カテゴリー「文化・芸術」の15件の記事

2012年11月18日 (日)

【イベント情報】上野村在住の哲学者 内山 節さん と一緒に お正月用お餅つき大会

上野村在住の哲学者 内山 節さん と一緒に お正月用のお餅をつこう! !
昔ながらの杵と臼でお餅をついて本物のお餅でお正月を迎えよう!!

集合場所・時間:三岐学生の家10 時集合
            (お車はしおじの湯に駐車して下さい。)
          10 時半 餅つき開始 15 時頃終了予定
雨天決行

先 着:餅30 枚分(1枚あたり餅米2升使用)
要予約:12 月17 日(月)締切

昼食は地元料理(つきたてのお餅、あったかい豚汁など)を味わっていただき
食後は秘湯“しおじの湯” で入浴をお楽しみください。

参加費(当日集金)  ※ 小学生未満無料
  村外 1 人 1,500 円 (昼食料、しおじの湯入浴料、保険料、消費税込み)
  村民 1 人 500 円 (昼食料、保険料、消費税込み)
  お持帰りの餅1 枚につき 2,500 円(1 枚あたり餅米2 升使用)
  ※上野村民の方は、餅米の持込みも可能です。
   その場合、餅米を磨いで水に浸したものをお持ち下さい。(2升単位でお願いします) 餅代は値引きさせていただきます。

今年もやります! 上野村のケーキパーティ
餅つき後に持寄りのケーキパーティを開催します! !

今年はクリスマスイブということで、忘年会を兼ねてケーキパーティを開
催します。村内のお菓子づくりが得意なみなさんがケーキを持寄ります。
差入れも大歓迎です。 参加ご希望の方は、お申込の際にお伝えください。
参加費500 円 18 時終了予定

12 月23 日(日)、24 日(月)に宿泊をご希望の方はご相談ください。
村内の民宿、ホテルなどをご案内いたします。

内山 節(うちやま たかし)プロフィール
1950 年東京生まれ。哲学者。1970 年代に入った頃から、東京と群馬県の山村・上野村との二重生活をしている。著書に『「里」という思想』『怯えの時代』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『清浄なる精神』『共同体の基礎理論』など多数。NPO 法人・森づくりフォーラム代表理事など。上野村では畑を耕し、森を歩き、自然と親しみながら暮らしている。

主催:上野村、おてんまの会(上野村のボランティア団体)
お問合せ・お申込み 上野村 森の体験館(産業情報センター)まで
TEL 0274-20-7072 FAX 0274-59-2520

2012mochituki

餅つきは練りが7割、つきが3割ということで、ベテランさんの餅つきをご参考になさってください。

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2012年5月 8日 (火)

ローカルとグローバルとファシズム

 どうも皆さんお久しぶりです。ブログも書かなければいけないと思っていたところにお師匠さんから「ローカリズム言論」をいただきネタができたので書き始めます。

 今自分は群馬県上野村に越してきたわけですが、本当にすばらしいところです。水道管が破裂すればご近所が駆けつけて壁まで壊して直してくださり、下界に出かけている間に大家さんが庭に畑を作ってくださり、そこにはお隣さんがジャガイモを植えてくださる。そして米を買いに行けば、タケノコご飯をもらってくるなど、あげたらきりがありません。

 確かに最寄りのコンビニまで30分、冬季には気温がマイナス10℃だったりと、自然環境は厳しいこともありますが、だからこそ春の喜びがわかったりします。

 自分はずっと科学(化学)系にいたわけですが、(かがり火 144号参照)自分が求める問い「人はどうやったら幸せに生きることができるか」には全く役に立たないというのが勉強すればするほどわかりました。確かに原子力発電所の仕組みやデジタル回路の制御などは理解できます。でもそれは村にいると本当に何の役にも立たないことを思い知らされます。

 上野村は下の村ではないので山の中です。そうすると外にいる人はのどかな山間の風景を思い浮かべると思いますが、確かに見た目にはそうです。でも実際には違います。上野村の春は短いので、草木は一生懸命花を咲かせ、蜂は花々を飛び回り蜜を集め、ありも食料を貯め、鳥はさえずり相手を探し繁殖するのに忙しい。村人も祭りや農作業などに忙しいのです。暇なのは畑の知識も野草の知識もないので何の役にも立たず、ただそれを見つめるしかできない自分と観光客くらいのものです。

 蜂などを見ると都会の人は危ないとも思われるかもしれませんが、この時期は蜜を集めることに忙しいので、人間と戯れるような暇な蜂はいません。刺されたとすればよほど人間の側がちょっかいを出したので、じゃまにされたからでしょう。

 上野村は国家戦略の中で、田舎=遅れたところとされてきました。実際、そう未だに思っているご年配も多い。でも実は逆です。上野村は最先端を守り抜いてきたのです。国家にあらがったからこそ、今、山歩きツアーなどができるのです。そういう先人たちの苦労に感謝し、活かされていることを実感します。

 国が田舎を遅れた所としようとしたのには訳があります。一部の権力者が完全に統治できる国家つまり中央集権国家を作るために、田舎から都市へ人を集める必要がありました。当然国に頼らなくてもそこだけで生活が完結してしまう田舎の存在は目障りです。国家の管理下にすべてを治めたいが故、田舎より都市の方がすばらしいという幻想を抱かせ、田舎を否定し続けてきました。

 そんな支配者たち思いが功を奏し、今は国に頼らなければ何もできないうんざりとした都市ばかりになってしまいました。自分は今まで下界にいたわけですが、知れば知るほどこのままでは「都市が崩壊する。共倒れになる」と感じ、たまたま知り合った上野村に避難してきたわけです。本当に上野村はいいところですが、それだけに都市との共倒れだけはなんとしても回避しなければなりません。

 一時期、お金さえあれば何でもできると言っていた人がテレビに良く出ていましたが、それは国家が通貨を保証するという前提に成り立っています。国家が破綻すれば通貨はただの紙切れでしかありません。そうなっても上野村を始め、過疎地は生きていけるでしょう。しかし国家はそれを許さない。自分たちだけが豊かに生きていることをメディアを駆使して、全力で否定してきます。田舎が遅れた所でそんなところに住むのは野蛮だぐらいのステレオタイプでは許さないでしょう。幸い上野村は内山節派が応援に来てくれるので、理論武装できるから対抗できますが、他の地域は自立できる能力があったのに共倒れにさせられる危険があります。

 本来はこういうことを食い止めるために政治家がいるはずなのですが、皆さん学校で優秀に勉強をされてきたので、国家の洗脳の延長線上にいます。日本で地域のことを考えていた政治家は田中角栄くらいのものでしょう。賛否両論あると思いますが、それだけの仕事をしたのですから、それなりの対価を受け取る権利はあると思います。群馬なんか4人も総理大臣がでているのに、高速道路にしても新幹線にしても新潟のおまけで通っているようなものです。政治家の皆さんが思っている俺が国家を良くすると言うことが幻想なのです。「俺が」と思っているといつの間にか権力者によって支配されてしまいます。

 実際、自分も専門家であれと教育されてきました。だから学位が大切だと思ってきました。大卒で終わってしまったことにコンプレックスがあります。これだけ内山先生の話を聞いていれば論文出して博士もらえるのではないかと思っていました。最近ようやく実はそれは本質からはずれていることに気がつかされました。博士を取ることが目的になってしまっていて、本当は師匠の話を聞いて自分が何を考え行動するかの方が大切なわけです。

 この(権力者の暴走の)流れにあらがうにはどうしたらいいのかずっと考えていました。お師匠さんの本や説法を直接伺いながら思うのは、抗ってはいけないのです。大切なのは違いを許容すること。相手と自分は違う。まして自然は思い通りにならない。自然を制御できないのと同じように、人間だって完全には統治できません。我々は常に関係性の中で活かされています。関係性を意識した社会においてはすべての答えがおのずから導かれます。

 上野村の財産は「人」である。本当に観光だけで帰ってしまう人がもったいないと思います。今のうちから関係性を結んでおかないと、共倒れになってしまいます。

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2012年1月31日 (火)

【イベント情報+UST】第4回新たなる多数派の形成をめざす上野村シンポジウム

東日本大震災から未来へ
-培ってきたものの再評価、新しいものの創造-

 東日本大震災から一年近くがたつ2012年2月4日と5日、これからの社会をどのようにつくっていったらよいのかを、群馬県の山村、上野村から提案する全国シンポジウムを私たちは開催します。今回の震災をどのように教訓化したらよいのか。復興のためにどんな行動をし、日本の社会をどうつくりかえていけばよいのか。自然や人のつながり、地域の文化を大事にしながら生きてきた上野村の地こそが、未来を語る最適地であることを確信しながら、全国の多くの人たちと議論できる場を私たちは創造します。
分科会テーマ

パネルディスカッション・コーディネーター
  内山 節(哲学者)

  • 新しい産業は懐かしさから
      吉澤 保幸(場所文化フォーラム代表幹事)
  • 上野村は行動する!
      神田 強平(上野村村長)
  • 地域文化が未来を作る
      田中 幹夫(富山県南砺市市長)
  • エネルギーを自分の手に
      鈴木 悌介(鈴廣かまぼこ株式会社副社長)
  • 環境と向き合う視座
      篠上 雄彦(新日本製鐵株式会社環境部)
  • 集いが地域を作る
      本木 陽一(高崎CIP)
  • からだという自然に学ぶ
      山上亮(野口整体・整体ボディワーカー)
  • 原発事故と向き合う
      芳賀 智美(福島県自然食レストラン「銀河のほとり」)
  • 自然から価値をつくる
      高橋 隆(神流町「田舎暮らし体験処 木古里」)
  • 都市と農山村の垣根をはずす
      黒澤 美穂(上野村yotacco)
  • その他パネリスト
      木内 孝(株式会社イースクエア)
      神津 多可思(リコー経済社会研究所)

2月4日(土)

13:00 開会
      「上野村の、旧きゆかしき婚礼の儀」上映
13:15 パネルディスカッション
      各分科会パネリスト
      コーディネーター 内山 節
15:15 休憩
15:30 分科会
17:30 分科会終了
      ホテル・ヴィラせせらぎへ移動
      自由時間
19:00 懇親会
  ヴィラせせらぎ河原にてどんどん焼き
21:00 懇親会終了

2月5日(日)

 9:00 分科会報告・全体討論
11:50 全体討論終了
12:00 閉会
13:00 おまけ(希望者)
      「上野村村長さんと座談会」
      まだまだ話し足りない人、村長さんとじっくりお話ししたい人、上野村の今後が気になる人は村長さんとざっくばらんに話をしてみましょう!!

上野村公式Youtubeチャンネル
http://www.youtube.com/user/UenoVillageOfficial/

会場:上野村小学校音楽室
懇親会会場:ホテルヴィラせせらぎ
宿泊先:ホテルヴィラせせらぎ他
参加費:無料(宿泊、懇親会は別料金)
申込先:上野村役場企画財政課 TEL:0274-59-2111 FAX:0274-59-2470

どんどん焼きで、天神待ちの夜ごはん!

上野村の伝統文化に触れよう。
2月4日の懇親会では、「どんどん焼き」を体験しながら、今はなくなってしまった「天神待ち」という行事の際の食事を再現します。
上野村の文化に触れながら地元の食材にこだわったおごっつぉを楽しみましょう。

どんどん焼きってナニ??

 道祖神信仰のある上野村では、小正月に道祖神焼き祭り、どんどん焼きが行われています。道祖神はムラの入口や境に祭られていて、ムラの外から遅いくる疫神悪霊などをムラ境や峠、橋のたもとなどで防ぎ、守る神と信じられています。
 どんどん焼きでは、正月飾りや達磨、書き初めなども燃やします。また米粉で作った「繭玉」を枝に刺してあぶって食べます。「どんどん焼きの煙に当たると風邪を引かない」「繭玉を食べると身体が丈夫になる」「書き初めをくべて高く上がると書の腕が上がる」などと言われています。

天神待ちってナニ??

 1月24日が天神待ち、25日が天神講です。子供たちが米を持ち寄って近所の家に泊まります。宿の家で天神待ちをするのは、米だけの飯は物日でなければ食べられない時代にあっては子供にとって楽しい行事でした。醤油飯や缶詰飯、うさぎ飯などと、福神漬けか生姜くらいのおかずで食べました。食事の後、奉納天満天神宮と一点一画ずつ代わる代わる唐紙に書き、翌朝早く唐紙を天神様にあげに行きました。この日は夜更かしも許され、夜遅くまでトランプやかるた、双六、とっこ等で楽しい時を過ごしました。

当日は4日と5日の全体会のみ以下のUstreamで生中継します。

http://www.ustream.tv/channel/10296071

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2011年8月 8日 (月)

農文協 読者のつどい2011 【哲学講座】 第二講

危機とはシステム崩壊のこと。地震は古代から生活や労働システムが壊される。これは今日も同じ。今回の震災で東京のシステム崩壊は若干起きて終わった。鉄道が止まる。電気が足りなくなる。帰宅難民が一日でた。

東京で起こる予想の地震では公共システムも崩壊する。情報システムも壊れる。すべては電力システムの崩壊から始まり連鎖していく。土がない世界ではお手洗いが大変。関西の時は水、食料は2~3日ですぐに届いた。つまり2~3日分備蓄しておけば間に合うことになる。お手洗いは大変。僕は上野村があるから何とか交通手段を見つけて脱出すれば問題ない。最悪直線距離で100kmくらいだから何日か歩けばつくだろう。でも高層マンションや都会の公園ではそうはいかない。

自然が支援装置になっている。村人たちも助けてくれる。共同体と自然が護ってくれる。この二つがない都会でシステムの連鎖崩壊が起こったら大変なことになる。

共同体は人とのつながりだけではなく、自然とのつながり、技術もあった。今の社会は専門家でないと対応ができない。今回想定外という言葉がよく使われた。原発は最大80年くらい修理しながらも使える。80年もあるのであれば、大地震や戦争だってあるかもしれない。想定があることでシステムが作られる。すべては想定に基づいてシステムが設計されている。年金がピンチになっているのはシステムが想定と会わなくなってきているから。今までは右肩上がりで経済成長し、こんなに未納者が多くなるとは思っていなかった。システム設計値を作り直さなければいけない。個人でも同じでこれだけの収入があるからということで住宅ローンをくむ。農家がトラクターを買うのにお金を借りるのも同じ。会社がつぶれたりすれば、想定が変わり、システムが破綻する。

システムはそういうモノだとはっきり見た方がいい。すべては想定が会っての話。巨大システムになると専門家でしか動かせない。普通の人が排除される。専門外の人が入れないシステムでは、普通の人は受益者になるか、被害者になるしかない。(この部分を改良したら良く育つなど)干渉して良くしていくことなどはできない。この構造自体が危険なシステム。専門家たちが軸になるということは、専門家の視点からモノを考えられない偏った人たちが集まると言うことになる。すばらしい知見を持った人ではない。そういう発想でしかものを見られない。専門家は絶えずその視点で見る。農民だって農業という専門家だが、そこには共同体や自然などが入るので視点が広がる。違う世界の人といかにつきあうかが大切。今だと農民だって消費者とつきあっている。狭い範囲で語ると同じ意見が出てきて、専門家の暴走を生む。

危険とはどういう概念なのか。放射能とか化学物質とか。世界が危険というのは動物実験をしてガンが出るなどの症状が現れたモノを危険としている。それでいいのか。埼玉大学の食品添加物の研究をしている人。最初に危ないと言ったのは豆腐に入っているやる。我々が小さいころは豆腐はすぐに腐ったので、鍋を持ってその日のうちに買いに行った。しかしそれが日持ちするようになった。厚生省に危険だと申し出た。マウスに供与すると高い確率で胃ガンが発生した。しかしなかなか取り入れてもらえなかった。なぜならば流通にとっては画期的なことだから。今まではおいておけなかったモノが、長期に陳列できるわけだから。その後これに変わる添加物が開発されたことで、禁止になる。胃ガンは国民病だと言われた。それが禁止にされて胃ガンの発生率は欧米並みになった。

しかしその先生はそれを危険とは言っていない。危険とは人間の予測できないものだ。ネズミが死ぬようなモノは超危険物質だ。腐敗は死にも至るわけだが、ずっとつきあってきた。五感でわかる。まず、酸っぱい臭いがして、色が変わる、それでも判断できなければちょっとなめてみればわかる。だから危険とは言わない。最近では賞味期限がついて判断できない人が出てきたので、それは危険。

専門家といってもある角度からの専門家。安全だと判断されていたモノも別の角度から見たら危険だということは多々ある。天然の放射線は絶えず浴びて、体は自動的に修復してきた。しかし人口のモノは相ではない。つきあってきた歴史があまりに短すぎる。つまり、すべて危険になる。

専門家しか若菜内のは非常に危険な世界。大きなシステムも同じで自分で判断できないのは危険な世界。今の巨大システムは一つのシステムが崩壊すると連鎖崩壊してしまう。国に頼っていると震災対応もあんなもん。東電から経産省、国へとあがってくるデーターを見てしか判断できないわけで、それが一つでもおかしくなればシステムが機能しなくなる。

東電は広告を打つ必要はない。なにしろ消費者は他の電力会社がいいと言っても選択肢はないのだから。年350億円も使っていた。ある種のマスコミ買収費。経済の専門家は東電自体の問題よりも、年350億円使われないことが問題だと言っている。

東電の講演会はお金をもらう方からしたらいい講演会。1回100万からランク付けされている。自分は自然の良さしか言わないでいい。何を言ってもかまわないが、原発にふれないでさえいれば100万円。こんなクリーンさを守れるのは原発しかないとして、原発のクリーンさを第2部として東電社員が話す。東電は送電線も作っていないし、電気料金も直接社員がはかりにくるわけじゃない。そういう工作ばかりを社員がやってきた。

関係を修復しながら生活できない場所を作った。30年は入れない土地を作った。原発は風評被害は存在しない。風評被害とは農文協の社員一人がけんかをした。これが全社員がけんかをしたとなること。しかし原発はどこまでが危険かわからない。危険値はかわり、今まで安全だと言われていた値だって我慢しようという値になってしまっている。

こういう世界で生きている人たちを守らなければいけない。僕は購入券だけ買えばいいと思っている。商品自体は交換しないけれど、受け取ったこととして代金を支払う。これで農家にお金が入る。漁民であれば、これしかとれなかったということであれば、3倍の値段で復興支援費をかねて払ってもいいと思う。しかし原子力の場合は汚染された可能性があるとすると食べたいと思わない。人間的な思い、支援ができない。

今までの延長線上では対応できない。残念ながら土地に戻るかということもある。今までなら残った人たちが戻り、新しい人を連れてきて、再興ができた。しかし原発地域ではそれができない。新しい関係を創造するしかない。新しい関係を創造するしかない。

土地を持たない市や町が発生した。台帳の上ではあるけれども、立ち入り禁止。バーチャルの市町村。ネットワークの都市。それであれば僕が作ってもいいのかという話になる。一時的に特例とするにしても、20~30年は長いし、そういう状態でいいのか。

住民票があっても、違う都市に住む不便。そうなると住民も減っていくだろう。最後に残るのはどうにも行きようのない人と最後まで粘る人だけだろう。もし人口がゼロになれば市町村は存在できない。そうなるとその土地は誰が管理するのか。近隣市町村との合併だろうか。初めてのケース。

バーチャル市でいいのか。一面では私たちもバーチャルの世界に生きているから問題にしている。原発あるのは知っていたけれど、あんな事故を起こすモノだとは思っていなかった。原発は遠いモノ。イメージの世界に生きていた。

欧米に追いつけ追い越せと言うのは途上国的思想。その当時日本は途上国だと思っていた。先を走っているなら追い越せとはならない。江戸期にはいい文化を持っていた。追いつけ追い越せというイメージを明治時代に作った。戦前の日本には列強に追いついたというイメージがあった。植民地とか。それが変わったのが関東大震災。今でこそきちんと並んで支援物資をもらい、暴動も起こらず偉いと賞賛されているが、関東大震災では略奪などがひどく、軍が戒厳令を出して巡回していた。

そこではいろいろな風評被害が流れた。例えば朝鮮人が井戸に毒を入れているといったものである。それをそのまま読売新聞が伝えてしまい朝鮮人大虐殺につながった。3000人くらいの。警察署に囲っていると聞いたら、警察署すらおそった。日本人がいつでも美徳を持っていた訳じゃない。列強に追いついたときにはそういうことをしている。

なぜ今暴動を起こさずにちゃんとやっていけるのかを考えてみたい。バブル以降我々の社会はどこかで間違ったのではないかという思いがあった。そういう動きが広まっている中で震災が起こったとすべきではないのか。100%システムに入っている人がシステムを作り直すのは難しい。一つの文化の中で暮らしている人から新しい文明が出てくることはなかった。新しい文明は常に文明の狭間にいた人。初めて機関車を見た人は驚嘆する。それが毎日見ている人には感動がない。驚嘆することが新しい文明を作る。旅に出ることや、都市と農村の交流、過去を知るなどによって新しい価値観を得る。

私たちの社会は境界線に向かって歩いていた。大きく歩く人もいれば、小さな一歩の人もいる。でも向かい始めていた。システムの中にいる人にはシステムを見直すことができない。消費社会を批判していても消費社会の中にいればそれに頼らざるを得ない。

原発は安全か安全でないのかの議論はしたくない。少々のトラブルはあっても安全だとなるとそれに反論が出てきて、無限の論争になってしまう。原発は最終的に止まるかもしれない。それは安全性の問題ではなく、コスト論で最終処分まで考えたら会わないからという可能性はある。

広島、長崎の被爆経験があるだけに、核の平和利用にはあこがれがあった。軍事はいけないが、平和利用はよい。政府に批判的な竹谷ですら原子力を推進していた。そういう時代だった。反政府的知識人ですら賛成していたのだ。

そういう歴史を経て、原発の事故を得た。こういう形で人々のと生活を、思いをつぶした。そういう形で社会を作ってはいけない。等身大の人間たちの営みの中で迂回路ができないなら、すべきではない。安全、安全でないから脱原発なのではない。今までは死を遠ざけていた。死を覚悟する、覚悟することが未来。そういう形でしかつかんでいけない。決して生きる世界だけ喜びを感じていた訳じゃない。そういうものをどこまで戻していけるか。いかに大きなシステムに依存せず、専門家しかわからない社会を終わりにしなければいけない。等身大の世界をどう取り戻すか。人々はそれに向けて歩み始めている。

数字しか見ていない人にはできない社会。定住とはその場所に住んでいることではなく、その土地に永遠性を感じること。そこに何世代も住んでいくことではない。今日の問題は異動先に永遠性を感じ得ないこと。移住自体は昔から行われてきた。お嫁さんは隣村からだったりするし。

新しい技術を使うときは、新しいモノにはすべてにリスクがあることを意識して作っていく。新しいモノ=バラ色の未来ではない。本来成熟した社会とはそういうモノ。これができたらバラ色は途上国型社会。

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2011年2月 5日 (土)

ゆいの家移転記念 内山節先生講演会

ゆいの家がリニューアルオープンした記念に内山先生の講演会がありました。その模様を例によって自分のメモを元にお伝えいたします。聞いたままではありませんことご了承ください。

高石さんからは「新たなる時代とは」というテーマをもらったので、僕とともにあった時代からこれからを考えたい。僕自身の印象としてはこの60年で日本の印象はずいぶん変わった。世界の中でも変わった方だと思う。

僕は生まれは東京都世田谷区。当時は農村だった。戦前から住宅を建て始めた。小学校の終わりにはほとんど住宅でいっぱいだった。元からの人は商店や左官職人、大工をしていた。消防や役場も元から住んでいた人がやっていた。しかし住宅地の人はどこかにつとめていく。

こんな場所だから日本の遅れを意識していた。欧米は進んでいるが、日本は遅れている。そういう時代と比べると今はいろいろなことが様変わりした。とりあえず日本は外国の物を取り入れるが、あっという間に日本独自になっていく。トンカツやコロッケ、カレーライスのように西洋から入ってきたのに完全に日本独特の料理になっているように。

最近は立教大学にいるので先日も卒論の口頭試問をやっていた。父がジュネーブ生まれでジュネーブ育ちのフランス人がきている。彼のテーマはJ-MUSIC。どんな物か聞いてみようかと1,2枚レンタルしてみようかと思ったが、演歌を除く現代音楽すべてということなのでらちがあかなかった。何しろ棚に並ぶほとんどがJ-MUSICなのだから。

僕にとっては論文が英語でつらかったということもあるが、そこは何とかごまかして読んだ。彼がいうには1950年代から日本にアメリカンポップスが入って1960年代には独自の変化が始まり、1970年には世界に出て行き評価されていく。これは日本音階と融合したからだ。ポップスの中に演歌や民謡が入る。ドレミファソを使わない日本独自の音楽。(西洋音楽と)同じように聞こえても違う。なぜなら歌詞の作り方が違うから。日本語は単語で意味を伝えることができる。たとえば「桜きれい」といえば、伝わるし情景が思い浮かぶ。しかし英文は文節にしないと意味が伝わらない。

海外で日本の音楽が評価されるようになると日本人が英語で歌詞を書くようになる。そうすると問題が起きる。外国人には聞きにくい。発音の問題もある。それだけならまだいいが、日本人が作ると(日本語と同じ感覚で)単語で切ってしまうから、意味がわからない。それも今はクールジャパニーズカルチャーとして評価されるようになった。日本には短歌、俳句のように単語で区切る文化がある。

はじめは模倣していた物が、その後チープな日本化を経て、そして独自の文化になっていく。最近ではK-POP(韓国)、C-POP(中国)などは彼曰く日本の模倣である。

日本のJ-POPはどこで支えられているのか。それは日本独特の商売にあり。日本は世界的に見たらCDが異様に売れている国である。日本でも減っているといわれるがせいぜい2割減。世界では8割減。中国は未だにCDが売れているが、それは海賊版などで異様に安く売られているから。それは例外である。

音楽消費からタレント消費になっているから。タレントの追っかけでCDを買う。中にはファンクラブに入る人もいて、ファンクラブ限定コンサートや、一般のコンサートでもファンクラブ専用に前の方に席が用意されていたりする。さらにコンサート会場ではグッズを売る。グッズの方がCDの純粋な売り上げよりも高い。ファンにとってはCDを持っていることが大切。それによって仲間意識も出てくる。それゆえ音楽自体の価値で買っているわけではない。CDを持っていることでファンクラブのようなある種のコミュニティーに入ることができる。一人で音楽を聴くのではなく、コミュニティー二はいることを楽しむ。音楽自体のできの善し悪しで買う訳じゃない。大きいファンクラブでは分科会ができていて、小さいコミュニティーができる。そしてその会の幹事もできる。それが音楽会社と折衝もする。

日本の文化に変わる。それは日本の風土性と融合していくことだ。ご飯に合う料理を作ろうとすれば、トンカツに醤油などとなっていく。戦後だけ見ると敗戦からご飯食べるのも大変な世に中。その中でいかにアメリカ的な物を摂取するか。できた物を日本化、日本へ融合していく。企業も日本の風土への融合していく。日本には終身雇用はない。欧米では新しい人から切る。勤続年数の短い方から切るのが通例。ホワイトカラーは明日から切れる契約になっているが、一般労働者は違う。

解雇にはそれなりの理由が必要というのは先進国では当たり前。最低限度の保証が必要である以外に、日本には終身雇用という法律や制度はない。企業が欧米の文化を取り入れてやっているにすぎない。そして今は企業が持ちきれなくなった。企業が日本的をやめるとどうなるのか。人間はどうやってつながるのかということを社会が模索している。バラバラに壊してしまっていいのか。

アメリカ以外の国では、何らかの形で社会を作り直さなければならないと考えている。そして対象として50年前くらいが見直されている。

最近の若者は覇気がないといわれる。留学希望者や海外勤務希望者が少ないから、昔の若者から覇気がないといわれる。でもちゃんとそんなことに価値がないので実施しないという意思表示をしている。昔は海外にいくと偉いといわれた。

また、高齢者中心に貯金にしてしまい運用されていないといわれる。でも郵便局や銀行が運用している。郵便局は国債という形で。自分自身で運用していないだけで、運用されていないわけではない。アメリカは2/3が債権。1/3くらいしか預金がない。アメリカに従い、小泉竹中時代に預金から投資へとキャンペーンをうった。自分の意志ある使い方がされていないといわれる。でもちゃんと意思表示をしている。そんな使い方をしたくないと意思を表している。アメリカの基準で見るから何で意思表示をしないのかといわれてしまう。ある基準で見れば意思表示がないとなってしまうが、実際には意思表示をしている。

今だって海外に行っていない訳じゃない。途上国に行く人はむしろ増加している。アメリカに留学してもいいと思う人が減っただけ。こういう意味でも今の社会は変動している。社会の先頭に立つとか、挑戦していくとかに興味がないだけ。今までいうような挑戦はないだけ。農村に行って農業をやりたいという人が増えている。これは大変なことであるが、挑戦しようと思ってやっているのではない。やりたいことをやるだけ。ファンという仲間の世界。

欧米を越えて社会主義にしようという時代があった。たとえば学生運動である。1960年安保闘争。その後のいわゆる全共闘時代になっていく。安保闘争の時代の学生運動は、戦前と大して変わらない大学生数。社会的には金の卵といわれた。中卒で就職列車に乗って田舎から上京してくる人の方が多かった。大学でるということはエリートであった。特に女性が大学を出るのは。家によってはまだ昔気質で、大学を出るより技術を身につけた方がいいというところもあった。

その後一気に大学に行くことが普通になり、そこら中に新設大学ができた。エリート大学生という時代は終わった。エリート大学生が保証されていた時代は、自分が優秀だから大学に行けたとは思っていない。たまたまいけただけ。本当は隣の家のあいつの方が優秀だということはわかっていた。しかしあいつは家の事情などで大学に行けず、自分は恵まれた環境にあり、行くことができただけ。そういう形で大学にきた人間はどういう形で生きるか社会的責任が見えていた。勉強したことで世の中の役に立とうというという意識。どういう社会を作るために勉強をするのか。

全共闘のころはエリートの反乱とは言い難い。普通の人の反乱になっている。このころよく使われた言葉に「自己否定」がある。何となく生きている自分がおもしろくない。大学でてどこかには就職ができる。終身雇用、年功序列があり、可もなく不可もない人生が約束されている。自分で自分に反乱を起こす。そして部落、朝鮮差別などが今も残っている中で、自分は可もなく不可もなく生きてそういうことを見ない。そういう自分を否定する。

世界的にも同じ時代。フランスでは「存在」から「実存」へという落書きが多い。日本だと存在感などとして使われ重みがあるが、欧米ではただあるだけというのが存在。ただあるだけから自分の意識を持って生きていく。

そのことは日本でも戦争責任論を大きく変えた。それまでは軍部にだまされただけで、一般人は被害者だという論調だったが、果たして被害者なのかということをこの時代問い直された。戦争反対といえない時代だったとはいえ、みんなで戦地に送り出す、戦争という祭りになっていたことへの責任。被害者であると同時に加害者でもある。いいか悪いかは別としても全共闘時代はいろいろなことを見直すきっかけになった。部落差別はどうやって我々が関わってきたのかということを見直した。私たちが傍観者であったことがいけない。女性差別にしても、俺男、おまえ女に問題はなかったのか。無意識の差別。自分たちのあり方の総点検。

安保闘争を経験した人も、終わると普通に就職して、普通の人になっていった。その後学生運動自体にも人が集まらなくなっていく。一部では人気が出るが、大多数の人からは大ひんしゅくを買う。わずか数年前は100人、200人集めるのが大変だったのが、全国に数万規模になる。集まってきたが、人のことに関心がない。自分はどうするかになる。人間すべてのことができる訳じゃないから。自分の関心のあることをやる。そうしてバラバラになっていき、全体として何をしているかわからなくなる。後ろの世代に引き継ぐということもしなかった。自分たちは勝手にやってきたので、引き継ぎをしなくてもやってくれるだろうと思っていたが、そうしたら後ろの世代の人があまりやってくれなかった。

国により後始末の付け方が違う。フランス5月革命では公職追放して、まともな仕事に就けなくなる。しかしその後20年ぐらいたって優秀な人を吸収する。ドイツではバーダー・マインホフという人を中心にしたグループがある日突然獄中で全員が集団自殺したという発表が流れる。全員が同じ檻房にいたならまだしも、独房にいた全員が首つり自殺したと平気で発表するあたりが、やはりナチズムの国である。アメリカはベトナム戦争反対と黒人解放の動きが合わさった。中でもブラックパンサーはFBIによって会議中に踏み込まれ全員射殺された。

ただし、全共闘の社会主義は、社会主義国であるロシアや中国を批判した。マルクスなどにもどれという思想であった。大きな勢力でバタッと変えようとしたわけだが、そのころからは社会をバタッと変えるのではなく、自分たちの周りの社会を作っていこう。そして生協が生まれる。食を通じて、農家も消費者も適切な価格で生きていけるもう一つの社会を作る目的だった。今もその延長線上にある。巨大社会よりも自分たちの世界。

自分たちの社会を作っていこうとなると合理な物だけでは作れない。非合理な物を認めていく。非合理を取り込んで行かなきゃいけない。そうなると人間たちの精神・文化などにも広がっていく。そうしていろいろな物の見直しにつながる。

最近の若い人には合理的じゃなくても受け入れてしまう。自然を含めて検討してきた社会があるから。今年論文の本数が多かったのが、コミュニティービジネスとソーシャルビジネスだ。コミュニティービジネスはもうけることよりも、コミュニティーを作ることに趣を起き、たまゆら的食堂のような、集会のようなものである。

ソーシャルビジネスは社会的な問題、たとえば、環境問題とかゴミ問題とか、これを可能にするだけの収益を得る。フェアトレードなんかもそう。途上国から買いたたくのではなく、生活基盤ができるように。それを支持している人に売る。若い人にやりたい人が増えている。

そして他者のために生きる利他、もともとは仏教用語であるが、死語同然だった言葉に脚光が浴びている。他人のためにしていると自分のためになるということである。ミイラ取りがミイラになってただの企業になってしまうこともあるが、イギリスのある企業は不正をしないことで信頼を得ている。元々の企業はソーシャルビジネス。最近は金儲けのためにできた企業もあるけど、企業の改革が見えてきた。原点に戻る。ソーシャルビジネス企業が絶えず出てくればよい。そういうことを繰り返しながら、企業は再生する。そうしないとただの金儲けになってしまう。

そういうことを通して社会改革ができるかどうかはわからない。ミイラ取りがミイラになってもいいじゃないか。そうしたら新しいソーシャルビジネスがでてくる。近代システムが明らかに劣化している。国、地方は一千兆円の借金、相次ぐ企業倒産。

そういうわけで欧米へはもはやあこがれの対象ではない。僕のゼミの学生が夏にゼミ合宿をやりたいときた。何をするかも決めてこなかったので、龍神の滝という水量が結構ある滝がある。そこで滝行をした。昔の人がやったことはいいことだろう。そういうわけで滝行を学生がすんなり受け入れる。最初は数名で女性は遠慮していたが、最後には全員でやっていた。昔であれば仏教なりを勉強して、その修行の一つとしてやっていたわけであるが。

黒澤さんという人が上野村にいる。自転車で世界一周をした人変わった人なのだが、ふるさと協力隊できた女性と結婚することになり、45年ぶりに村の結婚式を復興した。二人して聞き取りに回ったのだが、何しろ覚えている人が年配な上に、全部を知っている人がいない。男性だと表で何をしたかぐらいは覚えているが、裏で何をしてもらってお膳がでたかなど全く記憶していない。それに自分の結婚式を挙げた人だと、結婚式はわかっているが、やはり裏方のことは知らない。それで二人で聞き取りに回り、準備に一年かかった。今度は上野村テレビが撮影しているので、やりたい人がいれば誰でもできる。二人の結婚式ではなく、村のお祝い。ふと思い出して紋付き袴がいいのかと聞いてみたら、スーツの人もいるから大丈夫といっていた。しかし実際には村のほとんどの人が貸衣装で借りてきていた。紋が同じだからまるで全員が親戚。上野村の人にとって10万というと結構大金になるのだが、それでも自然と人間の里における結婚式。みんなが楽しそうにやっていた。

会場からの質問に対して

国家がやるとよくない。評価のスパンが長いと馬鹿な民衆は置いておいて俺たちがやり20~30年後に認められればいいとなる。逆に短いと短絡的な評価を求めるようになる。

あっちのスーパーで1円安い、こっちでは別の物が安いと一生懸命になっているが、あれは健康法と割り切らない限り損している。確かに安いかもしれないけれども、それを検討する時間や移動時間の方がもったいない。それならどこで買っても一緒。

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2010年9月13日 (月)

第3回新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム 2日目

では、夜食の買い出しを終え、リラックスしてので、また気合いを入れて書き始めます。それぞれの分科会からの報告がありました。ちなみに自分は第六分科会で師匠の内山先生とご一緒したのでそちらは少し詳しくかけるかもしれません。

司会:山梨県庁 手塚氏、水産庁 長野氏

第一分科会 「草木染め」より報告
 子供たちと一緒に植物をとってきたのが始まり。仕事をやめた後も続けた。上野村ならではの近所づきあいがある。それから村の昔を知るようになった。上繭は(川を降りた先の)藤岡に売る。中以下は座繰り(糸を紡ぐ機械)して、平織りにした。その当時の座布団を今でも使っている。縦糸はぼろ糸、横糸はぼろ布をほどいて座布団を作った。玉繭のように2つつながってしまった物は、真綿にした。昔は染め物は藤岡で都染めといって化学染料を使って染めていた。最初は都染めをやっていたが、上流に住んでいるわけだから、川を汚してはいけないと焙煎液はすべて自然から抽出した物を使っている。草木染めの欠点。それは手間がかかること。それに植物が花が満開など一番いいときに使ってしまうことに心が痛む。命をもらって染めている。しかし、この欠点が未来につながる技だと思う。自然を楽しみ受け入れていくことが大切。

手塚氏:自分も絹織物に関わっていたことがある。手作業なので、どうしてもほつれや、色むらなどができる。大手百貨店に売り込んだときに、当時は欠陥率3%以内で納めろと言われた。製品の品質に問題というわけではなく、見た目によくない部位がどうしても10%位でてしまう。そんなわけでバイヤーにはじかれていたが、今はそういうのが趣があっていいと向こうから行ってくる。時代が変わった。

第二分科会 「竹細工」より報告
 3~4年目の竹がいい。強度が出てくる。1年目では若すぎる。そこが木工とは違う。木工だと30~40年くらい木が育つのにかかる。壊れても土に帰るのが自然からできた物の良さ。
 竹細工は竹を割くのが難しい。編むのは簡単。割くのに10年かかる。
 暮らしの中で使ってもらうことで技を残す。焼き物は90%近く国産と多いが、竹細工は少ない。ほとんどが外材。外材は壊れやすく、もろい、さらに水にも弱いという欠点がある。100円均一で使い捨てにするより、本当は長い目で見れば全然安い。
 ただ、若い人は食器の使い方すら知らない。今は使い捨てだし、よいのがわかっても使い続けていける自身がない。竹は一度ぬらしたら乾かさなければいけない。そうしなければ腐ってしまうことは昔は誰でも知っていた。しかし今の人はそういうことすら知らない。10年修行に耐えられる人も少なくなった。昔は男が習いに来ることが多かったが、今は女が多くなっている。
 経済効率は悪い。大量消費によって成り立つ。そういうことも考え直した方がいい。

第三分科会 「木工」より報告
 作ることもさることながら、売ることが大切。消費者の嗜好が多様化している。技が確かだから説明ができる。機械でできる仕事はしない。道具から自作している。木は一つ一つ生きているし、一つ一つ違う。
 経済的に豊かに暮らしていけなくても、明るく暮らしていければ、上野村に残るのではないか。昔は職人に弟子入りする人がいた。給料ももらわず技を盗んで独立する。

第四分科会 「狩猟」より報告
 熊取物語は人には伝えられないので省略する。昔熊は2~3年に1頭とれればよかった物が最近はよくとれる。1シーズン2頭なんてこともある。熊が里で歩いているのを見た。ハンターが少なくなっている。(これだけ見ているのに、)政府発表では熊が増えていないという。
 ハンターが少なくなる原因として、さらに銃規制が厳しくなる。犯罪があるとひとくくりに、規制されてしまう。そうすると地域の問題に対処できなくなる。そのうち1頭いくらとか補助金がつくようになるのではないか。

第五分科会 「和蜂 養蜂」より報告
上野村ではほとんど買う人がいない。しかし伝染病なども少ないから、飼いやすい。ただし、人工的に分家できないので、増やすのが大変な上、西洋ミツバチより小さいから蜜のとれる量も少ない。

第六分科会 「山仕事」より(これは報告に従わず、みえだメモです。)
 自分は頼まれて何千haとか切るのが仕事。全部一人でやる。
 自分がやり始めの頃は木を切らなかった。今の青木林業につとめ始めて、他の人が巨大なのこぎりで切った木を木馬(きんま・木製のそりのような物)に乗せて運ぶのが仕事だった。当時8寸くらいの木を切っていた。急なところはワイヤーでブレーキをかけながらおろしていけるから楽だったが、平らなところは人力で引っ張らなければいけないから大変だった。
 木を切ったら、木のつるとかで下から引っ張り出す。そして木馬に乗せられるところまで引っ張る。それは6~7年やった。
 その後自己流で木の切り方を覚えた。当時は広葉樹が多く、小さい物はチップとか箱材に使う。大きい木は製材して別の用途に使った。
 そのころは羽振りがよかった。1石1万だから、今の5~7倍。中卒で1日働いて350円もらえた。その当時まじめにためておけば、城が建っただろう。でも、みんな飲み歩いて使ってしまった。
 雑木樹林は評価が低かったので、こぞって広葉樹を切って、杉、檜を植えた。植えて大きくなる頃には外材が入ってきて売れなくなった。二束三文で売るなら、売らない方がいいとみんなそのままになっている。今考えておけば天然林にしておけばよかった。
 木は市場に出した。今の埼玉県児玉町と群馬県富岡市にあった。ユニック(クレーン)付き4t車を頼む。切るときは地主さんに許可とって。1本40~50万で売れたときもある。車に乗らないような長い8m位の木は、枝が伸びていると幹を傷つけるので、枝を落としたり、二叉に分かれるところで切ってしまう。
 里に近いところにはいい木がない。それに立派な木を持っている人は、その木に愛着を持っているから売ってくれないし、売る気がない。
 自分がチェーンソーで木を切り始めたのが昭和40年頃。当時の価格で13万くらいしたがすぐに回収できた。まだ周りでも持っている人がいなかったからおそわれなかった。木がさくさく切れるときはそれは楽しい。大きい木だと刃が木に巻き込まれて食い込んでしまうから、切れなくなってしまう。
 山仕事ならどこに倒してもいいが、(空師のような)町の仕事だと電線があったりするから難しい。山梨で頼まれたときも、電話じゃわからないからとりあえず見てみて、これなら切れるだろうと思ったから受けた。今でも難しい木を切るときは御神酒をあげる。
 股関節が痛い。左足の軟骨が3mmしかないと医者に言われた。でも手術したら今後大きな木は切れなくなるし。
 (村役場職員から)今Iターンで大卒が林業をやっている。日当7000~8000円最大働いて月24,25日、冬に雪が降れば仕事もできないので年200日+αくらいなので、月額13,14万円くらい。雨が降れば当然できないし、明るいうちしか仕事ができないから8~16時くらい。単身の村営住宅が1部屋1万、家族用でも3~4万円、インターネットが500円で使えるので、十分生活がしていける。さらに子供が3人以上だと村独自の子供手当が国の他にもらえる。今森林組合には40人くらいいる。
 上野村は間伐材を切ってもおろすのが大変な場所が9割なのでほとんど捨ててしまう。価格はちゃんとした木で1m3で1000円くらい。ここからトラックのレンタル費などが引かれる。価格が安いのでおろす手間もでないから間伐材だと捨ててしまう。木を切る人は今Iターンが多い。
 (内山先生より)土地の区分として国有林(よそ者)、吉本(佐久3000ha)、他はほとんど村内保有。
 (仲澤氏に戻り)自分が小学校の頃は山で移動製材していた。だからどこでも製材が作れた。
 その後はトロッコ+ガソリンカーで山奥からおろしていた。下りはブレーキだけで労力なくてもおりてくるし、登りはガソリンカーであげる。その昔は犬で炭を運んでいたところもあるようだ。犬にリアカーを引かせて。
 でも、今は炭焼き専門でやっていても炭が売れないからやらない。売れればあんなの手間だけですむからやる人がいっぱいいる。当時はこんにゃくが高く売れて、炭も売れるからよかった。
 (吉澤氏より)中国電力が古民家の修復をやっている。しかし古民家だから火に弱いと言うことで、オール電化にしてる。それもどうかと思う。

 (第六分科会全体討論)上野村はエネルギーを自給自足していけるはずだ。囲炉裏と薪が大切。そして「コンクリートから木へ」の転換。公共施設をコンクリートで建てているのがナンセンス。木で生活するようになれば、そこに製材や大工といった産業が生まれ、村が潤っていくようになる。村役場が率先してそういうことにお金を使わなければだめだ。

 (内山先生より)村の森を守る技もあるけど、仲澤さんのように特殊伐採できる人の技を都市に売り込むという方法もある。そして強い言い方だが、跡取りがいない人に発言権を与えない。今発言権が強い人は跡取りがいない人が多い。そうすると自分さえよければとなってしまう。跡取りが自分の子供でなくてもいい。ようはそれをつないでいける人なら。跡継ぎがいるからその子、孫のためにと100年スパンとかで物が考えられる人に発言権を与えていかないとよくなっていかない。

手塚氏:未来は昇降階段型ではなくてもいいと思う。螺旋階段型がいいのではないだろうか。上から見ると同じところくるくるしているようでも、確実に上に上がっている。
コンビニすら地域限定の物を作り始めている。今までは全国画一の物をPOSで管理し、売れる物を補充するというやり方から変わりつつある。

長野氏:私たちは自然の中で生きている。自然をいじることはおこがましい。都会は一人で何でもできると思ってしまう。

(全体討論)お互いの要望を取り入れた物作り。体験させることでその価値をわからせる。

 私たちは安い物を使うのがよくない。しかし、ホームセンターやコンビニなどをつい使ってしまう。
使う技術が伝わっていない。それは夜行列車で出て行った人の性。あの人たちはまだ、その技を持っていたが、子供に伝えなかった。
→竹細工職人の青木氏から
商売気はないが、消費を増やすことよりも、命を削って制作しているので、長く使ってもらいたい。100円均一のような安い物でも制作に当たってはその時間は人が命を削って作っているので大切に使ってもらいたい。
という言葉があり、みえだ自身はこの言葉を聞いただけで、山奥に行った価値があったと思うほどに感銘を受けました。(会場も大きく共感していました。)

 新たなる多数派と書いてあるということは内山さんも多数派でないことを認識しているということだ。しかし少数だからやめてしまうことなく続けていくことが大切である。是非村役場にはたとえ参加者が一人でもやめないでもらいたい。

締めの言葉(内山先生より)
 上野村にきて40年たつ。しかし上野村は飽きない。奥行きが深い。40年たっても知らないことがたくさんあり深い。そして人間の蓄積も深い。その2つがあるからこそ飽きないのだろう。これからの未来の力になるのではないか。
 今年は技でいこうかとなった。プロのトップの技。これは一人一人の技であって、弟子をとってもその人以降には受け継がれない。そして、プロまでは行かなくてもセミプロの技、素人の暮らしには役に立つ程度の技と技にもいろいろある。しかし素人の技を持つとプロの技のすごさがわかる。今回は職業としての技を持っている人を取り上げたが、生活の中の業師もいる。漬け物の達人とか。経済的に収益をもたらす訳じゃない。そういう物も入れると6つの分科会ではあと10年くらいかかるだろう。技は自分の労働に誇りを持たせる。技があると収益は厳しくても誇りを持てる。そして、新たな発見もあって仕事も楽しくなる。技を使って人々がつながっていく時代にこれからなる。人々がつながっていくための技もあるだろうし、間に道具などの物が介在するような技もあるだろう。
 技の世界は切れない結びつきを次いでいく。相互に結びつかないといけない社会になる。都会がなければ売れないだろうし、都会も田舎とつながりを持ちたいと思っている。イベント的な1回、2回の結びつきならば問題がないが、持続的な結びつきのためには技がいる。技があるから楽しいし、発見がある。技があるならしっかりと結びついていく。
 手塚さんが言うように10年ぐらい同じところをぐるぐる回っているだけかもしれない。でも10年後にはちょっとくらいあがっているかもしれない。
 今回やったのはよかった。技が何か確認できた。技を通してつながる世界をどう作るか再確認できた。
 上野村としてブランド化すべきだ。いわゆるバッグとかのブランドではなく、上野村からできる物はすべてブランド。自然も人もすべて。まねをしたいなら他の地域でもやればいい。そういう意味では上野村はいい線を行っている。技もあるし、自然もあるし、人もいいし、共同体も残っている。新しいブランド形成。
 始めの頃は輸入大豆でやっていた物が、国産大豆、今は村内産大豆で十石味噌を造っている。ちょっと高級なやつがそうだ。獣害があるから全量を置き換えるまでには至っていない。

 みんなで作る未来を遠くに見ながら・・・。

 そして、この後オプションの滝行を師匠と一緒に行いました。下の写真は滝行前にホラ貝を吹く師匠の雄姿です。滝をバックにとればよかったと後悔していますが、そちら側は人が多く構図取りが難しかったのでご勘弁。隣に子供もいましたが、大人10人くらいが一番水遊びではしゃいでいました。

Uchiyamatakashisyugendo

内山節 修験道スタイル

滝行して下界に戻ったなう。突然咳き込んで目がかすむ。やっぱり下界は空気が汚れているな。月15万で生活がなりたつらしいから移住してしまおうかな。

シンポジウムであまり寝ていなかったから(前は遠足前の小学生状態で眠れず、今日は酒飲んで熟睡できず)もう寝ていたらマンションやさんに起こされたなう。電気が消えている意味を考えてもらいたい。完全に空気が読めていない。せっかくマイナスイオンを浴びてリフレッシュしたのに既にストレス

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第3回新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム 1日目

また、群馬県と長野県の境の山奥に行ってきました。今年は群馬県庁職員に教えてもらった、峠のうどん屋藤屋さんに行ってから始まります。あまりのおもてなしの良さに、シンポジウムが始まる前からすでに満足してしまいました。この辺はつぶやきをご覧ください。

そんなわけで上野村。予定より早くついてしまってお目当てのうどん屋さんがあいていなかったのでドライブなう。国道なのに対向車とすれ違えないような山みち。くねくねはなれているが正直こんな細い道は嫌だ。わき水をくみたくてもともるところもない。電波もないからつぶやけないし。

天ぷらうどん

いよいよ本文ですが、例によってメモを元に再構成している上、時間がたっていますので、間違っていましたら申し訳ありません。初年からケーブルテレビが撮影しているので、YoutubeとかU-steramでながせといっているのですが、なかなかインターネットでは流れないようです。本当にもったいないと思います。入場無料なのですから。(でも、実は親睦が深まるのはテレビに映らない酒の席なので、参加しないと表面的な議論しかわかりませんよ。)

村長挨拶
 暑い中、村外からも多くの方がお集まりいただきありがとう。今年もお世話になるがよろしくお願いしたい。上野村は少子高齢化という重い病にかかっている。しかし20年以上かけて実施してきたことが実り、Iターンでようやく100人以上の若者が定住してきた。山村が生き延びて行くには山村の価値を認めてもらうことが大切。山村には山村の価値があり、都会には都会の価値がある。都会がよくなっていくわけではない。都会の方と上野村がよく打ち合わせをしてもらいたい。

主催者(おてんまの会)代表 黒澤さん
 お顔を拝見しますと、第1回からお越しいただいている方もいる。今回は「技が開く未来」というテーマで村内から手仕事の技を持った人にきてもらった。私は上野村に生まれたが、伝統の技に触れることなく過ごしてきたと自分でも考えている。今日こうして自分でも話を聞けることがうれしい。そこから日々の生活を見直していけたらいいと思う。

NPO法人ものづくり生命文明機構 中井財務省理財局計画官
 私は3回目の参加になる。母が上野村生まれ。今日は暑いので明日のオプションである龍神の滝に一足先に吉澤さんと打たれてきた。水量が減ってぬるかった。滝に打たれてすっきりとして、始められる。このシンポジウムが村と私たちの交流の場であることを楽しみにしている。村長の話は本当に重たい病気だと思う。そして、それは都市も、農村も、山村もかかっている。
 生きていくために、いろいろ作って食べる。環境との関わり方は心の持ち方だ。(欧米では)農業は自然を破壊する物だと思われがちだが、日本には棚田など美しい風景がある。
 山があり、里(村)があり、都市や石油コンビナートなどが下流にある。三層のピラミッド構造になっている。森の中にある山が頂点。価値観の原形は山村である。農業の里から出発した物が工業へと発展していく。自然との関わりをどこで取り戻すかが大切だ。それを確認することで日々の営みを確認していく。何はともかく、今日は十分交流を深めたい。上野村はなんと言っても水がおいしい。明日の滝行是非おすすめです。

司会:分科会で議論は深めていただくが、各分科会の代表村民から自己紹介をもらいたい。

第一分科会 「草木染め」 小倉八重子氏(工房る・ばば)
 上野村にきて19年目。草木染めを最初からやりたかった訳じゃない。最初は山村留学の子供たちのために仕事としてきた。上野村の自然、星がきれい、水がおいしい、そういうことを気づかせたいと、子供たちと一緒にやっていた。そして自然を相手に助け合う人々(村民)。
 8年くらいやって帰るつもりでいた。そうやって自然と触れるうちに草木染めを始めた。草木には未だにお世話になっている。染めに用いる宝庫。
 昔子供たちに言われた、おがる(地域)のばばあだから「る・ばば」。上野村は上流なので、排水には気をつけている。年金をもらっているから(商売に対して)甘いところはあるかもしれないが、こだわりは上野村でやっていること。

第二分科会 「竹細工」 青木岳男氏(でくの青木工房)
 涼を求めにきた人には申し訳ない。今年は例年になく暑い。竹は簡単。割って編むだけ。ただし、一人だから苦労することもある。手間のかかる効率の悪い仕事である。生産性は悪いが、エネルギー効率はいい。CO2はほとんど出さない。一流企業にも負けないエネルギー効率。エコが叫ばれ、(企業活動に必要な)エネルギー効率はあがっている。しかしそれは大量生産だから成り立つシステム。大量生産を支えるには大量消費があるからである。無駄に使うことを前提とし、その上でしか成り立たないエネルギー効率だ。
 皆さんが今日召し上がったおそば屋さんのざるは自分が作った物だ。そのほかに盛りかごや花かごも作っている。昔の技術を現代にアレンジしている。モナコ公国から招待があり出展したこともある。なんとそこでスペインの美術館に気に入ってもらい、現在は美術館の個人会員をしている。
 こだわりは群馬県産材を使っていること。寒暖の差が大きいと竹が堅くなる。強靱な竹を生かせる技術が必要となる。漆もなるべく地場産を使うようにしてる。中国産の漆が1万円/1kg、一方国産は8万円する。それなら自分でとることにした。そうやって地元の材料を使っている。
中澤正芳氏
 自分は青木さんのように立派な物を作っている訳じゃなく、遊びでやっているので特に説明することはない。
 昔はプラスチックがなかったからすべて竹に頼っていた。素人が始めたから青木さんみたいなプロの仕事はできない。暇しているよりもいいかと、ぼけ防止のために、百姓で使う腰かごとかを作っている。
 17歳の時に始めた。親類から教わった。教えてくれと行ったが最初はだめだった。どうしたら教えてくれるのかと聞けば、弟子になれば教えてやると言われたので、酒を持って弟子にしてもらった。
青木氏
 中澤さんの叔父さんから教わる予定だったができなかった。なぜなら、父が戦争から戻り、マラリアにかかっていた。皆さんご存じないかもしれないが、マラリアは症状が出る時間と、そうでない時間があり、症状が出ない時間は治ったようになる。それが夏の暑い盛りにでるので、村人からは畑仕事をさぼっていると思われた。だから、あんな遊んでいるやつの息子に教えることはないと言われてしまったからだ。小3で父から竹割りなたをもらう。勉強よりもむしろ竹細工の方がおもしろかった。

第三分科会 「木工」 今井正高氏(今井挽物工芸社)
 司会より:今井さんは近代木工のパイオニアでいらっしゃる。
 上野村の木工の歴史は30年。自分は23歳で役場に入る。当時の村長から上野村でも木工を始めると言うことで、その技を習得するために、村の職員として、2年間小田原に住み込んだ。その後10年職員としてやったが、フリーでやった方がいいと思って、昭和62年に自分で始めた。それから23年になる。自分でやっていくと大変なこともいろいろあった。特に販売には苦労した。
 みそ汁椀がよく売れる。木は熱の伝わりが遅いから、陶器と違ってさめにくく持ちやすい。日本人は昔から木との関わりが強い。
大野修志氏(木まま工房)
 自分はIターン。上野村にきて22年。上野村に田舎暮らしを求めてきた。親戚のつてもなくきた。村の人の親切のおかげで成り立っている。
 都会での生活がいやになった。生きている価値観がない。関東近辺の山は針葉樹林(主に植林で人工林)が多いが、上野村の魅力は広葉樹林が多く残っていること。今広葉樹林は少ない。それで上野村にきた。そのときお世話になったのが、今井さん。そして3年で独立した。やはり売ることが大変。そして継続していくことも大変。しかし、都会の販売会などを終えて帰ってきたときにほっとするのが上野村。
 今井さんは挽き物(ろくろで木を回転させて削って形を作る)だが、自分は玩具や家具などのいわゆる箱物を作っている。玩具は特に子供が使う物であるから安全性には気を遣っている。塗装剤や、角張っていないかなど。一番のこだわりはオリジナルであること。いろいろな木工職人が世の中にいて、いろいろな作品が世の中にあふれている。自分は多く売れなくても一人一人に会う物を作っていきたい。
 そして、値段が高いなどとよく言われる。それは自分にとってはチャンス。なぜならよく説明ができるから。待ってましたと思う。無垢の木は加工が難しい。だから加工するには技がいる。素人には作れないことを理解してもらう。見た目はそこそこで、安い物は長く使えない。いい物を長く使ってもらいたい。

第四分科会 「狩猟」 黒澤典久氏、黒澤一歩氏(黒澤食菌・親子)
 (父)自分はてっぽうぶち。農業でやっているのは現在うち1軒。上野村で農業で食べていくのは大変。狩猟は珍しいことではない。原始時代からやっている。でも一時の1/4にハンターが減ったから、鹿やイノシシが増えてしまっている。今、人工より多いのではないか。最初は楽しみだったが、今は義務。60軒の集落に昔は15人いたが、今は一人。遊びでもいろいろあるが、跡継ぎがいない。狩猟がなくなってしまうのではないかと心配している。
 すべてが難しい。仲間によく言っているのは安全指導。用のない時は弾を込めない。獲物であることを確認は徹底させている。しかしあまり厳しく言うといやになってしまうので、冗談めいて。
 上野村には現在9チームあるが、埼玉、東京、新潟、あちこちからも人が来る。役場の鳥獣の数値はあっていない。(違反だが、)ちゃんと報告していない人がいるのではないか。
 鉄砲のうまい下手は練習が必要なことだから、訓練すればいい。しかし法律が厳しくなった。実技があり、的に当たらないと免許が更新されないので、年寄りがやめてしまうのではないか。そうするとだいぶやめてしまうのではないか。
 (息子)上野村で育ち、高校は関西。卒業後埼玉の食肉加工所で2年勉強した。コンクリートで囲まれた生活に疲れ、退社を決意したが、一身上の都合ではやめられなかったところに、ちょうどよくオーストラリアへのファームステイが決まり、9ヶ月海外にいた。そこで人との交流や文化の違いを勉強できた。そして日本に帰ってきて16年がたった。村のいいところは若い人からお年寄りまで顔がわかる。いい意味でも悪い意味でも見られている。若い人には窮屈かもしれない。狩猟を始めたのが13~14年前。昔は1シーズンでイノシシ8頭、鹿2頭でたくさんとれた方だと思う。しかし、この10何年で年に鹿40頭もとれる。どこを歩いても鹿がいる。イノシシは多いときに比べれば減ったと思う。狩猟を始める前キノコ狩りや山菜狩りは好きでよく山に入っていたが、狩猟を始めてからこんなに大きい生き物がたくさんいるのかと思った。当時は何も知らずに山に入っていたが、今は怖くてうかつには入っていけない。
 自然と体が覚えた。鉄砲を初めて撃ったのはオーストラリア。勉強か(農場を荒らす)ウサギ刈りかどっちがいいかといわれて、勉強よりはということで始めた。だから鉄砲の扱いは向こうで覚えた。
 上野村で猟に初めて参加したのは犬を連れて撃たれた獲物を捕りに行く仕事を1年していた。地形もわからず、仲間に無線で聞いて、岩とかのかたちを教えて、案内してもらった。なんでこんなに目印のないところがわかるのか最初は不思議だった。それもだんだん一杯飲みながらの中で覚えていった。教わったというよりも自然と覚えたというのが正しい。

第五分科会 「和蜂 養蜂」 飯出八紘氏(上野物産)
 養蜂なんてどこでもできると言っても過言ではない。1945年におばる地域に生まれた。都会で15年生活していたが、、両親を見るためにUターンしてきた。何が仕事で何が遊びかわからないとよく内山先生に言われる。
 昔は西洋ミツバチをやっていたが、資材に金がかかる。そこで知り合いから和蜂を分けてもらって、一時期からしたこともあったが、現在は8群いる。内山先生のところでも飼ってもらっている。8月3日に熊がでたというので、すぐに引き上げてしまい今はないが。
 養蜂教室を開催したところ、20人くればいいと思っていたところを41名の参加があった。養蜂をやりたい人には巣別れの時に、分蜂してやろうかと思う。
 仕事でも遊びでもそうだが、すべて今やっている人がいなくなるとなくなり、衰退してしまう。だから都会の人でもやってもらいたいと思う。日本ミツバチは西洋ミツバチと違って温厚。もともと日本にいたわけだから、スズメバチへの対抗手段もあるし、病気や害虫にも強い。庭があれば都会でも飼える。
 日本ミツバチは手に入れるのが大変。一番の天敵は人間。集めた蜜をみんな持って行ってしまう。次が熊。木の空洞にあるやつも引き裂いて、きれいにとられてしまう。うちは幸い人に近いし犬がいるから、音がするとすぐにほえるので被害に遭わなかった。

第六分科会 「山仕事」 仲澤壮八氏(林業)
 今年の11月で満70歳になる。自分は山の仕事をする人間であって、こんなに大勢の前で話をしたことがない。山仕事大きく分けて2つある。1つは木を育てる。苗木を買って植えて、下草刈り。これが6~7年。木が大きくなると枝が張って草が生えなくなる。そしたら余分な枝打ちして、間伐して、伐採する。
 今は値段が安い。だから売る人も買う人もいない。平坦なら重機を使えるが、上野村は地形が悪い。重機使えるところが少ない。(人力では持って帰ってくるのが大変だから、)ほとんどの間伐材は切り捨てていて、もったいない。
 今は林業だけじゃなくて、高木とか特殊な仕事をやっている。(空師的な)むしろそっちの仕事をメインにやっていきたい。営林ならどっちに倒しても平気だから簡単。しかし家に近いと倒し方が重要になる。高いところに上っても平気な度胸と、技がないとできない。
 この前自分にしか切れない木があると頼まれて山梨に行った。そこは大きい楢の木が桜と松並木のちかくにあり、隣家も近い。そこでぱっと見て木をどうするか、どこにワイヤーでつるか、どこにチェーンソーを入れるかの判断が大切。

 この後分科会となりますが、それは翌日分としてまとめます。懇親会の前に温泉「じおじの湯」に伺いましたが、断水などのハプニングがあったり、例年通りものすごいおごっつぉ(ごちそう)でおもてなしを受けましたが、参加者得点とさせていただきますのでご了承ください。

 当日参加いただいた皆様には、上野村特産品の十石みそまんじゅうや、猪豚カレー、キノコ入り醤油・ドレッシングのお買い上げにご協力いただきありがとうございます。みえだは村民ではありませんが、かなり押し売りしていた訳で・・・申し訳ありません。

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2006年12月 7日 (木)

敬語

ココログのメンテナンスが終わりようやく投稿できるようになりました。

普段そんなに意識していませんが、使えないというのは不便な物です。

さて、今日は自分の本に書き忘れた項目があると思い出し書いています。

書き忘れた項目は何個もあり、何回も原稿は書き直しています。

時間を区切らなければ永遠に完成することはないくらい。

いい物を求めるとついこだわりが出てしまいます。

今回は書き忘れた項目でも特に言いたいことを書きます。

敬語の使い分けを自分も含めて最近の人は苦手としていますが、

形式を重視すると言うことは重要かもしれません。

それを意識することでそこにある本質に触れることができるからです。

敬語は相手に敬意を払う言葉です。

つまり敬語を意識すると言うことは相手への敬意を意識するのと同じです。

これは制服とジャージ、ネクタイとノーネクタイのように

ある特定の服を着ているときの気持ちの変化に等しい気がします。

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2006年11月23日 (木)

職業

先日コメントをいただいてからずっと考えていました。

2006年11月10日 出版費用

2006年11月10日 コメント

出版、芸能界、スポーツ界、芸術界、建築、調理師、会社等々職業は様々ですが、

結局成功する方としない方の差は何か。

「お金を払えば誰かが何とかしてくれる」

こんな受け身ではなにも前に進まないと思います。

よく若手芸人や劇団員などの話で本職では食べていけないので、

バイトを掛け持ちしてでもがんばり、

チケットすら自分自身の力でチケットを売って歩いたなどという話は良く聞きます。

あちこちで文句を言われ挫折を味わいそれでも続けていたのです。

それは本の業界も同じことが言えると思います。

出版そのものは媒体ですから、それだけでは食べていけません。

出版社に自分で原稿を持ち込むと言うことは芸能界などで言えば、

芸能プロダクションやダンススクールに入ったのと同じことですから。

優秀な作品・人材であれば

出版社や芸能プロダクションの方から給料の提案などがあるはずです。

売れない芸能人などそれこそ星の数ほどいます。

だからといってダンススクールの授業料を払ったからといって納得していますし、

芸能プロダクションにはいるだけで

ぽんぽん仕事が来るわけではないことも知っています。

すべては自分の努力次第じゃないでしょうか。

あくまで他人にできるのはきっかけまで。

どんなに有名になった人でも本人が努力を怠れば次につながらす

「あの人は今?」なんて番組で取り上げられてしまうような、

一線を退かれてしまう方も多いのではないでしょうか?

ただし受け入れる側もお金ほしさでデメリットをきちんと伝えないのはいけません。

出典 「常識は破るためにある」から本ブログ用に再編集

偉そうなことをいってしまい申し訳ありません。

長い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。

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ビジュアル

本(二十一世紀に生きる君たちへ人は見た目が9割)が

今度は無事に届きましたので、今日は読書をしています。

とはいえ一行一行、「たしかにそうだ。」「これは違うのでは?」などと思っているので、

薄い本の割にはなかなか前に進んでいません。

しかも同じ内容のはずなのにテレビで見た内容の方がすばらしく感じます。

やはりビジュアルというのは大切ですね。

日本人は元来目配せなどで非言語コミュニケーションを得意としていました。

しかし最近は言わなければ伝わらないことが多いのも事実。

欧米の文化とは手抜きをする文化のような気がします。

日本の文化はいわゆる「常識」がなければ何事も成立しません。

欧米のいいところは柔軟に取り入れるとともに、

グローバル社会だからこそ旧来の日本を復興する必要もあるのではないでしょうか?

追伸 人の意見に触れる度に感動し、

基本的にいい物はみんなで共有したい性分なので

あーこういうことも自分の本「常識は破るためにある」に書けば良かったと思う限りです。

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