カテゴリー「心と体」の68件の記事

2011年8月 8日 (月)

お師匠さん:内山節先生の話は直接に限る。

内山哲学の神髄はここにはありません。なぜなら内山節の哲学を理解するには文章化された言葉だけではなく、身体性や霊性で感じる必要があるからです。言葉はその入り口を開けるモノにすぎません。内山哲学の神髄を味わうためには是非とも直接聞いていただきたいものです。入り口を広げることと、自分のまとめ、ブラッシュアップの意味もかねてみえだぶろぐには記載しているわけですが、是非とも肌で感じる感性を大事にしてもらいたいです。

内山哲学を聞いていると言葉がわいてくる不思議な感覚に襲われます。内山先生がいっている難しい単語が思い浮かんできます。単純に話を聞いているだけなのですから、同音異義語はたくさんあるし、別の単語でも意味が通じます。しかし先生はこの単語を使っているに違いないという単語がびしっと浮かんできます。それはきちんと自分のメモにもそう残してあります。自分が言葉に精通しているかどうかに関係なく。

言葉に語れないものを感じるために、内山先生を追いかけているのかもしれません。だから人間が見聞きできる範囲に調整され、それしか伝えることができないネット配信やテレビなどのメディアでは意味がないのです。(このあたりに関しては、内山先生が情報の補完能力について第三講でおっしゃっていますのでそちらを参考にしてください。自分も一生懸命ネット配信の方向性を模索していましたが、それでは補完されない情報がいっぱいあることに今更気がつかされました。)

内山哲学は入り口にすぎません。それをどう自分の中に取り入れていくかがもっとも大事な作業なのかもしれません。しかし、内山先生を追いかけ続けていると、いろいろな人にお会いできるのは確かですが、その根底にあるのは内山哲学なので、外部の刺激を常に受け続けないといけません。これが意外と大変で、居心地の悪いところにあえて入っていかなければいけないわけですから。

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2011年2月 5日 (土)

ゆいの家移転記念 内山節先生講演会

ゆいの家がリニューアルオープンした記念に内山先生の講演会がありました。その模様を例によって自分のメモを元にお伝えいたします。聞いたままではありませんことご了承ください。

高石さんからは「新たなる時代とは」というテーマをもらったので、僕とともにあった時代からこれからを考えたい。僕自身の印象としてはこの60年で日本の印象はずいぶん変わった。世界の中でも変わった方だと思う。

僕は生まれは東京都世田谷区。当時は農村だった。戦前から住宅を建て始めた。小学校の終わりにはほとんど住宅でいっぱいだった。元からの人は商店や左官職人、大工をしていた。消防や役場も元から住んでいた人がやっていた。しかし住宅地の人はどこかにつとめていく。

こんな場所だから日本の遅れを意識していた。欧米は進んでいるが、日本は遅れている。そういう時代と比べると今はいろいろなことが様変わりした。とりあえず日本は外国の物を取り入れるが、あっという間に日本独自になっていく。トンカツやコロッケ、カレーライスのように西洋から入ってきたのに完全に日本独特の料理になっているように。

最近は立教大学にいるので先日も卒論の口頭試問をやっていた。父がジュネーブ生まれでジュネーブ育ちのフランス人がきている。彼のテーマはJ-MUSIC。どんな物か聞いてみようかと1,2枚レンタルしてみようかと思ったが、演歌を除く現代音楽すべてということなのでらちがあかなかった。何しろ棚に並ぶほとんどがJ-MUSICなのだから。

僕にとっては論文が英語でつらかったということもあるが、そこは何とかごまかして読んだ。彼がいうには1950年代から日本にアメリカンポップスが入って1960年代には独自の変化が始まり、1970年には世界に出て行き評価されていく。これは日本音階と融合したからだ。ポップスの中に演歌や民謡が入る。ドレミファソを使わない日本独自の音楽。(西洋音楽と)同じように聞こえても違う。なぜなら歌詞の作り方が違うから。日本語は単語で意味を伝えることができる。たとえば「桜きれい」といえば、伝わるし情景が思い浮かぶ。しかし英文は文節にしないと意味が伝わらない。

海外で日本の音楽が評価されるようになると日本人が英語で歌詞を書くようになる。そうすると問題が起きる。外国人には聞きにくい。発音の問題もある。それだけならまだいいが、日本人が作ると(日本語と同じ感覚で)単語で切ってしまうから、意味がわからない。それも今はクールジャパニーズカルチャーとして評価されるようになった。日本には短歌、俳句のように単語で区切る文化がある。

はじめは模倣していた物が、その後チープな日本化を経て、そして独自の文化になっていく。最近ではK-POP(韓国)、C-POP(中国)などは彼曰く日本の模倣である。

日本のJ-POPはどこで支えられているのか。それは日本独特の商売にあり。日本は世界的に見たらCDが異様に売れている国である。日本でも減っているといわれるがせいぜい2割減。世界では8割減。中国は未だにCDが売れているが、それは海賊版などで異様に安く売られているから。それは例外である。

音楽消費からタレント消費になっているから。タレントの追っかけでCDを買う。中にはファンクラブに入る人もいて、ファンクラブ限定コンサートや、一般のコンサートでもファンクラブ専用に前の方に席が用意されていたりする。さらにコンサート会場ではグッズを売る。グッズの方がCDの純粋な売り上げよりも高い。ファンにとってはCDを持っていることが大切。それによって仲間意識も出てくる。それゆえ音楽自体の価値で買っているわけではない。CDを持っていることでファンクラブのようなある種のコミュニティーに入ることができる。一人で音楽を聴くのではなく、コミュニティー二はいることを楽しむ。音楽自体のできの善し悪しで買う訳じゃない。大きいファンクラブでは分科会ができていて、小さいコミュニティーができる。そしてその会の幹事もできる。それが音楽会社と折衝もする。

日本の文化に変わる。それは日本の風土性と融合していくことだ。ご飯に合う料理を作ろうとすれば、トンカツに醤油などとなっていく。戦後だけ見ると敗戦からご飯食べるのも大変な世に中。その中でいかにアメリカ的な物を摂取するか。できた物を日本化、日本へ融合していく。企業も日本の風土への融合していく。日本には終身雇用はない。欧米では新しい人から切る。勤続年数の短い方から切るのが通例。ホワイトカラーは明日から切れる契約になっているが、一般労働者は違う。

解雇にはそれなりの理由が必要というのは先進国では当たり前。最低限度の保証が必要である以外に、日本には終身雇用という法律や制度はない。企業が欧米の文化を取り入れてやっているにすぎない。そして今は企業が持ちきれなくなった。企業が日本的をやめるとどうなるのか。人間はどうやってつながるのかということを社会が模索している。バラバラに壊してしまっていいのか。

アメリカ以外の国では、何らかの形で社会を作り直さなければならないと考えている。そして対象として50年前くらいが見直されている。

最近の若者は覇気がないといわれる。留学希望者や海外勤務希望者が少ないから、昔の若者から覇気がないといわれる。でもちゃんとそんなことに価値がないので実施しないという意思表示をしている。昔は海外にいくと偉いといわれた。

また、高齢者中心に貯金にしてしまい運用されていないといわれる。でも郵便局や銀行が運用している。郵便局は国債という形で。自分自身で運用していないだけで、運用されていないわけではない。アメリカは2/3が債権。1/3くらいしか預金がない。アメリカに従い、小泉竹中時代に預金から投資へとキャンペーンをうった。自分の意志ある使い方がされていないといわれる。でもちゃんと意思表示をしている。そんな使い方をしたくないと意思を表している。アメリカの基準で見るから何で意思表示をしないのかといわれてしまう。ある基準で見れば意思表示がないとなってしまうが、実際には意思表示をしている。

今だって海外に行っていない訳じゃない。途上国に行く人はむしろ増加している。アメリカに留学してもいいと思う人が減っただけ。こういう意味でも今の社会は変動している。社会の先頭に立つとか、挑戦していくとかに興味がないだけ。今までいうような挑戦はないだけ。農村に行って農業をやりたいという人が増えている。これは大変なことであるが、挑戦しようと思ってやっているのではない。やりたいことをやるだけ。ファンという仲間の世界。

欧米を越えて社会主義にしようという時代があった。たとえば学生運動である。1960年安保闘争。その後のいわゆる全共闘時代になっていく。安保闘争の時代の学生運動は、戦前と大して変わらない大学生数。社会的には金の卵といわれた。中卒で就職列車に乗って田舎から上京してくる人の方が多かった。大学でるということはエリートであった。特に女性が大学を出るのは。家によってはまだ昔気質で、大学を出るより技術を身につけた方がいいというところもあった。

その後一気に大学に行くことが普通になり、そこら中に新設大学ができた。エリート大学生という時代は終わった。エリート大学生が保証されていた時代は、自分が優秀だから大学に行けたとは思っていない。たまたまいけただけ。本当は隣の家のあいつの方が優秀だということはわかっていた。しかしあいつは家の事情などで大学に行けず、自分は恵まれた環境にあり、行くことができただけ。そういう形で大学にきた人間はどういう形で生きるか社会的責任が見えていた。勉強したことで世の中の役に立とうというという意識。どういう社会を作るために勉強をするのか。

全共闘のころはエリートの反乱とは言い難い。普通の人の反乱になっている。このころよく使われた言葉に「自己否定」がある。何となく生きている自分がおもしろくない。大学でてどこかには就職ができる。終身雇用、年功序列があり、可もなく不可もない人生が約束されている。自分で自分に反乱を起こす。そして部落、朝鮮差別などが今も残っている中で、自分は可もなく不可もなく生きてそういうことを見ない。そういう自分を否定する。

世界的にも同じ時代。フランスでは「存在」から「実存」へという落書きが多い。日本だと存在感などとして使われ重みがあるが、欧米ではただあるだけというのが存在。ただあるだけから自分の意識を持って生きていく。

そのことは日本でも戦争責任論を大きく変えた。それまでは軍部にだまされただけで、一般人は被害者だという論調だったが、果たして被害者なのかということをこの時代問い直された。戦争反対といえない時代だったとはいえ、みんなで戦地に送り出す、戦争という祭りになっていたことへの責任。被害者であると同時に加害者でもある。いいか悪いかは別としても全共闘時代はいろいろなことを見直すきっかけになった。部落差別はどうやって我々が関わってきたのかということを見直した。私たちが傍観者であったことがいけない。女性差別にしても、俺男、おまえ女に問題はなかったのか。無意識の差別。自分たちのあり方の総点検。

安保闘争を経験した人も、終わると普通に就職して、普通の人になっていった。その後学生運動自体にも人が集まらなくなっていく。一部では人気が出るが、大多数の人からは大ひんしゅくを買う。わずか数年前は100人、200人集めるのが大変だったのが、全国に数万規模になる。集まってきたが、人のことに関心がない。自分はどうするかになる。人間すべてのことができる訳じゃないから。自分の関心のあることをやる。そうしてバラバラになっていき、全体として何をしているかわからなくなる。後ろの世代に引き継ぐということもしなかった。自分たちは勝手にやってきたので、引き継ぎをしなくてもやってくれるだろうと思っていたが、そうしたら後ろの世代の人があまりやってくれなかった。

国により後始末の付け方が違う。フランス5月革命では公職追放して、まともな仕事に就けなくなる。しかしその後20年ぐらいたって優秀な人を吸収する。ドイツではバーダー・マインホフという人を中心にしたグループがある日突然獄中で全員が集団自殺したという発表が流れる。全員が同じ檻房にいたならまだしも、独房にいた全員が首つり自殺したと平気で発表するあたりが、やはりナチズムの国である。アメリカはベトナム戦争反対と黒人解放の動きが合わさった。中でもブラックパンサーはFBIによって会議中に踏み込まれ全員射殺された。

ただし、全共闘の社会主義は、社会主義国であるロシアや中国を批判した。マルクスなどにもどれという思想であった。大きな勢力でバタッと変えようとしたわけだが、そのころからは社会をバタッと変えるのではなく、自分たちの周りの社会を作っていこう。そして生協が生まれる。食を通じて、農家も消費者も適切な価格で生きていけるもう一つの社会を作る目的だった。今もその延長線上にある。巨大社会よりも自分たちの世界。

自分たちの社会を作っていこうとなると合理な物だけでは作れない。非合理な物を認めていく。非合理を取り込んで行かなきゃいけない。そうなると人間たちの精神・文化などにも広がっていく。そうしていろいろな物の見直しにつながる。

最近の若い人には合理的じゃなくても受け入れてしまう。自然を含めて検討してきた社会があるから。今年論文の本数が多かったのが、コミュニティービジネスとソーシャルビジネスだ。コミュニティービジネスはもうけることよりも、コミュニティーを作ることに趣を起き、たまゆら的食堂のような、集会のようなものである。

ソーシャルビジネスは社会的な問題、たとえば、環境問題とかゴミ問題とか、これを可能にするだけの収益を得る。フェアトレードなんかもそう。途上国から買いたたくのではなく、生活基盤ができるように。それを支持している人に売る。若い人にやりたい人が増えている。

そして他者のために生きる利他、もともとは仏教用語であるが、死語同然だった言葉に脚光が浴びている。他人のためにしていると自分のためになるということである。ミイラ取りがミイラになってただの企業になってしまうこともあるが、イギリスのある企業は不正をしないことで信頼を得ている。元々の企業はソーシャルビジネス。最近は金儲けのためにできた企業もあるけど、企業の改革が見えてきた。原点に戻る。ソーシャルビジネス企業が絶えず出てくればよい。そういうことを繰り返しながら、企業は再生する。そうしないとただの金儲けになってしまう。

そういうことを通して社会改革ができるかどうかはわからない。ミイラ取りがミイラになってもいいじゃないか。そうしたら新しいソーシャルビジネスがでてくる。近代システムが明らかに劣化している。国、地方は一千兆円の借金、相次ぐ企業倒産。

そういうわけで欧米へはもはやあこがれの対象ではない。僕のゼミの学生が夏にゼミ合宿をやりたいときた。何をするかも決めてこなかったので、龍神の滝という水量が結構ある滝がある。そこで滝行をした。昔の人がやったことはいいことだろう。そういうわけで滝行を学生がすんなり受け入れる。最初は数名で女性は遠慮していたが、最後には全員でやっていた。昔であれば仏教なりを勉強して、その修行の一つとしてやっていたわけであるが。

黒澤さんという人が上野村にいる。自転車で世界一周をした人変わった人なのだが、ふるさと協力隊できた女性と結婚することになり、45年ぶりに村の結婚式を復興した。二人して聞き取りに回ったのだが、何しろ覚えている人が年配な上に、全部を知っている人がいない。男性だと表で何をしたかぐらいは覚えているが、裏で何をしてもらってお膳がでたかなど全く記憶していない。それに自分の結婚式を挙げた人だと、結婚式はわかっているが、やはり裏方のことは知らない。それで二人で聞き取りに回り、準備に一年かかった。今度は上野村テレビが撮影しているので、やりたい人がいれば誰でもできる。二人の結婚式ではなく、村のお祝い。ふと思い出して紋付き袴がいいのかと聞いてみたら、スーツの人もいるから大丈夫といっていた。しかし実際には村のほとんどの人が貸衣装で借りてきていた。紋が同じだからまるで全員が親戚。上野村の人にとって10万というと結構大金になるのだが、それでも自然と人間の里における結婚式。みんなが楽しそうにやっていた。

会場からの質問に対して

国家がやるとよくない。評価のスパンが長いと馬鹿な民衆は置いておいて俺たちがやり20~30年後に認められればいいとなる。逆に短いと短絡的な評価を求めるようになる。

あっちのスーパーで1円安い、こっちでは別の物が安いと一生懸命になっているが、あれは健康法と割り切らない限り損している。確かに安いかもしれないけれども、それを検討する時間や移動時間の方がもったいない。それならどこで買っても一緒。

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2010年9月13日 (月)

第3回新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム 2日目

では、夜食の買い出しを終え、リラックスしてので、また気合いを入れて書き始めます。それぞれの分科会からの報告がありました。ちなみに自分は第六分科会で師匠の内山先生とご一緒したのでそちらは少し詳しくかけるかもしれません。

司会:山梨県庁 手塚氏、水産庁 長野氏

第一分科会 「草木染め」より報告
 子供たちと一緒に植物をとってきたのが始まり。仕事をやめた後も続けた。上野村ならではの近所づきあいがある。それから村の昔を知るようになった。上繭は(川を降りた先の)藤岡に売る。中以下は座繰り(糸を紡ぐ機械)して、平織りにした。その当時の座布団を今でも使っている。縦糸はぼろ糸、横糸はぼろ布をほどいて座布団を作った。玉繭のように2つつながってしまった物は、真綿にした。昔は染め物は藤岡で都染めといって化学染料を使って染めていた。最初は都染めをやっていたが、上流に住んでいるわけだから、川を汚してはいけないと焙煎液はすべて自然から抽出した物を使っている。草木染めの欠点。それは手間がかかること。それに植物が花が満開など一番いいときに使ってしまうことに心が痛む。命をもらって染めている。しかし、この欠点が未来につながる技だと思う。自然を楽しみ受け入れていくことが大切。

手塚氏:自分も絹織物に関わっていたことがある。手作業なので、どうしてもほつれや、色むらなどができる。大手百貨店に売り込んだときに、当時は欠陥率3%以内で納めろと言われた。製品の品質に問題というわけではなく、見た目によくない部位がどうしても10%位でてしまう。そんなわけでバイヤーにはじかれていたが、今はそういうのが趣があっていいと向こうから行ってくる。時代が変わった。

第二分科会 「竹細工」より報告
 3~4年目の竹がいい。強度が出てくる。1年目では若すぎる。そこが木工とは違う。木工だと30~40年くらい木が育つのにかかる。壊れても土に帰るのが自然からできた物の良さ。
 竹細工は竹を割くのが難しい。編むのは簡単。割くのに10年かかる。
 暮らしの中で使ってもらうことで技を残す。焼き物は90%近く国産と多いが、竹細工は少ない。ほとんどが外材。外材は壊れやすく、もろい、さらに水にも弱いという欠点がある。100円均一で使い捨てにするより、本当は長い目で見れば全然安い。
 ただ、若い人は食器の使い方すら知らない。今は使い捨てだし、よいのがわかっても使い続けていける自身がない。竹は一度ぬらしたら乾かさなければいけない。そうしなければ腐ってしまうことは昔は誰でも知っていた。しかし今の人はそういうことすら知らない。10年修行に耐えられる人も少なくなった。昔は男が習いに来ることが多かったが、今は女が多くなっている。
 経済効率は悪い。大量消費によって成り立つ。そういうことも考え直した方がいい。

第三分科会 「木工」より報告
 作ることもさることながら、売ることが大切。消費者の嗜好が多様化している。技が確かだから説明ができる。機械でできる仕事はしない。道具から自作している。木は一つ一つ生きているし、一つ一つ違う。
 経済的に豊かに暮らしていけなくても、明るく暮らしていければ、上野村に残るのではないか。昔は職人に弟子入りする人がいた。給料ももらわず技を盗んで独立する。

第四分科会 「狩猟」より報告
 熊取物語は人には伝えられないので省略する。昔熊は2~3年に1頭とれればよかった物が最近はよくとれる。1シーズン2頭なんてこともある。熊が里で歩いているのを見た。ハンターが少なくなっている。(これだけ見ているのに、)政府発表では熊が増えていないという。
 ハンターが少なくなる原因として、さらに銃規制が厳しくなる。犯罪があるとひとくくりに、規制されてしまう。そうすると地域の問題に対処できなくなる。そのうち1頭いくらとか補助金がつくようになるのではないか。

第五分科会 「和蜂 養蜂」より報告
上野村ではほとんど買う人がいない。しかし伝染病なども少ないから、飼いやすい。ただし、人工的に分家できないので、増やすのが大変な上、西洋ミツバチより小さいから蜜のとれる量も少ない。

第六分科会 「山仕事」より(これは報告に従わず、みえだメモです。)
 自分は頼まれて何千haとか切るのが仕事。全部一人でやる。
 自分がやり始めの頃は木を切らなかった。今の青木林業につとめ始めて、他の人が巨大なのこぎりで切った木を木馬(きんま・木製のそりのような物)に乗せて運ぶのが仕事だった。当時8寸くらいの木を切っていた。急なところはワイヤーでブレーキをかけながらおろしていけるから楽だったが、平らなところは人力で引っ張らなければいけないから大変だった。
 木を切ったら、木のつるとかで下から引っ張り出す。そして木馬に乗せられるところまで引っ張る。それは6~7年やった。
 その後自己流で木の切り方を覚えた。当時は広葉樹が多く、小さい物はチップとか箱材に使う。大きい木は製材して別の用途に使った。
 そのころは羽振りがよかった。1石1万だから、今の5~7倍。中卒で1日働いて350円もらえた。その当時まじめにためておけば、城が建っただろう。でも、みんな飲み歩いて使ってしまった。
 雑木樹林は評価が低かったので、こぞって広葉樹を切って、杉、檜を植えた。植えて大きくなる頃には外材が入ってきて売れなくなった。二束三文で売るなら、売らない方がいいとみんなそのままになっている。今考えておけば天然林にしておけばよかった。
 木は市場に出した。今の埼玉県児玉町と群馬県富岡市にあった。ユニック(クレーン)付き4t車を頼む。切るときは地主さんに許可とって。1本40~50万で売れたときもある。車に乗らないような長い8m位の木は、枝が伸びていると幹を傷つけるので、枝を落としたり、二叉に分かれるところで切ってしまう。
 里に近いところにはいい木がない。それに立派な木を持っている人は、その木に愛着を持っているから売ってくれないし、売る気がない。
 自分がチェーンソーで木を切り始めたのが昭和40年頃。当時の価格で13万くらいしたがすぐに回収できた。まだ周りでも持っている人がいなかったからおそわれなかった。木がさくさく切れるときはそれは楽しい。大きい木だと刃が木に巻き込まれて食い込んでしまうから、切れなくなってしまう。
 山仕事ならどこに倒してもいいが、(空師のような)町の仕事だと電線があったりするから難しい。山梨で頼まれたときも、電話じゃわからないからとりあえず見てみて、これなら切れるだろうと思ったから受けた。今でも難しい木を切るときは御神酒をあげる。
 股関節が痛い。左足の軟骨が3mmしかないと医者に言われた。でも手術したら今後大きな木は切れなくなるし。
 (村役場職員から)今Iターンで大卒が林業をやっている。日当7000~8000円最大働いて月24,25日、冬に雪が降れば仕事もできないので年200日+αくらいなので、月額13,14万円くらい。雨が降れば当然できないし、明るいうちしか仕事ができないから8~16時くらい。単身の村営住宅が1部屋1万、家族用でも3~4万円、インターネットが500円で使えるので、十分生活がしていける。さらに子供が3人以上だと村独自の子供手当が国の他にもらえる。今森林組合には40人くらいいる。
 上野村は間伐材を切ってもおろすのが大変な場所が9割なのでほとんど捨ててしまう。価格はちゃんとした木で1m3で1000円くらい。ここからトラックのレンタル費などが引かれる。価格が安いのでおろす手間もでないから間伐材だと捨ててしまう。木を切る人は今Iターンが多い。
 (内山先生より)土地の区分として国有林(よそ者)、吉本(佐久3000ha)、他はほとんど村内保有。
 (仲澤氏に戻り)自分が小学校の頃は山で移動製材していた。だからどこでも製材が作れた。
 その後はトロッコ+ガソリンカーで山奥からおろしていた。下りはブレーキだけで労力なくてもおりてくるし、登りはガソリンカーであげる。その昔は犬で炭を運んでいたところもあるようだ。犬にリアカーを引かせて。
 でも、今は炭焼き専門でやっていても炭が売れないからやらない。売れればあんなの手間だけですむからやる人がいっぱいいる。当時はこんにゃくが高く売れて、炭も売れるからよかった。
 (吉澤氏より)中国電力が古民家の修復をやっている。しかし古民家だから火に弱いと言うことで、オール電化にしてる。それもどうかと思う。

 (第六分科会全体討論)上野村はエネルギーを自給自足していけるはずだ。囲炉裏と薪が大切。そして「コンクリートから木へ」の転換。公共施設をコンクリートで建てているのがナンセンス。木で生活するようになれば、そこに製材や大工といった産業が生まれ、村が潤っていくようになる。村役場が率先してそういうことにお金を使わなければだめだ。

 (内山先生より)村の森を守る技もあるけど、仲澤さんのように特殊伐採できる人の技を都市に売り込むという方法もある。そして強い言い方だが、跡取りがいない人に発言権を与えない。今発言権が強い人は跡取りがいない人が多い。そうすると自分さえよければとなってしまう。跡取りが自分の子供でなくてもいい。ようはそれをつないでいける人なら。跡継ぎがいるからその子、孫のためにと100年スパンとかで物が考えられる人に発言権を与えていかないとよくなっていかない。

手塚氏:未来は昇降階段型ではなくてもいいと思う。螺旋階段型がいいのではないだろうか。上から見ると同じところくるくるしているようでも、確実に上に上がっている。
コンビニすら地域限定の物を作り始めている。今までは全国画一の物をPOSで管理し、売れる物を補充するというやり方から変わりつつある。

長野氏:私たちは自然の中で生きている。自然をいじることはおこがましい。都会は一人で何でもできると思ってしまう。

(全体討論)お互いの要望を取り入れた物作り。体験させることでその価値をわからせる。

 私たちは安い物を使うのがよくない。しかし、ホームセンターやコンビニなどをつい使ってしまう。
使う技術が伝わっていない。それは夜行列車で出て行った人の性。あの人たちはまだ、その技を持っていたが、子供に伝えなかった。
→竹細工職人の青木氏から
商売気はないが、消費を増やすことよりも、命を削って制作しているので、長く使ってもらいたい。100円均一のような安い物でも制作に当たってはその時間は人が命を削って作っているので大切に使ってもらいたい。
という言葉があり、みえだ自身はこの言葉を聞いただけで、山奥に行った価値があったと思うほどに感銘を受けました。(会場も大きく共感していました。)

 新たなる多数派と書いてあるということは内山さんも多数派でないことを認識しているということだ。しかし少数だからやめてしまうことなく続けていくことが大切である。是非村役場にはたとえ参加者が一人でもやめないでもらいたい。

締めの言葉(内山先生より)
 上野村にきて40年たつ。しかし上野村は飽きない。奥行きが深い。40年たっても知らないことがたくさんあり深い。そして人間の蓄積も深い。その2つがあるからこそ飽きないのだろう。これからの未来の力になるのではないか。
 今年は技でいこうかとなった。プロのトップの技。これは一人一人の技であって、弟子をとってもその人以降には受け継がれない。そして、プロまでは行かなくてもセミプロの技、素人の暮らしには役に立つ程度の技と技にもいろいろある。しかし素人の技を持つとプロの技のすごさがわかる。今回は職業としての技を持っている人を取り上げたが、生活の中の業師もいる。漬け物の達人とか。経済的に収益をもたらす訳じゃない。そういう物も入れると6つの分科会ではあと10年くらいかかるだろう。技は自分の労働に誇りを持たせる。技があると収益は厳しくても誇りを持てる。そして、新たな発見もあって仕事も楽しくなる。技を使って人々がつながっていく時代にこれからなる。人々がつながっていくための技もあるだろうし、間に道具などの物が介在するような技もあるだろう。
 技の世界は切れない結びつきを次いでいく。相互に結びつかないといけない社会になる。都会がなければ売れないだろうし、都会も田舎とつながりを持ちたいと思っている。イベント的な1回、2回の結びつきならば問題がないが、持続的な結びつきのためには技がいる。技があるから楽しいし、発見がある。技があるならしっかりと結びついていく。
 手塚さんが言うように10年ぐらい同じところをぐるぐる回っているだけかもしれない。でも10年後にはちょっとくらいあがっているかもしれない。
 今回やったのはよかった。技が何か確認できた。技を通してつながる世界をどう作るか再確認できた。
 上野村としてブランド化すべきだ。いわゆるバッグとかのブランドではなく、上野村からできる物はすべてブランド。自然も人もすべて。まねをしたいなら他の地域でもやればいい。そういう意味では上野村はいい線を行っている。技もあるし、自然もあるし、人もいいし、共同体も残っている。新しいブランド形成。
 始めの頃は輸入大豆でやっていた物が、国産大豆、今は村内産大豆で十石味噌を造っている。ちょっと高級なやつがそうだ。獣害があるから全量を置き換えるまでには至っていない。

 みんなで作る未来を遠くに見ながら・・・。

 そして、この後オプションの滝行を師匠と一緒に行いました。下の写真は滝行前にホラ貝を吹く師匠の雄姿です。滝をバックにとればよかったと後悔していますが、そちら側は人が多く構図取りが難しかったのでご勘弁。隣に子供もいましたが、大人10人くらいが一番水遊びではしゃいでいました。

Uchiyamatakashisyugendo

内山節 修験道スタイル

滝行して下界に戻ったなう。突然咳き込んで目がかすむ。やっぱり下界は空気が汚れているな。月15万で生活がなりたつらしいから移住してしまおうかな。

シンポジウムであまり寝ていなかったから(前は遠足前の小学生状態で眠れず、今日は酒飲んで熟睡できず)もう寝ていたらマンションやさんに起こされたなう。電気が消えている意味を考えてもらいたい。完全に空気が読めていない。せっかくマイナスイオンを浴びてリフレッシュしたのに既にストレス

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第3回新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム 1日目

また、群馬県と長野県の境の山奥に行ってきました。今年は群馬県庁職員に教えてもらった、峠のうどん屋藤屋さんに行ってから始まります。あまりのおもてなしの良さに、シンポジウムが始まる前からすでに満足してしまいました。この辺はつぶやきをご覧ください。

そんなわけで上野村。予定より早くついてしまってお目当てのうどん屋さんがあいていなかったのでドライブなう。国道なのに対向車とすれ違えないような山みち。くねくねはなれているが正直こんな細い道は嫌だ。わき水をくみたくてもともるところもない。電波もないからつぶやけないし。

天ぷらうどん

いよいよ本文ですが、例によってメモを元に再構成している上、時間がたっていますので、間違っていましたら申し訳ありません。初年からケーブルテレビが撮影しているので、YoutubeとかU-steramでながせといっているのですが、なかなかインターネットでは流れないようです。本当にもったいないと思います。入場無料なのですから。(でも、実は親睦が深まるのはテレビに映らない酒の席なので、参加しないと表面的な議論しかわかりませんよ。)

村長挨拶
 暑い中、村外からも多くの方がお集まりいただきありがとう。今年もお世話になるがよろしくお願いしたい。上野村は少子高齢化という重い病にかかっている。しかし20年以上かけて実施してきたことが実り、Iターンでようやく100人以上の若者が定住してきた。山村が生き延びて行くには山村の価値を認めてもらうことが大切。山村には山村の価値があり、都会には都会の価値がある。都会がよくなっていくわけではない。都会の方と上野村がよく打ち合わせをしてもらいたい。

主催者(おてんまの会)代表 黒澤さん
 お顔を拝見しますと、第1回からお越しいただいている方もいる。今回は「技が開く未来」というテーマで村内から手仕事の技を持った人にきてもらった。私は上野村に生まれたが、伝統の技に触れることなく過ごしてきたと自分でも考えている。今日こうして自分でも話を聞けることがうれしい。そこから日々の生活を見直していけたらいいと思う。

NPO法人ものづくり生命文明機構 中井財務省理財局計画官
 私は3回目の参加になる。母が上野村生まれ。今日は暑いので明日のオプションである龍神の滝に一足先に吉澤さんと打たれてきた。水量が減ってぬるかった。滝に打たれてすっきりとして、始められる。このシンポジウムが村と私たちの交流の場であることを楽しみにしている。村長の話は本当に重たい病気だと思う。そして、それは都市も、農村も、山村もかかっている。
 生きていくために、いろいろ作って食べる。環境との関わり方は心の持ち方だ。(欧米では)農業は自然を破壊する物だと思われがちだが、日本には棚田など美しい風景がある。
 山があり、里(村)があり、都市や石油コンビナートなどが下流にある。三層のピラミッド構造になっている。森の中にある山が頂点。価値観の原形は山村である。農業の里から出発した物が工業へと発展していく。自然との関わりをどこで取り戻すかが大切だ。それを確認することで日々の営みを確認していく。何はともかく、今日は十分交流を深めたい。上野村はなんと言っても水がおいしい。明日の滝行是非おすすめです。

司会:分科会で議論は深めていただくが、各分科会の代表村民から自己紹介をもらいたい。

第一分科会 「草木染め」 小倉八重子氏(工房る・ばば)
 上野村にきて19年目。草木染めを最初からやりたかった訳じゃない。最初は山村留学の子供たちのために仕事としてきた。上野村の自然、星がきれい、水がおいしい、そういうことを気づかせたいと、子供たちと一緒にやっていた。そして自然を相手に助け合う人々(村民)。
 8年くらいやって帰るつもりでいた。そうやって自然と触れるうちに草木染めを始めた。草木には未だにお世話になっている。染めに用いる宝庫。
 昔子供たちに言われた、おがる(地域)のばばあだから「る・ばば」。上野村は上流なので、排水には気をつけている。年金をもらっているから(商売に対して)甘いところはあるかもしれないが、こだわりは上野村でやっていること。

第二分科会 「竹細工」 青木岳男氏(でくの青木工房)
 涼を求めにきた人には申し訳ない。今年は例年になく暑い。竹は簡単。割って編むだけ。ただし、一人だから苦労することもある。手間のかかる効率の悪い仕事である。生産性は悪いが、エネルギー効率はいい。CO2はほとんど出さない。一流企業にも負けないエネルギー効率。エコが叫ばれ、(企業活動に必要な)エネルギー効率はあがっている。しかしそれは大量生産だから成り立つシステム。大量生産を支えるには大量消費があるからである。無駄に使うことを前提とし、その上でしか成り立たないエネルギー効率だ。
 皆さんが今日召し上がったおそば屋さんのざるは自分が作った物だ。そのほかに盛りかごや花かごも作っている。昔の技術を現代にアレンジしている。モナコ公国から招待があり出展したこともある。なんとそこでスペインの美術館に気に入ってもらい、現在は美術館の個人会員をしている。
 こだわりは群馬県産材を使っていること。寒暖の差が大きいと竹が堅くなる。強靱な竹を生かせる技術が必要となる。漆もなるべく地場産を使うようにしてる。中国産の漆が1万円/1kg、一方国産は8万円する。それなら自分でとることにした。そうやって地元の材料を使っている。
中澤正芳氏
 自分は青木さんのように立派な物を作っている訳じゃなく、遊びでやっているので特に説明することはない。
 昔はプラスチックがなかったからすべて竹に頼っていた。素人が始めたから青木さんみたいなプロの仕事はできない。暇しているよりもいいかと、ぼけ防止のために、百姓で使う腰かごとかを作っている。
 17歳の時に始めた。親類から教わった。教えてくれと行ったが最初はだめだった。どうしたら教えてくれるのかと聞けば、弟子になれば教えてやると言われたので、酒を持って弟子にしてもらった。
青木氏
 中澤さんの叔父さんから教わる予定だったができなかった。なぜなら、父が戦争から戻り、マラリアにかかっていた。皆さんご存じないかもしれないが、マラリアは症状が出る時間と、そうでない時間があり、症状が出ない時間は治ったようになる。それが夏の暑い盛りにでるので、村人からは畑仕事をさぼっていると思われた。だから、あんな遊んでいるやつの息子に教えることはないと言われてしまったからだ。小3で父から竹割りなたをもらう。勉強よりもむしろ竹細工の方がおもしろかった。

第三分科会 「木工」 今井正高氏(今井挽物工芸社)
 司会より:今井さんは近代木工のパイオニアでいらっしゃる。
 上野村の木工の歴史は30年。自分は23歳で役場に入る。当時の村長から上野村でも木工を始めると言うことで、その技を習得するために、村の職員として、2年間小田原に住み込んだ。その後10年職員としてやったが、フリーでやった方がいいと思って、昭和62年に自分で始めた。それから23年になる。自分でやっていくと大変なこともいろいろあった。特に販売には苦労した。
 みそ汁椀がよく売れる。木は熱の伝わりが遅いから、陶器と違ってさめにくく持ちやすい。日本人は昔から木との関わりが強い。
大野修志氏(木まま工房)
 自分はIターン。上野村にきて22年。上野村に田舎暮らしを求めてきた。親戚のつてもなくきた。村の人の親切のおかげで成り立っている。
 都会での生活がいやになった。生きている価値観がない。関東近辺の山は針葉樹林(主に植林で人工林)が多いが、上野村の魅力は広葉樹林が多く残っていること。今広葉樹林は少ない。それで上野村にきた。そのときお世話になったのが、今井さん。そして3年で独立した。やはり売ることが大変。そして継続していくことも大変。しかし、都会の販売会などを終えて帰ってきたときにほっとするのが上野村。
 今井さんは挽き物(ろくろで木を回転させて削って形を作る)だが、自分は玩具や家具などのいわゆる箱物を作っている。玩具は特に子供が使う物であるから安全性には気を遣っている。塗装剤や、角張っていないかなど。一番のこだわりはオリジナルであること。いろいろな木工職人が世の中にいて、いろいろな作品が世の中にあふれている。自分は多く売れなくても一人一人に会う物を作っていきたい。
 そして、値段が高いなどとよく言われる。それは自分にとってはチャンス。なぜならよく説明ができるから。待ってましたと思う。無垢の木は加工が難しい。だから加工するには技がいる。素人には作れないことを理解してもらう。見た目はそこそこで、安い物は長く使えない。いい物を長く使ってもらいたい。

第四分科会 「狩猟」 黒澤典久氏、黒澤一歩氏(黒澤食菌・親子)
 (父)自分はてっぽうぶち。農業でやっているのは現在うち1軒。上野村で農業で食べていくのは大変。狩猟は珍しいことではない。原始時代からやっている。でも一時の1/4にハンターが減ったから、鹿やイノシシが増えてしまっている。今、人工より多いのではないか。最初は楽しみだったが、今は義務。60軒の集落に昔は15人いたが、今は一人。遊びでもいろいろあるが、跡継ぎがいない。狩猟がなくなってしまうのではないかと心配している。
 すべてが難しい。仲間によく言っているのは安全指導。用のない時は弾を込めない。獲物であることを確認は徹底させている。しかしあまり厳しく言うといやになってしまうので、冗談めいて。
 上野村には現在9チームあるが、埼玉、東京、新潟、あちこちからも人が来る。役場の鳥獣の数値はあっていない。(違反だが、)ちゃんと報告していない人がいるのではないか。
 鉄砲のうまい下手は練習が必要なことだから、訓練すればいい。しかし法律が厳しくなった。実技があり、的に当たらないと免許が更新されないので、年寄りがやめてしまうのではないか。そうするとだいぶやめてしまうのではないか。
 (息子)上野村で育ち、高校は関西。卒業後埼玉の食肉加工所で2年勉強した。コンクリートで囲まれた生活に疲れ、退社を決意したが、一身上の都合ではやめられなかったところに、ちょうどよくオーストラリアへのファームステイが決まり、9ヶ月海外にいた。そこで人との交流や文化の違いを勉強できた。そして日本に帰ってきて16年がたった。村のいいところは若い人からお年寄りまで顔がわかる。いい意味でも悪い意味でも見られている。若い人には窮屈かもしれない。狩猟を始めたのが13~14年前。昔は1シーズンでイノシシ8頭、鹿2頭でたくさんとれた方だと思う。しかし、この10何年で年に鹿40頭もとれる。どこを歩いても鹿がいる。イノシシは多いときに比べれば減ったと思う。狩猟を始める前キノコ狩りや山菜狩りは好きでよく山に入っていたが、狩猟を始めてからこんなに大きい生き物がたくさんいるのかと思った。当時は何も知らずに山に入っていたが、今は怖くてうかつには入っていけない。
 自然と体が覚えた。鉄砲を初めて撃ったのはオーストラリア。勉強か(農場を荒らす)ウサギ刈りかどっちがいいかといわれて、勉強よりはということで始めた。だから鉄砲の扱いは向こうで覚えた。
 上野村で猟に初めて参加したのは犬を連れて撃たれた獲物を捕りに行く仕事を1年していた。地形もわからず、仲間に無線で聞いて、岩とかのかたちを教えて、案内してもらった。なんでこんなに目印のないところがわかるのか最初は不思議だった。それもだんだん一杯飲みながらの中で覚えていった。教わったというよりも自然と覚えたというのが正しい。

第五分科会 「和蜂 養蜂」 飯出八紘氏(上野物産)
 養蜂なんてどこでもできると言っても過言ではない。1945年におばる地域に生まれた。都会で15年生活していたが、、両親を見るためにUターンしてきた。何が仕事で何が遊びかわからないとよく内山先生に言われる。
 昔は西洋ミツバチをやっていたが、資材に金がかかる。そこで知り合いから和蜂を分けてもらって、一時期からしたこともあったが、現在は8群いる。内山先生のところでも飼ってもらっている。8月3日に熊がでたというので、すぐに引き上げてしまい今はないが。
 養蜂教室を開催したところ、20人くればいいと思っていたところを41名の参加があった。養蜂をやりたい人には巣別れの時に、分蜂してやろうかと思う。
 仕事でも遊びでもそうだが、すべて今やっている人がいなくなるとなくなり、衰退してしまう。だから都会の人でもやってもらいたいと思う。日本ミツバチは西洋ミツバチと違って温厚。もともと日本にいたわけだから、スズメバチへの対抗手段もあるし、病気や害虫にも強い。庭があれば都会でも飼える。
 日本ミツバチは手に入れるのが大変。一番の天敵は人間。集めた蜜をみんな持って行ってしまう。次が熊。木の空洞にあるやつも引き裂いて、きれいにとられてしまう。うちは幸い人に近いし犬がいるから、音がするとすぐにほえるので被害に遭わなかった。

第六分科会 「山仕事」 仲澤壮八氏(林業)
 今年の11月で満70歳になる。自分は山の仕事をする人間であって、こんなに大勢の前で話をしたことがない。山仕事大きく分けて2つある。1つは木を育てる。苗木を買って植えて、下草刈り。これが6~7年。木が大きくなると枝が張って草が生えなくなる。そしたら余分な枝打ちして、間伐して、伐採する。
 今は値段が安い。だから売る人も買う人もいない。平坦なら重機を使えるが、上野村は地形が悪い。重機使えるところが少ない。(人力では持って帰ってくるのが大変だから、)ほとんどの間伐材は切り捨てていて、もったいない。
 今は林業だけじゃなくて、高木とか特殊な仕事をやっている。(空師的な)むしろそっちの仕事をメインにやっていきたい。営林ならどっちに倒しても平気だから簡単。しかし家に近いと倒し方が重要になる。高いところに上っても平気な度胸と、技がないとできない。
 この前自分にしか切れない木があると頼まれて山梨に行った。そこは大きい楢の木が桜と松並木のちかくにあり、隣家も近い。そこでぱっと見て木をどうするか、どこにワイヤーでつるか、どこにチェーンソーを入れるかの判断が大切。

 この後分科会となりますが、それは翌日分としてまとめます。懇親会の前に温泉「じおじの湯」に伺いましたが、断水などのハプニングがあったり、例年通りものすごいおごっつぉ(ごちそう)でおもてなしを受けましたが、参加者得点とさせていただきますのでご了承ください。

 当日参加いただいた皆様には、上野村特産品の十石みそまんじゅうや、猪豚カレー、キノコ入り醤油・ドレッシングのお買い上げにご協力いただきありがとうございます。みえだは村民ではありませんが、かなり押し売りしていた訳で・・・申し訳ありません。

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2010年2月11日 (木)

善と悪

先日の松山で購入したヒーリングCDが届きまして聞いています。値段が値段だけに非常にいやされています。買ったときは高い出費と思っても、でも考えてみたらあの値段で仕事の能率が上がるなら安いものです。

ちなみに癒されるは自分ばかりではなく、お隣さんもいやされるようです。お隣さんには聞こえない程度の音で流していますが、なんとお隣さんのヒステリーがかけると収まり、かけないと激しく暴れています。不思議な物です。

聞きながら思ったのは、みんながこのCDで癒されていけば世界から争いがなくなるのではないだろうかと思いましたが、争いは決してなくならないでしょう。

争うということは善と悪が存在するわけです。自分にとって生命や財産など不利益をもたらすことが悪だとすれば、価値基準は個人であり、人によって違う自己中心的な判断しかできません。社会的ルールとされるものですら、その範囲が限定されているものであり、万人に適用できるものではありません。

人の歴史は繰り返しており、同じことを繰り返しているということはこれが完成した形態なのでしょうか。それとも進化にはまだ時間がたりないのでしょうか。同じことの繰り返しをしているということは何らかの意味があるのではないでしょうか。自然界は無駄なものは淘汰されていくわけですから。

悪がなければみんな幸せになれるのでしょうか。それとも悪があるから幸せを感じられるのでしょうか。

自分は人は無益な戦いをしている愚かな生き物だと思います。人間以外の生き物の場合、自分が生き子孫を繁栄させる最低限の生活を営むために、必要だからこそ戦います。しかし人間の場合は違います。自分の器を超える力を欲し、逆に自ら死を望むものさえいます。

人類が存在する意味は地球から見て何なのでしょうか。

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2010年2月 2日 (火)

世にも怪しい?道後温泉

 先日、またもお忍びで愛媛県にいってきました。職員旅行で広島に行った際に愛媛の離島まで入ったのですが、初の四国入りでした。(関連記事:2009/12/20サイン会のお礼

 今回の旅は予約したはずが、時刻表に飛行機の出発予定もなく、しかたなしに2時間後の次の便をとるところから始まります。急ぐ旅でしたら、困ったものでしたが、おかげでANAとJALのターミナルを両方ぐるぐるすることが出来ました。自分は飛行機自体よりも貨物の積み込みをまじまじと見ていました。なかなか裏方は見られませんから。

 そして道後温泉入りして主たる目的である、マイエンザ協会発足式に向かいました。菌や肥料の世界では有名なEM菌に似たような菌の組成を開発した曽我部さんの発足した会です。

 講演をまとめると、もともといる微生物の働きやすい条件を作ってあげることが大切。外から持ってきた菌で処理するわけではなく、元からいる菌は底の環境が適しているからこそ生息していられる。そしてえひめAI、えひめAI2、マイエンザはいずれもそれらの菌の栄養になる。原料は納豆、砂糖、イースト、ヨーグルトと食べられる原料で出来ているから安全。自分で安く作れるし、作り方が簡単なので、障害者福祉で作ってもらえる。

 実際の効果として、水質浄化、脱臭、環境浄化、農薬・化学肥料を使わない上質な野菜が出来る。何度も宇宙船地球号で取り上げられたそうです。(関連記事:2007/04/04 遊び

 自分が菌を専門ではないのもありますが、(仕事は微生物系なんですけど、未だに化学でわかるところしか理解できていません。)先行事例がたくさんあって、ちょっと一人あたりの講演時間が足りず、よくわからないところもありました。でも皆さん効果を実体験しているだけに、口では言い表せない何かを持っていました。

菌のことを詳しくはBS朝日 2月14日(日)、2月28日(日)午前11:30~の「菅原秋子の地球大好き未来便」をご覧ください。作り方は愛媛県産業技術研究所より

 そしてお世話になっている紹介してもらった松山ユースホテルに向かいました。自分にとって理解できないことは怪しいこととなってしまうわけですが、先ほどの菌以上に怪しさたっぷりの支配人でした。何しろ自分のことを大統領といって、しかも新手の宗教の勧誘かというような話を聞かされまして・・・。オーラとか守護神とか。

 初めはかなり警戒して話を聞いていたつもりですが、科学的根拠を示されたところから話に魅了されてしまいました。その前の懇親会で酒を飲んでいたので以下は記憶している限りですが

  1. 私たちは自分で自分の能力を狭めている。例えば金属は固くて曲がらないと思っているからだめである。疑わずに常識を取り外すと新しく見えてくる物がある。(注:常識は破るためにある
  2. 強く願えばその通りになる。水だって薬だと信じて飲んでいれば薬になる。だから否定的なことを考えてはだめだ。つらいときこそ、笑顔を想像する。(注:プラシーボ効果)
  3. 目に見える物、聞こえる物が全てではない。私たちの目や耳は感じ取れる範囲が決まっている。見えないからといって(超常現象などが)存在しないわけではない。
  4. 見えない物を認めることが大切だ。パソコンだって仕組みはわからなくても使える。意志の力を信じるべき。(注:意志にもエネルギーが存在し、それは量子論のエネルギーの不連続を連続に変える要素ではないかと考えている。)
  5. 人は他人を通じて自分を見ている。だから嫌な他人にあったとしても、それは他人が嫌なのではなく、自分の嫌な部分が他人を通じて映し出されているのである。
  6. 我々の体はストレス、活性酸素などで酸化している。だからミネラル水で還元してあげる必要がある。(注:ミネラルは金属であり金属が水に溶けるとアルカリ性になる。アルカリは酸を中和する。)
  7. 人間も光を出している。その光をうまく保護してあげる必要がある。(注:物質は外部からエネルギーを受けると励起して光を放出する。)
  8. 私たちは常に電磁波にさらされている。だからよい音楽で中和する必要がある。(注:逆位相の波・打ち消したいの波の周波数と逆の波によって中和することが出来る。)中和してあげると人間からでるよい電磁波・光がさらに人や動物を引きつける。

いくつかはみえだぶろぐ内にも関連記事があります。良かったらお探しください。

(注:)はみえだの科学的説明の補足などです。だいたい宗教的なうさんくさい説明をする方は、科学的根拠がないのですが、今回は違いました。そもそも昔は宗教と科学、医学などは紙一重だったわけですから。科学系の割にはこういう話を信じられるのは、そういうお師匠さんがたくさんいるからですね。(関連:2006/12/17 占い)みなさんだって学者の偉い先生が言えば信じると思います。それが一般人だと怪しく感じてしまうだけのことです。今回の方はかなり勉強されており、本棚には何冊も理系でも難しい本がありました。

疑う人もいると思いますが、疑っている間は自分は良くなりませんよ。ちょうどTBSの取材が来ていました。そのうち放映になるらしいです。見てみてください。

 あまりの居心地の良さにホテルで13時頃まで長居をしてしまいました。会うべくしてあったという感じですね。縁とは不思議な物です。こういうゆったりした旅をしたいと日々思います。東京などに行く出張は時間に追われていますから。

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2009年12月23日 (水)

我思うゆえに我あり

今年も年賀状のシーズンとなりました。おかげさまで先日のサイン会などもあり、ネタには困らないのですが、皆さんのおかげで生きているということを

「汝ありゆえに我あり」

と「我思うゆえに我あり」をもじって書こうかと思ってふっと考えてみました。我思うゆえに我ありとはどういう状態か。

自分が考えた方の「汝ありゆえに我あり」は意外と簡単で2009/08/15 何も考えていない?脳に書いたように考える対象がほかにあるから関係性の中で物事を考えることができるわけですが、「我思うゆえに我あり」は私が何かと考えることはそこに私という考える対象が存在するということです。

つまり考える対象である「私」は自分でもっているということになります。しかし自分を考える手法は持ち合わせていないのです。

そもそも考えるということが客観的事実で判断することであるとすれば、他人からみた自分は答えられるかもしませんが、しかしそれでは自分は何かといわれたら答えられないのではないでしょうか。(自分の性格などはあくまで他人が存在するから考えられるのであり、世界に自分しかいなかったとして、自分が何かといわれたら答えられないのではないでしょうか。)

自分とは何かは哲学では命題だと思います。しかしそれは哲学的な思想の元での議論だと思います。つまり尺度として「哲学」という考える手法が一つ定義されているから考えられるわけです。

自書ではありませんが「常識は破るためにある」まず考える手法を見直さないと答えが出ないことはたくさんあるのではないでしょうか。今までのことをそのまま続けているだけでは未来が迎えられない時代なのですから。

こんなことを考えていてサイン会の前日は眠れませんでした。

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2009年6月23日 (火)

残したい物は何か?

先日新潟県立環境と人間のふれあい館-新潟水俣病資料館-阿賀野川哲学塾に参加しました。内容は例によって三人委員会哲学塾ネットワークに掲載しますが、とてもいい旅でした。新潟は環境がいいですし、魚がおいしく、米もうまい。それに日本酒もおいしい。食べ物ばかりになっていますが、内山先生より後継者のご指名を賜り感謝しきれませんね。内山先生のお名前を汚さぬよう善処していかなければならないと思います。(出かけるまでは、おっくうでそんな遠いところにといつも思いながらでかけていますが。関連:2008/08/11 山奥での体験

さて、関係あるような無いような思うことを一つ記載します。

最後の晩餐で何を食べたいかという質問はありますが、明日人類が滅ぶとしたら何を残したいかという質問がされることはまずありません。我々が滅びても残したい物とは何でしょうか。

我々が認識できる古くから残っている物と言えば、化石や遺跡でしょうか。中にはオーパーツと呼ばれ、その時代では作れない高度技術が使われているところもあります。となると実際には我々現代人のいや、もっと高度な文明が存在し、彼らが知恵を貸しているのかもしれませんが、我々の文明ではあまりに高度すぎて理解できていないだけなのかもしれません。(実際にいるかは別として)

しかし現代の我々の情報は磁気媒体ですから残すことは難しいです。CD等に記録したとしてもせいぜい数十年です。それに呼び出すための機械も必要ですが、それも又故障したら使えなくなります。つまり我々の情報は遙か何千年後の後世に残しにくいわけです。我々の世界は継続し続ける前提で行っていますが、今思えば、当時の人々は残すべくして残していたと言うことになります。
もしかしたら何気なく吸っている空気、海に今より高度な技術で書いてあるかもしれませんが、我々には理解できないから遺産を壊しているかもしれない。

そもそも次世代に残すとは何でしょうか。もし我々人間という種が生まれ前に文明があり、すごい科学技術を持っていたとするが彼らは滅んでしまったとします。そこへまた人間のような知能を持った生き物が生まれ、地上のすべてを知り尽くしたような態度をとります。調べていくうちにどうやらこの物体には意味があるようだが理解はできない。そこである者が勝手に使い方を編み出し他もそれに従っていく。分かりやすく言えばノートパソコンを燃料に使うように。

我々は言語・記号なども含め、常にあるルールの中で生きています。しかしそのルールは永遠には伝承されることは少ないわけです。止まらないことを前提に世の中は進んでいますが、いざその伝承が止まると仮定して、後世の言葉もわからないかもしれない人達にどう残したらいいのか。同じ種の人間ですら古代文字は読めない。そもそも次に生まれてくる生命体は、視覚すらなく感覚器官は電波かもしれない。そしたら目や手で触れなきゃわからないことでは伝わらないことになります。

今さえ良ければいいという議論が多く、デジタルは瞬間に過ぎないわけですが、こうした遥か遠い世界を見越していかなければいけない気がします。私は今にきちんと遺産を残していたという意味では古代人の方が現代人よりよほど高度な文明だと思います。

点を線にする議論が今一度必要だと思います。そのためには我々も個ではなく群になるべきだと思います。

ダムは残したいものかという大熊先生の話を思い出しながら、(関連:三人委員会哲学塾ネットワーク 2008/10/21 水俣) 新潟の見渡す限りの田んぼを見ながら帰り、帰り際の雲から漏れる日が山にかかる美しさ。(運転中ですから実際には撮影していませんが関連:携帯写真館)日本のすばらしさを実感できました。(それを壊すバブル期のリゾートマンション。)都会というアミューズメントパークよりも、人智の及ばない自然の美しさを一般の方でも感じる人がもっと増えていただきたいこのごろです。

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2008年9月 8日 (月)

またもタバコ

世の中にはおもしろいというか、矛盾した物がいっぱいある物です。その一つが「たばこ」かもしれません。

健康によくないから、たばこをやめさせろというのは個人レベルならまだわかります。でも国家戦略としてそれをやり始めるとなんだかよくわからなくなってきます。

そもそもタバコを売っているのは日本国です。今でこそ株式会社であり民間企業?ではありますが、もともとは公社であり、結局は国家が運営しているような会社です。

たばこ税をさらにあげて単価を1000円にすれば買わない(買えない)から吸わないということ自体がそもそも信じられません。「JT株」急落させる、たばこ値上げ議連:@nifty。国家がやっているのですから、タバコは発売禁止とするといってしまえばそれまでなのですから。(民間企業がやっていることに口出しをできないと言えば変な理屈です。国家統制がかかっているのですから。)

また、タスポという新しいシステムをなぜ導入したのかも理解ができません。未成年の喫煙防止という趣旨は理解できます。しかしなぜ新しいカードが必要だったのか。実際免許証やそれが無くても住基ネットカードなど公的認証はたくさんあります。これを応用すればよかったのでは無かろうか。新しい物を導入する大きな目的としてはやはりお金でしょうね。自動販売機及び認証システムメーカーにとっては既存のシステムを使うよりいいわけですから。それにJTとしたら小さいたばこ屋に配達するより大きい会社に買い上げてもらった方が費用も安くつきますし。「タスポ特需」に沸くコンビニ 史上初7月売上げ2ケタ増:@nifty.

吸わないだけならまだいいですが、薬物に手を出したら目も当てられません。タスポ導入で広まる“大麻ビジネス”

そもそもタバコを存続させているのは税金が必要だからと言うこともあげられます。喫煙反対派の議論にはタバコが売れなくなったらその分の財源はどうするのかは全く検討されていません。じゃあ財源が足りなくなる分、自分の給料を使ってくださいという政治家は現在皆無ですし。それに禁煙補助剤という商売も成立しなくなります。そうなれば業界団体からの圧力またはお願い(お金)もきます。

結局俺がよければでは世の中は何一つとしてよくなりません。タバコに関して言えばみえだは分煙とゴミは回収するというこの2つを守れば共存できるのでは無かろうかと思います。(関連:2007/06/18 ゴミ拾いとたばこ)喫煙派と禁煙派がお互いに歩み寄るしかないと思います。たしかに喫煙者は吸わない人より多く納税しているのは確かですが、かといってマナーを守らないのは問題です。やっぱりみんなで生活しているのですから。

環境(みんなと生きる)と経済(自分で生きる)は相反するわけですが、この辺の議論は長くなりそうですので、又の機会にします。

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2008年9月 2日 (火)

最近の・・・

昨今新しいことをしたくてしょうがない衝動に駆られています。基本的に飽きっぽいので、同じ仕事をモクモクとこなすことは不得手ですし、そういうことができる人はすばらしいなと思っています。同じことを繰り返せるということはそれだけ根気があるということです。それに安定させると言うことはただ同じことをすればいいのではなく、適時修正を加えながら行わなければならないわけですから、臨機応変さも兼ね備えているといます。(関連:2008/02/18 不満がないのはいいことですが・・・2008/03/07 くまさん

あいつは同じことばかりでどうしようもないようなことを言う方もいますが、実際自分はできるのでしょうか?ある意味ではうらやましいのではありませんか?人に不満を言うような方はたいしたことがない証拠です。自分はできないことを批判しているのですから。

そんな話はさておき、最近自分でも何かしたくてしょうがないので、上野村以来何かしたいもしくは実際に計画を進めているといった方によくお会いしています。そういう時期なので、周りにもそういう人が集まってくるのかもしれません。縁というのは不思議な物です。(関連:2007/08/09 車検と鈑金修理2007/08/20 KOZYとのつながり

自分で言うのも何ですが、実際みえだは立ち上げの時期が一番楽しいわけで、安定するまでに他者を育て後は任せると言った手法を得意としています。まあヒトラーと同じタイプだそうですから、最終的にはおまえには任せきれん、おれにやらせろと言うことになりそうですが。(若造が得意だとかおこがましい話ですが。関連:2008/05/20 世界征服も大変だ)また、期限のない仕事はかなり苦手です。ぎりぎりはいつもいやだと感じながらも、プレッシャーを感じなければ全くやる気がしない自分がいます。

自分が最終的に願うことはみんなが幸せであればいいと言うことですが、幸せの尺度はそれぞれに違います。しかし生きる大切さを思い出してほしいのは確かです。どこかの国の王様のようにお金があれば仕事を与え、そこで生活をさせると言うことができます。でも自分のも生活もいっぱいいっぱいなのにそこまでの余力はない。難しいところです。

我々は結局は運命の輪から逃れられないのかもしれません。その中でもがき苦しみ。苦しまずにそれを楽しんだらいいのだと思います。自然にあらがわず流るる水のごとくです。(まあ、占いなどを見ると自分の基本性質が水だからこんなことを言っているのかもしれません。火なら活動的にということになるでしょうし。関連:2006/10/07 占い

最近お会いした方のお話を聞いて自分なりに共通点を見つけました。地域通貨(お金に替わる価値)としてなりうるのは「生きる」と言うことなのかもしれません。そもそもお金そのものが道具であり生きるためのツールなのですが、最近はお金を儲けることが目的になっている。(関連:2008/08/12 お金=悪?2008/08/15 sabaさんへ

 ですから「生きること」を主においた、コミュニティーが今求められているのではないでしょうか。まず大前提としてみんなで生きること(寝ること、食べること)を保証する。ある意味では江戸時代はそういう社会だったのかもしれません。(関連:2007/11/16 ガソリン高騰にはネオ江戸時代しかありません)相互扶助するわけですから人が必要な社会になるわけです。(関連:2007/03/02 機械と少子化と専門家)人と人は会ってしまえば簡単に分かり合えることが多いですが、電話やメールなどのコミュニケーションではなかなか通じないこともあります。最近あちこちで刺激を受けとても感化されています。やっぱり人に会うことは重要ですね。人は人の中でしか生きられないと実感します。

 例えば、生きることを再度思い出す教育(勉強ではない)を提供し、
そこから生まれた人が生きるために必要な物を生産し、
(休耕田を使うことで地域も活性化される。)
そこの野菜を使い外部の方にも食事を提供することで、外貨を獲得する。
そこからコミュニケーションが生まれ輪が広がる。
どうしてもお金という社会に戻りたい方は戻ればいいし、
お金に疲れた人はいつでも帰ってこられるようにする。

というように。(関連:2007/6/10 ネット難民よ 地方へ!!

 可能性は一つではありませんので、手法を一つにこだわる必要はないかと存じます。しかしある程度の方針立てをしなければ始まることはありません。その中での修正は必要ですが、漠然とこれがしたいのままでは、いつまでも計画止まりかもしれません。具体的にいつまでにこうしようと言うことは描かないといけません。

最近お会いしている方のブログをいくつかご紹介いたします。(上野村に参加された方でシンポジウムの記載がある方は2008/08/ 上野村からの伝播に記載)

  • ケダモノのすすめ
    砂漠の緑地化を勧めるレインメーカー・プロジェクトの代表のブログです。全身不随になり生きることに苦労をされた方なので、おっしゃることがとても深いです。
  • ゆいの家
    様々な情報発信・交換を提供するをする場「ゆいの家」の主催者のブログです。パソコンが苦手だそうですが、かなりの更新頻度です。全部に協力する必要はないし、できることをみんなで持ち合えばいいのだと先日言われまさにその通りだと思います。
  • 楽しいことが人生だ!!
    ゆいの家代表にご紹介いただきました。引きこもりの方の支援をされているそうです。自分は何もしないけど、理想ばかり子供に押しつける親が多く、そういう親に育てられると引きこもりになる傾向が多いようです。とりあえず手本をを見せることからとおっしゃっていました。

どうしても人は波長の合う方とばかりしゃべりがちですが、波長の合わない方の話を受け止めると(反面教師としてでも)そこで自分が成長する物かと存じます。まあ、同じ話でも聞き手と話し手の関係が変わると受け止め方は違う物です。好きな人ならわかるけど、嫌いな人は聞くきもないのでわからないみたいに。

どうも最近自分の本質に触れるような話らしく長くてすみません。自分を再考する時期に入っているんだと思います。そんな揺れている時期ですから、話が一貫していなかったら申し訳ありません。それでも読んでいただける皆様に感謝です。ありがとうございます。

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