カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の180件の記事

2013年3月18日 (月)

上野村のよさと渋澤栄一

上野村シンポジウムにお見えになった木内孝さんから自分が帯書きを書いたと言うことで、「深澤 賢治: 陽明学のすすめ〈5〉人間学講話 渋澤栄一」を頂戴したので、ようやく読んでみた。非常によい本だ。

この本の考察は別途記載するとして、同時に預かった、上野村の良さという宿題について考えてみる。別の人からは、みえだぶろぐにはもっと更新頻度を上げ、簡単な表現で上野村の良さ紹介をするように言われているのだが、それはまたの機会にさせてもらおう。

上野村の良さ・・・

自然が残る。コミュニティが残る。など表面的なキーワードは「残る」だ。
でもそれは本質ではない気がして掘り下げると「人が人として生きることに未来を感じられる」ことがよさなんだろう。
先人たちが多くを残してくださったことで生かされている。人は生きているのではなく、生かされているはずなのだが、これを感じる機会は現代社会においては少ない。これを再認できただけでも上野村に来た価値がある。

水と食料、必要最低限の人員はいるわけだから、たとえ国家がデフォルトまたはハイパーインフレになったとしても、エネルギーさえ確保しておけば、未来を継続することができる。このエネルギーの自立というテーマは上野村にとっては非常に大きい。

師匠の内山節先生は最近、上野村に知恵を貸してほしいとよく言っている。上野村に知恵を貸すと言うことはどういうことなのか。手を貸すと言うことは手を貸すだけの魅力がいる。そのあたりは師匠は明言していない。「僕の好きな上野村だからよろしくね」というのも、考えられる。この場合、「僕」自身が存命の間は確かに魅力をはっきりできるかもしれない。

上野村は接点さえもてれば意外とリピーター率は高い。それは上野村という土地が持っている良さもあるだろうし、人の良さもある。この引力はまさに現代の桃源郷というにふさわしい。

しかし、難点はその接点を持たせるまでが弱いと言うことである。一方で上野村は今のくらいがいいところであるという人もいる。確かに上野村は「市制」が必要な規模になる必要はないし、なってはいけない。しかし現状維持でいいかと言えばそうではない。現状維持というのは社会の劣化を意味する。何もしなければ高齢者人口が増加し、社会がままならなくなる。

師匠もおっしゃっているとおり、上野村が持続していくためには、周りとも関係性を結んでいかなければいけないのである。確かに来れば良いところかもしれないが、それでは人は関係性を結ばない。関係性を結ぶためのきっかけがいるのである。

そういう意味で上野村に足りないのは、社会と上野村を翻訳しデザインする人たちである。人口1400人の内200人以上が外から来た人Iターンだというのだから、自分も含めたこの人たちが担うべき所もある。しかしながら、必ずしも資本主義の論理を理解し提案ができるとは限らない。それであれば外から連れてくるしかない。

ここで渋澤栄一氏の話に戻ろう。彼は明治政府で重要な仕事を任されていた人物である。実家は藍問屋。元々尊王攘夷派であったが、ひょんなことから一橋家の家臣として迎えられ、慶喜公に使えることになる。そして明治政府では大蔵省にいたが、大久保利通とけんかし大蔵省をやめ、日銀の前身を作り、融資、顧問という形で富岡製糸、足尾銅山、JR、東電、など多くの有名企業の前身を作ることになる。

明治以降の社会が幸せなのか振り返れば、明治維新が意味のあることだったのかと考えさせられるものである。しかし渋澤氏が木っ端役人に無礼を感じたとおり、システムとしては末期に来ていたのかもしれない。渋澤氏は私欲を肥やすために行動したわけではなく、すべては国家太平のためにしたことである。確かに足尾鉱毒事件などが起こったわけで、すべての手法が正しかったとは言い難いのも事実。

しかし気づいた者は行動をしなければいけない。自分も幸せを満喫し、くすぶっていないで、行動をしなければいけないと痛感させられる。何しろ社会を担うのは子供たちであり、それは幼少期の体験に裏打ちされるのだから。

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2013年1月 1日 (火)

平成25年 新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。

 上野村村民の皆様のおかげさまをもちまして、無事上野村で一年を過ごすことができました。(関連記事:上野村カテゴリー)
また、皆様にも大変お世話になり感謝申し上げます。

 上野村は春夏秋冬本当にきれいで、いいところです。
是非お出かけください。

 神社のしめ縄は蛇を表し、その生殖時間の長さから、子孫繁栄の象徴とされたそうです。
昨年の龍舞う年に掲げた計画を始め、今年は「育む」一年にしたいと思います。

 私自身を振り返ると2008年07月11日ローカルサミットin十勝が人生の転機でありました。今までは普通の生活をしていたのが、これ以降いろいろなことを考え、いろいろな人にお会いし、そして上野村へ移住するようになりました。このままでは保たない、変わらなければいけない社会構造をこれからどうしていくか、その答えは上野村にあると思います。その一端に関わらせていただいていることに感謝の日々です。今年は上野村が最先端であることを証明する一年になろうかと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

平成二十五年 元旦

イベント告知

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2012年11月22日 (木)

エネ経会議 菅原文太さん基調講演

エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議(エネ経会議)で菅原文太さんの基調講演がありました。例によって当日メモより。

 今日ははかられた。吉澤さんに詳しく知らされていない。来てほしいからと言われてきたらこういう話になっている。のどが痛いからやめようかとも思った。スカーフを巻いているのはすかしているからではなく、のどを温めているから。

 日本には昔から百年河清を待つという言葉がある。でも1000年も2000年も前から川がきれいになったことは一度もない。関ヶ原の時は小さな川が真っ赤になったという話を聞いた。

 100年も被災地は待ってはいられない。川をきれいにすると言うより、政治をきれいにしなきゃいけない。くっついたり離れたり、離れたりくっついたり。うすみっともなくて見ていられない。

 一週間前に福島の中通りにある石川町に行ってきた。東北は、やくざな商売をやっているから歩いているけど、初めていったところ。初めて車で郡山から向かった。紅葉できれいな町だった。紅葉の姓だろうけど、どこへ行ってもこの時期はきれいに見える。運転してくれた役場の人が50km離れているので地上は線量が著しく高いわけじゃない。山は入ることができない。木を切ってはいけないと通達が町へ来る。今頃は木こりと農業と兼業で暮らしていた。郡山まで一時間半通っていたのだが、放射能で企業も逃げた。食ってはいけない。木を切って売れない。売ってはいけない。

 50~60kmでもそういうありさま。浪江など近くは人っ子一人住んでいない。最近NHKの番組に出ている。「日本人は何を考えてきたのか」という番組。そのとき一緒に歩いてくれた学校の先生。40年間反原発運動をやってきた。会津の来た方の小さなアパートに奥さんと暮らしている。お子さんは別に暮らしている。一年8ヶ月経つ。大きな地震も津波、大災害が押し寄せてから。

 東北の復興は何も進んでいない。どういうことなのか。さっき100年という言葉を出したが、今原発をぴたっと閉じたとしても、その後始末にどのくらいかかるのか。100年じゃすまないだろう。チェルノブイリは未だに200kmは住んではいけない。月の荒涼とした地面と同じ。日本はのんきすぎる。

 現地に行くと町長さんたちがおそれているのは、人の心が荒廃していき、それがますます広まっていくことが怖い。七割くらいの人が全国に散り、どこでどうやって暮らしているのかわからない人が半数以上。二本松に借りていたけれど、いつまでもそうやっていられないから、隣に掘っ立て小屋の役所を建てた。日本人の気持ちが風化していくのが怖い。浪江町や双葉町など、口を同じくしていっている。

 今日はのどの調子が悪いからさぼろうと思ったけれど、聞けば中小企業だけど原発に反対の人々ばかりですからといわれて、それじゃあさぼるわけにはいかんと思ってきた。

 今本当に国の体をなしていない。名前はわかるが言いたくもないような総理大臣。今日だって「この先も我々に政権を握らせてください。」とあのしょぼくれた顔を引き締めていっていたけど。

 これは私が言い出したことじゃなくて、「この状態は何とかせねばいかんよな。」と。にっぽんの・・・で焼酎と旨い物ばかり食ってもいられない。70過ぎたのばかりだから、「じいちゃん、いいことしてきたの?」と孫に言われて、何もやっていなかったんじゃね、大口たたいて生きるわけにはいかない。

 メディアもおもしろおかしくしてもらいたくないと言ったのに、常に「仁義なき戦い」がでてくる。あれは映画だよ。東映のみんなでやったこと。俺だけでやった訳じゃない。一緒にやってきた仲間も今は健さん一人になってしまった。あの人は俺より二つ上。すごい。今時あんな俳優はいない。仁義なき戦いを一緒にした人はほとんどなくなってしまった。

 自分も片足入っているくらいだから、ちょっとくらい何かいいことをしようと思った。酒も浴びるほど飲んでいたのをやめた。女房にやめろと言われて、かかりつけの先生にもあれだけ飲めば十分じゃないかといわれて。そして「牛肉もやめなさい」と言われてた。確かに食べさせているものを見るとさかなの養殖にしても、肉にしても抗生物質が大量に使われている。

 一度でも病気になれば全部殺す。何万羽も。放し飼いにしていれば8年くらいは持つのに。二年しか持たない。だんだん卵が埋めなくなってくるから処分される。

 農業法人を始めた頃、中学の同級生から突然電話がかかってきた。菅原なんて呼びつけにするから誰だと思っていたら、50年ぶりの同級生だった。卵をやるから取りにこいという。分けてくれるというので千葉まで行ってみた。窓のない薄暗い大きな建物。なんでこんな環境にしているのかといえば、これが一番卵を産むという。天井までびっしり8段小さなかごに詰め込まれている。えさはベルトコンベアーで常に送っている。

 出荷先をきいたら、スーパーにも持っていくけど、これはネット中継もしているから社名はあげないけど、○○マヨネーズに持っていく。社名は言わなくてもわかるだろ。日本は抗生物質を大量に使っている。よその国、アメリカやヨーロッパの40倍。

 確かに日本の医者はすぐにくれる。ちょっと熱があってなんていえば、すぐに出す。日本の医療の過ぎたるでも使われるだろうけど、多くはさかなの養殖や、牛、豚、鶏などに使われている。商売で利益追求するところで使っている。追求するあまり、他のことを忘れてしまう。命もそう。
 他によその国と比べてみると他にもあった。農薬。1963年からアメリカの7倍。ヨーロッパの6倍の量がアメリカから押しつけられてきた。アメリカから言われれば押すプレイでもごもっともとなってしまう。全部ごもっとも。

 アメリカだって飛行機で撒く。あの量はすごい。その7倍。そんなものを食べてきた我々。農薬を使っていることは知っていたけど、農薬や化学肥料を使わずにと自分の所は思っている。農水省の認可を取っているというJASだって怪しい。日本ほど情報を隠蔽する国はない。ここにいる皆さんはもう手遅れ。これからの子供たちのためにやめないと。わかってくれるのは犯罪。皆さん知らなかったでしょ?私も知らなかった。

 田んぼを借りたいといったら農協が低姿勢でやってきた。普通相場が1俵1万2千円くらいだが、菅原さんがやるなら1万5千円で買い取りましょうと。裏があるんじゃないかと疑ってはいた。物は試しでやってみることにした。ただし、下流じゃだめ。農薬に汚染されているから。南アルプスの取り口でやっている。

 農協が「菅原さんはじめの時はまずこの農薬。5月、7月になったらと4回くらい使う段取りになっている。」と説明に来た。そんなもの使わないと言ったら「困ります」と言われた。しかし「菅原さんがそういうなら仕方がない」とやけくそで事務長が帰って行った。

 周囲の田んぼはすごい農薬を使っている。昔田んぼの経験がある俺は一人貼り付けておいただけ。「草はあんまり気にするな。」といっておいた。ある時いもちが出たと騒いで、農協も大騒ぎした。小さな物だったのでほっとけと言っておいた。

 秋、周辺の田んぼはみんな倒れてしまったし、腐っているのもある。うちもだめかと思っていたら、1町歩のうちの9反歩は倒れていたが、うちの田んぼだけは平気だった。なにもしないで8俵とれた。なんでうちだけがと思っていたが、米の種類も昔の米を九州から取り寄せて使った。あまのじゃくだから。今の人はコシヒカリばかり使っている。始めるときに「農協がコシヒカリにしてください」と行ってきた。「俺が育てるのにしてくださいとは何事だと、俺が育てるんだから。」と従来種を探して育てた。

 次の年になってうちのやり方は正しかったので田んぼを増やそうと思っていたら、「菅原さんには貸せないと地主が言っている」と農協が言ってきた。地主なんか会ったこともないないのに。ついに貸してもらえなくなった。それが農業の実態。

 佐久病院のわかつき先生。農村地帯医療をずっと続けられてきた。50年書き記したノートにも農薬のことが載っている。その先生に聞いてみた。除草材の成分と何ですかと。そうしたら、成分の若干の違いはあるがアメリカが戦争の時に使った枯れ葉剤と同じ物と思って間違いない。そんなものが50年間も使われてきたのかと思うとぞっとする。ノーベル賞など化学の成果が取りざたされているが、裏側ではそういう化学肥料、種の会社が暗躍している。不思議だったのが、みんな枯れてしまうのではないか。稲とかは種そのものが農薬に負けないように作られている。今はF1。除草剤にも農薬にも負けないが、一代でしか種(しゅ)を作れない。

 「ふるえる石」を書いたあいばさん。元々は時事通信の記者だったが、足を棒にして書いた記事がその通り新聞に掲載されたためしがない。だからやめた。今は大スーパーで行われる牛肉偽装をおっている。殺人まで起こっている。くず肉を集めて、硫酸なんとかとかきくのも嫌な添加物で固めてしまう。そうするときれいな肉のステーキになるぐらい技術は発達している。

 ハンバーグは偽装社会ではぞうきんといわれている。100円くらいのハンバーグ。だいたい本当に作ったら100円じゃ作れない。もうそうなるとくず肉じゃない。大豆の絞りかすに硫酸なんとか、とかを大量に聞いただけでも恐ろしくなるくらい。それに肉の香料を混ぜて作っている。コンビニ弁当は安い。そんな値段で作られるわけがない。自分で作っているのを確認しなきゃ食べられない。日本の食品業界でこんなことがやられている。

 中小企業もピンキリだろうけど、良心が大切。もうけること、利益の前に良識。デジタルが肌に合わない。俺はフィルムの時代だから。デジタルカメラは何でもできる。女優のしわだって消せる。菅原さんもどうですかといわれたので、ふざけるなと断った。しわはしわ。お百姓さんの横皺縦皺を見ればわかる。そういうのが存在感。ドキュメンタリー見てみろ。昔は苦労してロケーションを探した。看板どかしていただけますかなど交渉もしてようやく作った。探すのも大変だった。今はCG。パッパと俳優が入るとできてしまう。これも偽装だろう。

 「いのちの党」最後に一つだけ言わせてもらいたい。そういう物を立ち上げたら政治と関わらないといけないと言われている。町村会で講演することがあったが、そういう地方で働いている人の代表者。そういう人に入ってもらってがんばる。村長さんが国家に出て行くとかが何年かごには出てくるかもしれない。

「命」
 

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2012年11月14日 (水)

豊かな上野村生活

昨年11月17日に住民票を移し、29日に引っ越ししてきましたので、もうすぐ上野村に来てから一年経とうとしています。

この間いろいろありました。来て早々テントウ虫とカメムシラッシュで二階中が埋め尽くされ、気温はマイナス十度以下。屋内水道管の破裂。二月の凍結による断水と。これだけなら上野村生活をあきらめたかもしれません。

自然は厳しかったわけですが、人は温たかった。水道が破裂したといえば駆けつけてくれるご近所。畑を作ってくださる大家さん。留守には畑を管理してくださるお隣さん。いろいろと良くしてくれる八百屋さんを始め皆様のお世話になっているおかげで生きていられます。

都市にいるとお金だけで関係が割りきれるのですが、上野村は違います。野菜をもらってお金を払ったら、たぶん次からもらえないでしょう。こちらは御礼のつもりなわけですが、「こっちがくれたいからやっているのに、金をくれるとは何事だ」と逆に怒られてしまいます。お金が関係性を割り切るためのツールであることを実感します。

また、ある時は鍵の閉じ込みをしてしまい、ご近所山の世話になったのですが、往復で一時間以上仕事の手を止めさせてしまったにもかかわらず、「困ったときはお互い様なんだから気にするな。変に気を使うと次からやってやらないぞ。」と優しく言ってもらえました。本当にありがたく感謝の日々です。

春になるとこんなに人が来るんだと驚きもしました。そしてお祭りやら町内の集まりやら消防団やら、青年団やらにも参加させていただき、毎週何らかのかたちで飲み会だった気がします。細かい話は20120731上野村生活を振り返ってにもいくつか書いてあります。

ただし、都市の人がいわゆる静かな生活をしたくてくるには向いていないかもしれません。関係性を楽しめない人には居心地の悪いところだと思います。村民は確かに優しいけど、自分から心を開こうとしなければ、村人も心を開きません。関係性がなければ生きていけない土地ですから。

上野村に初めてきたのは5年前。上野村シンポジウムがきっかけでした。そのご内山節先生を追いかけているうちに上野村を気に入りついに居着くようになりました。(関連:内山哲学カテゴリー

急斜面の山の中なので、本当に先人たちが苦労して作ってきた財産であることを実感する日々です。こういう財産は受け継がなければいけません。

しかしご縁とは不思議な物です。大家さんと東京で会っていたけれどもお互い全く知らずに家を借りることになります。しかも大家さんの親戚を私も知っていて・・・。その方に知り合ったのもまた偶然。偶然が重なり必然的に上野村にいる気がします。

自分の人生何度か収入が一度0にリセットされてきました。リセットする度に次は出世するのですが、ここ上野村で成功し定住していきたい物です。

纏まらない話になってしまいましたが、ツイッターを始めると、頭を使わなくていい簡単さから、あればかりになってしまいます。社会がお金で割り切る短絡的な構造になりつつある昨今。楽をしたいという欲求ばかりが取りだたされ、大事なことが忘れられてしまいます。人間は人間という関係性の中でしか生きられないのに、どうするんだろうと思ってしまいます。自分はこの関係性あふれる上野村にいるから関係ないというわけにはいきません。関係ないというのであれば都会の人と同じになってしまうわけですから。

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2012年7月31日 (火)

上野村生活を振り返って

筑波の学生にIターンの調査を頼まれたので、せっかくだからアップしてみます。

 上野村に引っ越して来たのが2011年11月29日。半年以上が経過しました。上野村は本当にいいところです。ツイッターでは流していますが、少し上野村生活を振り返ってみたいと思います。
 来た経緯は第1回の上野村シンポジウムでお話を聞くつもりが、パネリストとして参加させていただくというハプニングからです。そもそも群馬県民ではありませんから、西毛の上野村は知りませんでした。1回目の民泊で上野村の皆さんの暖かさにふれ、2回3回とくるうちに、気に入り定住を決意したと言うこともあります。
 家を借りられたのも偶然で、シンポジウムで知り合った役場の方に村営住宅のお願いをしていましたが、村営住宅は一杯で順番待ちでした。そこへ大家さんが別の方が借りるのになおした家がちょうど開いており、お借りすることができました。
 来たころはまだ肌寒いという程度で住みましたが、年を越すと外気温がマイナス10℃、断熱材が少ない家なので、家の中も似たような気温という日々が続き、春が待ち遠しかった気がします。
 回りの皆さんが、「おい、いるきゃぁ。」と声をかけていただいたおかげで、天神講や、どんどん焼きなど地域のイベントにも参加させていただけるようになりました。(さすがに突然ドアが開くとびっくりしますが。)暖かくなるとほとんど毎週日曜日はなんかのイベントで、地区対抗ソフトボール大会、バレーボール大会、かじかの里サマーフェスティバル、地区の清掃など、そしてその後のお楽しみ、懇親会。(我々の地区、野栗はどちらかというとこっちがメインです。)今週の日曜日は落ち着いていられるというような日がなかなかありません。
 最初はそんなにも時間を拘束されるのは大変と思っていましたが、出てみるとこれが楽しい。そんなこんなで青年団や消防団にも参加させていただくことになりました。消防団などは異例で通常、1年以内は出て行ってしまう可能性が高いので、1年は様子を見るそうですが、春の入団をお許しいただきました。
 上野村に来て思うのは、都会の人が思い浮かべる田舎の風景ではあるけれども、その生活はそうではない。上野村は地域により文化が違います。野栗地区は比較的Iターンなどで外の人が入ってきている実績があるので、外の人にも寛容というか消防団などはIターンなしでは維持できないので、ようやく認めてきたところがあります。あまりIターンが入っていない地区ではよそ者はよそ者。しかし地域の人のつながりは強いので、地区対抗イベントなどは本気で練習し優勝を目指す。また、別の地区ではイベントも本気だが、前夜祭、懇親会と飲み会がダブルでセットなどなど。村営住宅が密集するエリアでは、地域のイベントに参加しなくてもまわりがあきらめているけど、ここ野栗地区はでは事情がない限りは許されません。
 それでも自分はここ、野栗地区が好きですね。まわりの方もいい方ですし。畑を作っていただき、ジャガイモを植えていただき、畑の管理までしていただける。何かの時にはお裾分けも届く。まだ、真新しいと言うこともありますが、気に懸けていただけることがありがたいですね。
 上野村はいい人が多いし、自然も豊か。歩いていれば声をかけられ、何かもらえる。これは間違っていません。確かに関係性のある人はそう。ここで生まれればその瞬間から親、祖父母・・・と歴史がある。そこには受け継げる関係性があります。しかしIターンなど関係性がない人は、自ら積極的に声をかけて関係性を築くしかありません。地域のイベントなどに参加しない人はせっかく上野村に住んでいるのに、自然だけしか見ず一見で帰ってしまうようなキャンプ客と一緒でもったいないです。上野村は人材が財産なのですから。認めてもらいたいなら、まず自分が他人を認める必要があります。
 今でこそ前々村長の黒澤丈夫村長が定住者対策として雇用と住居を提供してきた政策が実り、村の維持にIターンが貢献できるようになってきたわけです。最初に入ってきた方は苦労したと思います。関係性の強い中に異物が入るわけですから。しかしそういう方たちの努力があるからこそ、今私たちが個々にいられることもまた事実であり、感謝です。
 師内山節先生曰く「上野村だって人口は常に流動的。嫁というかたちで外からの人は入ってきている。」まさにそうで、たまたま今はIターンというかたちでもてはやされていますが、上野村だって完全な地元民ばかりで構成されているわけではない。数代さかのぼれば外からの血が入っている。場合によればそこまでたどれないかもしれない。外から人が来ることで村民は外部の情報を知ることや、その友人、家族など新しい関係性ができていきます。
 上野村は昔、本当に陸の孤島でした。前群馬県知事小寺弘之氏の大盤振る舞いで、トンネルが抜けたりして外への買い物も楽になりました。それでも最寄りのコンビニまで片道30分、ホームセンターまで1時間かかります。だから、中央集権型都市に浸食されず、文化が残っていてすばらしいところです。お祭りなどは単なるお祭りではありません。後輩の指導を通じて、自治を学ぶ場でもあります。そして地域内で調達することで、地域の商店にもお金が落ちます。地域の商店ばかりが儲かるわけではなく、地域の商店は寄付というかたちでお金を供出するので、地域内でお金の循環する好循環型社会になっています。トンネルは便利かもしれませんが、地域からお金と人を流出させる原因にもなります。
 上野村の外にでたい人も仕事さえあれば、戻ってきたいと考えている人は多くいます。上野村は今環境が整っているので、実際にはやりたい放題なのですが、なかなか企業までする人がいないのも事実。人に勝てるほど上手であればどの商売でも成り立つのですから。親も上野村から出したところはあります。本当はIターンよりUターンにがんばってもらいたいというのが人情ですから。
 纏まらない話になってしまいましたが、上野村いいところです。関係性が嫌いな人には周りが干渉的だと思われるかもしれませんが、人間は関係性の中でしか生きられない生き物なのですから、こんないいところが残り、またそこに住めることに感謝です。

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2012年6月10日 (日)

2012年 の・ような哲学塾(三人委員会哲学塾東京分校)

内山節先生を追いかけて上野村へ。しかし内山先生とは村内で二回くらいしかお会いしたことがなく・・・。そんなわけで昨日も追いかけて赤羽へ。前半は事務局でばたばたしていまして、メモを取っておりませんでしたが、例によってみえだめもです。

3.11以降を生きる
新しい価値の創造と共有

共同体は経済でつながっていた。今だと面倒な人間づきあいを我慢してまでつながる必要があるのかとなってしまう。不利益が有益が上回ってしまうので、だから今はやめてしまう。市場が広がっている。いろいろな結びつき、消費者と生産者、流通などを持ちながら復興していかなければならない。

地元金融機関とうまくつきあっていく。例えば私たちが募金で一億円を集めたとしても、それは1件にしか渡せない。でもこれを原資として金融機関で借りると10億円になる。つまり1億円が10件融資できることになる。さらにここで消費者と生産者がつながっていることがわかると、焦げ付きにくいので貸し出しやすくなる。そして募金を出した人はもともと寄付であげるつもりだったのだから、戻ってくればうれしい。お金が返ってきたことではなく、それだけ復興できたことがうれしい。それにたとえ焦げ付いて戻ってこなかったとしても、元々あげたものなのだから。復興をやっていこうとすると関係性が大切。

デパートに「幸せに帰ろう」とブータンのポスターが貼ってある。幸せを「取り戻す」のでも、「作る」のでもなく、「帰ろう」なのである。これはコピーライターが考えた者だろうが、デパートとしては消費を拡大してくれなければ困る。僕が中学生のころウエストサイドストーリーが流行った。ダウンタウンの高速やビル街。当時の人々をびっくりさせた。日本は遅れている。ああなりたいと思う人が増えた。しかし、今やブータンの写真を使っている。我々はそれに何かを感じても、新しい価値の想像はできない。我々の生活はいっこうに変わらない。

なぜか。

価値の交換は旧来型だからである。いくら頭の中を変えても現実の生活は違う。例えば銀行にお金を預ける。消えたら怒る。一方で震災復興のお金は戻らなくても怒らない。価値の創造のためには価値交換が必要。僕はいったことがないからよくわからないけど、ブータンがすばらしいと言ってもせいぜい観光で行くくらい。戻ってくれば同じ生活になる。

市場がからむと商品の交換になる。個々の価値交換を始めるが、しかし人々が手間を交換し会う。生産から流通するまでには多くの手間が必要。生産する人の手間、自然がはぐくむ手間、収穫する手間、流通する手間など。

他人の手間をいただいて私たちは生きている。いただいた手間に対する御礼が必要。上野村ならたいてい「ありがとう」ですむ。こういうときは、こういう御礼ということが何となく決まっている。こういうときは一升瓶を持っていくなど。御礼もすぐにしたら失礼になる。こういうときは御礼をお金で払うというものもある。それはその人にしかできない仕事による技術。

ある時自分では切れない木を切ってもらったことがある。特殊伐採で家の隙間に切り倒してもらうような技術だ。東京であれば30万円くらいかかる。しかし村の人に聞いたらそれは1日6000円だというので、3日分18000円だけ払った。当然一日の労働賃から見れば安い。みんなができることはありがとうですむ。御礼がその労働にふさわしいかどうかはわからない。村の中で循環させる。私が一人5万円払ってしまうと値段が上がってしまう。誰かが値段をつり上げると頼めない人が出てくる。手間に対する御礼であって、普通に働けばもっともらえる。

原発の安全神話が崩れたという人がいる。本当に安全だと思っていた人がいるのか。私もそうだが、変わったことがある。原発には元々賛成はしていなかったけれど、遠くにあるというイメージがあった。事故が起きてみたら自分の住む横にあった。

イデオロギーは資本主義ではなく、イメージなのではないか。経済発展なくして日本の将来はないのか。それはその人たちのイメージ。経済発展しなくても社会を作っていくことはできる。

昨年の節電キャンペーンや計画停電でも特に不便はなかった。僕が住んでいるのはビル街で、クーラーの廃熱がかえって町を暑くしている。それがないぶんかえって涼しかったのでよかったのではないか。

関西電力も電力が足りなくなる可能性がある程度。原発を稼働しなくてもTVをみんなが切れば乗り切れる。最近のテレビは省電力化したと言っても、その分大型化し電気を消費している。だから電力が足りなくなったらみんなでテレビを消せばいい。それに新聞社がやっているのだから、高校野球を8月2日くらいに少し遅くしたらいい。高校生の体にとっても暑い中やらせるのは良くない。ようはイメージの問題。

最近は建築学会とも仲良くしている。もともとは敵のような団体だ。1959年に木造建築をなくす採択をした。たてるとしても太い筋交いや鉄筋などで今のように補強しなければならない。それが今になって少しは変わってくるようになった。

当時は建築家の作品を作っていた。しかし作品づくりではいけない。地域や風土、コミュニティーと共にある建物。コミュニティーは変わる。それに合わせて変動する建物。コミュニティーのないところではどうするかが今の課題となっている。

鉄とコンクリートとガラスが建築を飛躍させた。昔だって窓などガラスを使っていたりしたが、今は壁としてもガラスを使っている。これが建築を荒廃させた。この使い方をどうするかになってしまっている。

支配してきたイメージをどうするか。政治、国家のイメージ。ケインズは資本主義を支持してきた。ケインズは国が経済をコントロールしなければならないと思っていたので、各国がこぞって取り入れた。80年代になるとケインズも古いと言われ、市場がすべてを管理するようになった。

貨幣価値の安定かがケインズの目的。だから国家の積極的な為替介入により、貨幣は安定化できる。資本主義には解決できない問題がある。資本主義というシステムが一番効率がいいから支持はするが、すべてが貨幣で交換されてしまう。貨幣が軸なので、人間たちは貨幣こそがすべてという社会を作ってしまう。これを「貨幣愛」と読んだが、そうなるとどうにもならないくらい退廃する。そして最後は社会が自滅する。投機に効果がないことを国家が為替介入などで担保する。貨幣愛の社会はいけない。

今はイメージ化された世界に我々は生きている。イメージを追いかける。だからイメージを支配してしまうことによって、人間も支配できる。でも経済ではイメージ戦略が通じなくなってきた。すべてのシステムを私たちは知っているわけではない。原発が30%で、それが稼働しなければ電力が足りないというイメージ。

老後というイメージ。それを管理する年金や保険といったシステム。僕は朝は二度寝してしまうと起きない人なので、朝テレビをつける。二度寝のじゃまになるように音がするために。そうすると健康食品のCMと保険のCMが多い。僕は保険には一切入っていないのだが、今は立教で共済はかけられているけど、20人の仲間が何かの時はお金を出す仕組みを作っておけばいい。例えばメンバーの誰かが入院したら1万円、重い病気なら10万円とすればすぐにお金が集まる。だいたい20万円あればどの病気でも大丈夫だし、一度に1万円が大変なら月千円ずつの積み立てだっていい。でもその信頼できる仲間ができない。

復興のためには違う社会の作り直しが必要。今何かできそうな気になっている。あちこちで動き出していて、ちょっと元気になっている。だから、震災関係の仕事は断らずにこなしている。

会場からは復興資金が集まりすぎてとまどってしまい、かえって使えなくなることや、変わらない私たちの生活をどうしたらいいかなどの質問がありました。→変える必要はない。変わることと変わらないこともある。情報をほしいなら、自分も情報を発信しなければならない。近所との何気ない会話で自分のことを説明するなど、日常から少しずつ情報を発信していくようにすればそれでよい。

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2012年5月 8日 (火)

ローカルとグローバルとファシズム

 どうも皆さんお久しぶりです。ブログも書かなければいけないと思っていたところにお師匠さんから「ローカリズム言論」をいただきネタができたので書き始めます。

 今自分は群馬県上野村に越してきたわけですが、本当にすばらしいところです。水道管が破裂すればご近所が駆けつけて壁まで壊して直してくださり、下界に出かけている間に大家さんが庭に畑を作ってくださり、そこにはお隣さんがジャガイモを植えてくださる。そして米を買いに行けば、タケノコご飯をもらってくるなど、あげたらきりがありません。

 確かに最寄りのコンビニまで30分、冬季には気温がマイナス10℃だったりと、自然環境は厳しいこともありますが、だからこそ春の喜びがわかったりします。

 自分はずっと科学(化学)系にいたわけですが、(かがり火 144号参照)自分が求める問い「人はどうやったら幸せに生きることができるか」には全く役に立たないというのが勉強すればするほどわかりました。確かに原子力発電所の仕組みやデジタル回路の制御などは理解できます。でもそれは村にいると本当に何の役にも立たないことを思い知らされます。

 上野村は下の村ではないので山の中です。そうすると外にいる人はのどかな山間の風景を思い浮かべると思いますが、確かに見た目にはそうです。でも実際には違います。上野村の春は短いので、草木は一生懸命花を咲かせ、蜂は花々を飛び回り蜜を集め、ありも食料を貯め、鳥はさえずり相手を探し繁殖するのに忙しい。村人も祭りや農作業などに忙しいのです。暇なのは畑の知識も野草の知識もないので何の役にも立たず、ただそれを見つめるしかできない自分と観光客くらいのものです。

 蜂などを見ると都会の人は危ないとも思われるかもしれませんが、この時期は蜜を集めることに忙しいので、人間と戯れるような暇な蜂はいません。刺されたとすればよほど人間の側がちょっかいを出したので、じゃまにされたからでしょう。

 上野村は国家戦略の中で、田舎=遅れたところとされてきました。実際、そう未だに思っているご年配も多い。でも実は逆です。上野村は最先端を守り抜いてきたのです。国家にあらがったからこそ、今、山歩きツアーなどができるのです。そういう先人たちの苦労に感謝し、活かされていることを実感します。

 国が田舎を遅れた所としようとしたのには訳があります。一部の権力者が完全に統治できる国家つまり中央集権国家を作るために、田舎から都市へ人を集める必要がありました。当然国に頼らなくてもそこだけで生活が完結してしまう田舎の存在は目障りです。国家の管理下にすべてを治めたいが故、田舎より都市の方がすばらしいという幻想を抱かせ、田舎を否定し続けてきました。

 そんな支配者たち思いが功を奏し、今は国に頼らなければ何もできないうんざりとした都市ばかりになってしまいました。自分は今まで下界にいたわけですが、知れば知るほどこのままでは「都市が崩壊する。共倒れになる」と感じ、たまたま知り合った上野村に避難してきたわけです。本当に上野村はいいところですが、それだけに都市との共倒れだけはなんとしても回避しなければなりません。

 一時期、お金さえあれば何でもできると言っていた人がテレビに良く出ていましたが、それは国家が通貨を保証するという前提に成り立っています。国家が破綻すれば通貨はただの紙切れでしかありません。そうなっても上野村を始め、過疎地は生きていけるでしょう。しかし国家はそれを許さない。自分たちだけが豊かに生きていることをメディアを駆使して、全力で否定してきます。田舎が遅れた所でそんなところに住むのは野蛮だぐらいのステレオタイプでは許さないでしょう。幸い上野村は内山節派が応援に来てくれるので、理論武装できるから対抗できますが、他の地域は自立できる能力があったのに共倒れにさせられる危険があります。

 本来はこういうことを食い止めるために政治家がいるはずなのですが、皆さん学校で優秀に勉強をされてきたので、国家の洗脳の延長線上にいます。日本で地域のことを考えていた政治家は田中角栄くらいのものでしょう。賛否両論あると思いますが、それだけの仕事をしたのですから、それなりの対価を受け取る権利はあると思います。群馬なんか4人も総理大臣がでているのに、高速道路にしても新幹線にしても新潟のおまけで通っているようなものです。政治家の皆さんが思っている俺が国家を良くすると言うことが幻想なのです。「俺が」と思っているといつの間にか権力者によって支配されてしまいます。

 実際、自分も専門家であれと教育されてきました。だから学位が大切だと思ってきました。大卒で終わってしまったことにコンプレックスがあります。これだけ内山先生の話を聞いていれば論文出して博士もらえるのではないかと思っていました。最近ようやく実はそれは本質からはずれていることに気がつかされました。博士を取ることが目的になってしまっていて、本当は師匠の話を聞いて自分が何を考え行動するかの方が大切なわけです。

 この(権力者の暴走の)流れにあらがうにはどうしたらいいのかずっと考えていました。お師匠さんの本や説法を直接伺いながら思うのは、抗ってはいけないのです。大切なのは違いを許容すること。相手と自分は違う。まして自然は思い通りにならない。自然を制御できないのと同じように、人間だって完全には統治できません。我々は常に関係性の中で活かされています。関係性を意識した社会においてはすべての答えがおのずから導かれます。

 上野村の財産は「人」である。本当に観光だけで帰ってしまう人がもったいないと思います。今のうちから関係性を結んでおかないと、共倒れになってしまいます。

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2012年3月14日 (水)

Druckerと連想ゲーム

もしドラ上野村図書館で見かけ、話題作だったので気になってはいましたが、触れる機会がなかったので、ようやく読みました。

結構フラグが立っていたにもかかわらず、図書館で一人うるうるしながら読んでいました。前が壁で良かったと思います。

いい本だったので、原作が非常に気になり読み始めました。自分は文字一つ一つが使われている意味まで考えながら読んでいるので、読書すきなんですが、非常に読書に時間がかかるのが難点です。二日かかってようやく半分の100ページくらいまで来ました。

読み始めたところでふと、日本のテレビはアメリカで起きたことが20年後日本で起こる。アメリカの真似をしなければ。つまりアメリカは優秀だと言っていたことを思い出しました。唯我独尊の国民から学ぶ?と疑問符が付いてしまいました。現に資本主義の暴走を助長していた企業を肯定する記述もありますが、組織作りをする人は押さえておかなければいけない基礎があると思います。

「この組織が何か」が大切ではない。「この組織は何をなすべきか」「機能は何か」が大切である。

「我々の製品やサービスにできることはこれである。」ではない。「顧客が価値ありとし必要とし、求めている商品がこれである。」が正しい。

これは企業でも、まちづくり、教育、政治でも同じことが言えるのではないかと思います。ある意味では「忘己利他」。自分がやりたいことをやるのではなく、他人の求めに応じ行動する。

今社会にはちゃんと「マネジメント」ができる人材が少ないですね。ドラッカーを師と仰ぐ人や、その弟子や、その関係者から教えを受けた人もいて、そういう人たちは自分のやり方に自信があることでしょう。ただし、間違えてはいけないのは本文中で賞賛しているGMなどでさえ、倒産する時代。今までやってきたことをそのままやっても役に立ちません。書籍からエッセンスを取り出し、現代にアレンジする必要があると思います。

大事なのは問題を掘り下げること。表面的な事象やデーターに惑わされない。ドラッカーの本もきっかけにすぎません。そこに答えは書いてないのですから。大事なのは気がつくことです。

そんなわけで自己分析を始めたら、イメージマップができたのですが、手書きの図はとてもお見せできないので文字だけ引き抜きます。

やりながらこれは小学生のころ学校帰りにやった連想ゲームと同じだなと脱線していました。(他の遊びはこちらから)○○といえばゲーム。シマウマといえば白黒。白黒といえばパンダ。パンダといえば笹。というゲームが好きでしりとりよりも一生懸命やった記憶が思い出されます。この脱線が思考の幅を広げるのだとすれば悪くありません。

とはいえ、せっかくみえだぶろぐを読んでくださっている方には、脱線では申し訳ないので、イメージマップを直線で書いてみます。本当は戻ったり横にそれたり、ぐるぐるしたりしながら進むのですが、図を起こすのが面倒だったので。

生きる意味は何か?
人々と楽しく暮らしたい。
  ↓楽しく生きるとは何か?
生き生きしている。
  ↓生き生きしているとは何か?
生きている実感がもてる。
  ↓生きている実感がもてるとはどういうことか?
自分のやりたいことができている。
  ↓自分のやりたいこととは何か?
自分の知識、経験を高めていく。
  ↓高めるためにはどうしたらいいのか?
他人の知識、経験とふれあうこと。
  ↓ふれあうためにはどうしたらいいのか
他人との接点を多く持つ
  ↓多く持つためにはどうしたらいいのか
コミュニケーション能力が必要
  ↓どうやって能力をつけるのか
  本を読む  失敗をおそれず経験する(ここで考えが止まったので振り出しへ)
              ↓経験すれば人々と楽しく暮らせるのか
これだけではできない
  ↓ではどうしたらいいのか
人とともに行動する
  ↓共に行動するためにはどうしたらいいのか?
他人の考えを知る
  ↓他人の考えを知るにはどうしたらいいのか?
コミュニケーション能力が必要→他人との接点を持つに戻るからループ
ループしたので人と共に行動するためにはどうしたのかを考え直す
他人に奉仕する
  ↓他人に奉仕するとはどういうことか?
人に喜んでもらえることをする
  ↓人に喜んでもらえるとはどういうことか?
自分ができて他人ができないことをする   他人の考えを知るに戻る
  ↓自分ができて他人ができないこととは?
万人に共通することはできない。特定の人ならできる。
  ↓特定の人とは誰か?
周りの人
  ↓周りの人とは具体的に?
友達、ご近所、家族、内山先生関係、仕事関係・・・
  ↓この人たちに喜んでもらうにはどうしたらいいのか
自分が持っている知識、経験の共有・放出
  ↓それぞれの人たちについて具体的に何ができるのか
  ↓また、その人たちに一方的に与えるばかりでよいのか。もらうモノはないのか

友達←内山哲学を教える
友達⇔同じ時代を過ごしたことでの共感。ストレス軽減

ご近所←PC,科学技術への知識
ご近所→生活の知恵、住宅の修理

家族⇔やすらぎ
家族←PC、機械の知識
家族→ファッション、音楽、芸術の知識

ここから上野村に思考が移行するので、項目だけあげておきます。

  • 上野村の問題は何か
  • 人口減少、少子高齢化
  • なぜ減るのか。なぜ高齢者しか残らないのか。
  • 問題の本質は何か
  • 本当に裏付けることができるデーターは何か。そのデーターは本当に正しいのか。
  • 役場は何をするところか。
  • 役に立つ場。役に立つとは何か。
  • 自分が貢献できることは何か。
  • どうしたら日々の仕事が楽しくなるのか。
  • 足りない能力は何か。
  • 自分の役割は何か。
  • 結果が出ないのは需要と供給が会っていないから。

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2012年3月 3日 (土)

榎田竜路さん「モノの見方を変える」@高崎CIP卒業式

昨日高崎市のホワイトインで行われた高崎CIPの卒業式「まちづくり未来会議」が開催されました。高崎CIPは高崎田町屋台村恋文横町の主宰である本木さんから最初に説明がありましたが、地域に必要な人材を育て、地域で商売をしてもらうための応援をする組織です。受講生が高崎田町屋台村で店長やすもの食堂の運営などに携わっていました。

最近、第1回の上野村シンポジウムのメンバーとよくお会いしますが、皆さんのご活躍ぶりがすごいですね。自分も負けていられません。

そんな第1回にお越しいただいた榎田さんのお話が良かったので、例によって自分のメモを元にご紹介したいと思います。以前は映像表現のテクニカルなお話が多かったと記憶していますが、今回はすとんと自分の中に入ってきました。それだけ自分も成長したと言うことでしょうか。

「コミュニケーションの本質」をどうとらえるか。映画に携わる中で「映像言語」という概念にたどり着いた。

「モノの見方を変える」
スティーブンジョブズはなぜ日本にいないのか。黒澤明を始め昔はいた。10年前に映画の世界に引き込まれるまでは自分も素人だった。ところでみなさんメディア(media)の単数形がわかりますか?皆さんよくご存じのステーキの焼き方、ミディアム(medium)です。中間という意味と媒体という意味があります。つまり何かと何かをつなぐ媒体がメディアです。

「この国の課題」
よく省庁の人たちに補助金を出しても中小企業はなぜ活性化しないのかと聞かれる。そんなの知らんし、自分は中小企業に興味がないといったら、そんなこと言わないで友達だから教えてくれと頼まれて、中小企業を全国各地で見て回ることにした。

「日本はリソースの宝庫」
これほどリソースにあふれている国は世界を見回してもどこにもない。しかし資源は流通させないと価値がない。私は今ここにいるが、今まで私を知らなかった人にとっては存在していなかった。知られていないのは存在していないのと同じ。知られる努力が必要。普通の人はやり方を知らない。映像技術はあるが、社会に活かされていない。イノベーターが育たない。でる釘は打たれる。

「フォロワーシップの存在」
ジョブズのすごいところはiPodを作ったことでも、iPhoneを作ったことでもない。iTuneを作ったことがすごい。それまで音楽はウォークマンなどに録音して持ち出すしかなかった。これには60分の音源なら60分かかる。しかし、それをダウンロードにより瞬間的にできるようにした。私たち本職から見るとあれは音が悪い。しかし音が多少悪くても、時間が早いほうがいいというユーザーを取り込み、一つの文化を創った。文化を創った者が勝つ。

「コミュニケーション」
物事に新しい関係性を見いだし、価値化すること。コミュニケーションというと他者へのアプローチを考えてしまうが、自分へのアプローチが大切。よく行政の人たちは発信はしているはずなのに、観光客が来ないとぼやいている。発進力が弱いのではなく、受信力が弱い。打ちっ放しでは意味がない。自分たちがどう評価されているかわかっていない。

「想定外の震災といいながら想定内のシステムで対応しようとしている」
本当に未来を作りたいのか。それなら僕は全力で力を貸す。でもそうとは思えない。
メディアは情報を出すだけではない。媒体。被災地と未来をつなぐ媒体。

「『でんでんこ』の教え」
でんでんこ、てんでんバラバラにという意味である。津波が来たときに第一避難場所に集合したが、ここも危ないと先生が感じ、集まらなくてもいいからでんでんこに逃げるよう指示を出した。結果全員が助かるのだが、先生曰く本当の意味のでんでんこではなかったという。でんでんこなので集まってはいけないのだが、中学生が小学生の手を引いたり、おんぶしたりしながら、泣きながらも避難した。それに対して先生に僕は伝えた。それはでんでんこの進化ですと。同じ形の維持ではなく、進化を遂げたのだからすばらしい。

「日本の底力」
被災地で信号がないから危ないと言われた交差点がある。思いがけず通った時にここで渋滞にはまるのかと思っていたら、信号があるよりすんなり通過できてしまった。なぜなら信号がないので、みんなが譲り合うことから。こんなことができるのは日本だけ。

「手間ひまの勝利」
未曾有の震災の中でも高級な漆塗りの食器、桐箪笥の中の和服は無事だった。日本の技はすばらしい。

「戦争に比べたら津波くらい」
戦争に比べたら津波などたいしたことがないと、おじいちゃんおばあちゃんが大活躍した。

「大切なものがわかった」
3週間前に改築した工場を失っても笑顔。なぜならそれより大切なものを見つけることができたから。肉眼を信じちゃだめ。映像で見るとよくわかる。肉眼の方が優秀だったら事故は絶対に起きない。

「モノの考え方を変える」
なぜ大人は進化できないのか。それは「モノ」の見方を変えられないから。だいたい世の中は3つの構成要素からなっていると思う。

モノの三擬態

  • モノ(もののけなど)
    現代社会は物質にのみ注目してしまう。だから失敗する

これは脳の本質だが、

  • 本質を再構成する
  • 本質にアクセスする
  • 表現伝達する
    みんな本質を再構成(考え直す)ことはするが、それを表現伝達(行動)するところまではしない

文化を創った方が勝ち。普通の学校で映像教育をやってもいいと思う。映像系の大学ばかりではなくて。

映画のキャラクターの作り方として

  • 考え方(処理系)
  • 感じ方(入力系)
  • 伝え方(表現伝達)
    考えを変えたという人が、3日経つと元の考え方に戻ってしまうことが良くあるが、それは考え方は変わっても感じ方が変わらないから。すぐに戻ってしまう。

「クレーマークレーマー」
という名作があるので是非見てもらいたい。主人公のダスティン・ホフマンは仕事人間で仕事しかしてこなかった。そんな彼に嫌気をさし、奥さんが出て行ってしまう。小さい子供と二人暮らしになって、子供を食べさせなければいけないとは思って料理をするがとてもひどい有様。なぜなら彼にとってそれは価値のないことだったから。その後息子への愛情も芽生える中、奥さんとの親権訴訟が始まる。すぐにハッピーエンドとならないのが映画のいいところ。

「市場の本質」
顧客と価値観の共有。言語を共有する。例えば「B級グルメ」という言葉が共有されるようになると、隣のおばちゃんが普通に売っていた焼きそばがレトルトパックで売られるようになる。

「快の共有」
快というとすぐに「快楽」を想像してみんなにあけてしまう。今更隠したって遅い。でも快は「こころよい」である。気分よく仕事をする。よく観光課の職員が観光客が来ないと嘆いているが、それは観光課が暗いからである。女子高生が帰り際にちょっと立ち寄りたくなるような雰囲気の観光課であれば、自然と観光客も増える。楽しいことには罪を感じてしまう。でも楽しくなければいけない。

  • 性格の明るい人 脳内でドーパミンが常にでて海馬や扁桃体を刺激する。その結果記憶を司る海馬と扁桃体が刺激されているので脳梗塞などから立ち直りやすい。
  • 性格の暗い人 脳内でアドレナリンとセロトニンが分泌されるがドーパミンが少ないので、病気の際死に至る。
  • 快を感じる力が強いと結果健康になれる

能力の高い人間とは

  • 「快」を感じる力
  • 正解に「快」を求める傾向
  • 「快」の多様化
    が備わった人である。東大卒を全部否定するわけではないが、彼らは震災では何の役にも立たない。なぜなら彼らは、正解に「快」を求める傾向にあり、問題を解く力は優れているが、問題には必ず解がある。震災のように解のない問題では全く役に立たない。

人を動かすのは

  • 共感 Presense Skill
  • 同調 Narrative Skill
  • 共有 Delivery Skill
    この3つを同時に刺激する。可視化することで同調を簡単に生み出せる。省庁の報告は伝言ゲーム。国が地方(県)へ、地方が市町村へと。それより自分で言って撮影してきた方がどれだけ早いことか。

映画ではよく、序、破、急モデルが使われる。以降説明時間がないので、全部簡単に紹介する。その制作手法で企業紹介VTRを作ったらボーイングから受注が来るようになった。向こうは映像を見ているので、説明の手間が省ける。

コントロールとクレディビリティーはトレードオフの関係にある
PR Public Relation 名刺交換した程度のつながり。突然電話されたらびっくりする。
PE Public Engagement 人と人のつながり。つながりが大切なのだから、困っているときは頼みにくるが、儲かったらもう来ないというのは、ふざけているんじゃないかと思う。

作る人、売る人、買う人の関係から
目的を共有して行動する関係へ

発信は不特定多数から特定多数へとシフトさせる

人の空想を引き出す(人の空想が人の本質)

空想を制するものは世界を制する(レーニンなど例がたくさんある)

情報説明とタイトル。ただ写真を見せるよりもキャプションをつけてあげることでより写真が引き立つ。

組み合わせることで成長する。情報伝達を一人で行うのではなく、グループを作る。

映像言語は脳のいろいろなところを活性化させる

モノの見方を変えないといけないギリギリの所に来ている。しかし変わらなくても今まで何千年と人類は生きてこられたと思うかもしれない。しかし実際には新しいコミュニケーション能力をつけた人が生き残る。

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2012年2月22日 (水)

自己紹介

上野村に来てもうすぐ3ヶ月が経ちます。あいつは何者ぞと思われているようなので、少し自己紹介をしておきます。(気になるなら遊びに来ていただきたいところですが、自宅にいないことが多く申し訳ないです。)

三枝孝裕(みえだ たかひろ)

昭和56年4月14日 栃木県佐野市生まれ 30歳 O型

学歴:佐野市立界小学校、佐野市立南中学校、私立國學院大學栃木高等学校、国立群馬大学工学部応用化学・材料工学科

職歴:基本的に自由人、売れるより配る方が多い物書き、群馬県庁の外郭団体で脱臭装置の開発、群馬大学工学部非常勤講師、製麺業(家業)の3代目など何が本業かいまいちわからず。皆さんにお世話になりながら仕事をしています。

仕事への姿勢:おいしい物をもらえるとがんばります。

上野村にきたきっかけ:第1回新たなる多数派の形成をめざす上野村シンポジウムを気に入って。

得意分野:専門でなくても何でもやります。自分のペースでできる仕事は得意です。
苦手分野:できないことはできるようにしますので仕事の不得手はありません。群れること、お掃除は苦手です。

好きな食べ物:甘い物。
嫌いな食べ物:トマト、漬け物、臭いのきつい野菜

プライベートの活動:基本的に寝ています。たまに師匠内山節先生のおっかけをします。

まあ、こんなところです。

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