り。これが6~7年。木が大きくなると枝が張って草が生えなくなる。そしたら余分な枝打ちして、間伐して、伐採する。
 今は値段が安い。だから売る人も買う人もいない。平坦なら重機を使えるが、上野村は地形が悪い。重機使えるところが少ない。(人力では持って帰ってくるのが大変だから、)ほとんどの間伐材は切り捨てていて、もったいない。
 今は林業だけじゃなくて、高木とか特殊な仕事をやっている。(空師的な)むしろそっちの仕事をメインにやっていきたい。営林ならどっちに倒しても平気だから簡単。しかし家に近いと倒し方が重要になる。高いところに上っても平気な度胸と、技がないとできない。
 この前自分にしか切れない木があると頼まれて山梨に行った。そこは大きい楢の木が桜と松並木のちかくにあり、隣家も近い。そこでぱっと見て木をどうするか、どこにワイヤーでつるか、どこにチェーンソーを入れるかの判断が大切。

 この後分科会となりますが、それは翌日分としてまとめます。懇親会の前に温泉「じおじの湯」に伺いましたが、断水などのハプニングがあったり、例年通りものすごいおごっつぉ(ごちそう)でおもてなしを受けましたが、参加者得点とさせていただきますのでご了承ください。

 当日参加いただいた皆様には、上野村特産品の十石みそまんじゅうや、猪豚カレー、キノコ入り醤油・ドレッシングのお買い上げにご協力いただきありがとうございます。みえだは村民ではありませんが、かなり押し売りしていた訳で・・・申し訳ありません。

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