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2012年11月の4件の記事

2012年11月26日 (月)

【イベント情報】第5回上野村シンポジウム申し込み

 上野村に移住してちょうど一年が経ちました。今日は雪でも降るんじゃないかと思うほど寒い我が家です。おかげさまで村民の皆様のご支援をいただき幸せに暮らしております。

 さて、例年上野村で開催され、私が移住するきっかけになりました「新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム」が本年度も2月2日(土)、3日(日)で開催されます。

 なお、今年は趣向を変えて、初日は全員で集まりません。内山節先生もどこにいるか当日の気分次第とのこと。上野村をご満喫いただいた上で、翌日それを持ち寄る予定です。
また、ちょうど節分であり、乃久里神社(のぐり)の節分祭がありますので、お時間に余裕のある方は是非ご参加ください。

 パンフレットなど詳細はこちらから。

http://otenma.exblog.jp/

シンポジウムに来られない方はネットでも二日目の全体会を配信予定ですからご覧ください。
でもバーチャルでは一番楽しい村民との交流はできません。

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2012年11月22日 (木)

エネ経会議 菅原文太さん基調講演

エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議(エネ経会議)で菅原文太さんの基調講演がありました。例によって当日メモより。

 今日ははかられた。吉澤さんに詳しく知らされていない。来てほしいからと言われてきたらこういう話になっている。のどが痛いからやめようかとも思った。スカーフを巻いているのはすかしているからではなく、のどを温めているから。

 日本には昔から百年河清を待つという言葉がある。でも1000年も2000年も前から川がきれいになったことは一度もない。関ヶ原の時は小さな川が真っ赤になったという話を聞いた。

 100年も被災地は待ってはいられない。川をきれいにすると言うより、政治をきれいにしなきゃいけない。くっついたり離れたり、離れたりくっついたり。うすみっともなくて見ていられない。

 一週間前に福島の中通りにある石川町に行ってきた。東北は、やくざな商売をやっているから歩いているけど、初めていったところ。初めて車で郡山から向かった。紅葉できれいな町だった。紅葉の姓だろうけど、どこへ行ってもこの時期はきれいに見える。運転してくれた役場の人が50km離れているので地上は線量が著しく高いわけじゃない。山は入ることができない。木を切ってはいけないと通達が町へ来る。今頃は木こりと農業と兼業で暮らしていた。郡山まで一時間半通っていたのだが、放射能で企業も逃げた。食ってはいけない。木を切って売れない。売ってはいけない。

 50~60kmでもそういうありさま。浪江など近くは人っ子一人住んでいない。最近NHKの番組に出ている。「日本人は何を考えてきたのか」という番組。そのとき一緒に歩いてくれた学校の先生。40年間反原発運動をやってきた。会津の来た方の小さなアパートに奥さんと暮らしている。お子さんは別に暮らしている。一年8ヶ月経つ。大きな地震も津波、大災害が押し寄せてから。

 東北の復興は何も進んでいない。どういうことなのか。さっき100年という言葉を出したが、今原発をぴたっと閉じたとしても、その後始末にどのくらいかかるのか。100年じゃすまないだろう。チェルノブイリは未だに200kmは住んではいけない。月の荒涼とした地面と同じ。日本はのんきすぎる。

 現地に行くと町長さんたちがおそれているのは、人の心が荒廃していき、それがますます広まっていくことが怖い。七割くらいの人が全国に散り、どこでどうやって暮らしているのかわからない人が半数以上。二本松に借りていたけれど、いつまでもそうやっていられないから、隣に掘っ立て小屋の役所を建てた。日本人の気持ちが風化していくのが怖い。浪江町や双葉町など、口を同じくしていっている。

 今日はのどの調子が悪いからさぼろうと思ったけれど、聞けば中小企業だけど原発に反対の人々ばかりですからといわれて、それじゃあさぼるわけにはいかんと思ってきた。

 今本当に国の体をなしていない。名前はわかるが言いたくもないような総理大臣。今日だって「この先も我々に政権を握らせてください。」とあのしょぼくれた顔を引き締めていっていたけど。

 これは私が言い出したことじゃなくて、「この状態は何とかせねばいかんよな。」と。にっぽんの・・・で焼酎と旨い物ばかり食ってもいられない。70過ぎたのばかりだから、「じいちゃん、いいことしてきたの?」と孫に言われて、何もやっていなかったんじゃね、大口たたいて生きるわけにはいかない。

 メディアもおもしろおかしくしてもらいたくないと言ったのに、常に「仁義なき戦い」がでてくる。あれは映画だよ。東映のみんなでやったこと。俺だけでやった訳じゃない。一緒にやってきた仲間も今は健さん一人になってしまった。あの人は俺より二つ上。すごい。今時あんな俳優はいない。仁義なき戦いを一緒にした人はほとんどなくなってしまった。

 自分も片足入っているくらいだから、ちょっとくらい何かいいことをしようと思った。酒も浴びるほど飲んでいたのをやめた。女房にやめろと言われて、かかりつけの先生にもあれだけ飲めば十分じゃないかといわれて。そして「牛肉もやめなさい」と言われてた。確かに食べさせているものを見るとさかなの養殖にしても、肉にしても抗生物質が大量に使われている。

 一度でも病気になれば全部殺す。何万羽も。放し飼いにしていれば8年くらいは持つのに。二年しか持たない。だんだん卵が埋めなくなってくるから処分される。

 農業法人を始めた頃、中学の同級生から突然電話がかかってきた。菅原なんて呼びつけにするから誰だと思っていたら、50年ぶりの同級生だった。卵をやるから取りにこいという。分けてくれるというので千葉まで行ってみた。窓のない薄暗い大きな建物。なんでこんな環境にしているのかといえば、これが一番卵を産むという。天井までびっしり8段小さなかごに詰め込まれている。えさはベルトコンベアーで常に送っている。

 出荷先をきいたら、スーパーにも持っていくけど、これはネット中継もしているから社名はあげないけど、○○マヨネーズに持っていく。社名は言わなくてもわかるだろ。日本は抗生物質を大量に使っている。よその国、アメリカやヨーロッパの40倍。

 確かに日本の医者はすぐにくれる。ちょっと熱があってなんていえば、すぐに出す。日本の医療の過ぎたるでも使われるだろうけど、多くはさかなの養殖や、牛、豚、鶏などに使われている。商売で利益追求するところで使っている。追求するあまり、他のことを忘れてしまう。命もそう。
 他によその国と比べてみると他にもあった。農薬。1963年からアメリカの7倍。ヨーロッパの6倍の量がアメリカから押しつけられてきた。アメリカから言われれば押すプレイでもごもっともとなってしまう。全部ごもっとも。

 アメリカだって飛行機で撒く。あの量はすごい。その7倍。そんなものを食べてきた我々。農薬を使っていることは知っていたけど、農薬や化学肥料を使わずにと自分の所は思っている。農水省の認可を取っているというJASだって怪しい。日本ほど情報を隠蔽する国はない。ここにいる皆さんはもう手遅れ。これからの子供たちのためにやめないと。わかってくれるのは犯罪。皆さん知らなかったでしょ?私も知らなかった。

 田んぼを借りたいといったら農協が低姿勢でやってきた。普通相場が1俵1万2千円くらいだが、菅原さんがやるなら1万5千円で買い取りましょうと。裏があるんじゃないかと疑ってはいた。物は試しでやってみることにした。ただし、下流じゃだめ。農薬に汚染されているから。南アルプスの取り口でやっている。

 農協が「菅原さんはじめの時はまずこの農薬。5月、7月になったらと4回くらい使う段取りになっている。」と説明に来た。そんなもの使わないと言ったら「困ります」と言われた。しかし「菅原さんがそういうなら仕方がない」とやけくそで事務長が帰って行った。

 周囲の田んぼはすごい農薬を使っている。昔田んぼの経験がある俺は一人貼り付けておいただけ。「草はあんまり気にするな。」といっておいた。ある時いもちが出たと騒いで、農協も大騒ぎした。小さな物だったのでほっとけと言っておいた。

 秋、周辺の田んぼはみんな倒れてしまったし、腐っているのもある。うちもだめかと思っていたら、1町歩のうちの9反歩は倒れていたが、うちの田んぼだけは平気だった。なにもしないで8俵とれた。なんでうちだけがと思っていたが、米の種類も昔の米を九州から取り寄せて使った。あまのじゃくだから。今の人はコシヒカリばかり使っている。始めるときに「農協がコシヒカリにしてください」と行ってきた。「俺が育てるのにしてくださいとは何事だと、俺が育てるんだから。」と従来種を探して育てた。

 次の年になってうちのやり方は正しかったので田んぼを増やそうと思っていたら、「菅原さんには貸せないと地主が言っている」と農協が言ってきた。地主なんか会ったこともないないのに。ついに貸してもらえなくなった。それが農業の実態。

 佐久病院のわかつき先生。農村地帯医療をずっと続けられてきた。50年書き記したノートにも農薬のことが載っている。その先生に聞いてみた。除草材の成分と何ですかと。そうしたら、成分の若干の違いはあるがアメリカが戦争の時に使った枯れ葉剤と同じ物と思って間違いない。そんなものが50年間も使われてきたのかと思うとぞっとする。ノーベル賞など化学の成果が取りざたされているが、裏側ではそういう化学肥料、種の会社が暗躍している。不思議だったのが、みんな枯れてしまうのではないか。稲とかは種そのものが農薬に負けないように作られている。今はF1。除草剤にも農薬にも負けないが、一代でしか種(しゅ)を作れない。

 「ふるえる石」を書いたあいばさん。元々は時事通信の記者だったが、足を棒にして書いた記事がその通り新聞に掲載されたためしがない。だからやめた。今は大スーパーで行われる牛肉偽装をおっている。殺人まで起こっている。くず肉を集めて、硫酸なんとかとかきくのも嫌な添加物で固めてしまう。そうするときれいな肉のステーキになるぐらい技術は発達している。

 ハンバーグは偽装社会ではぞうきんといわれている。100円くらいのハンバーグ。だいたい本当に作ったら100円じゃ作れない。もうそうなるとくず肉じゃない。大豆の絞りかすに硫酸なんとか、とかを大量に聞いただけでも恐ろしくなるくらい。それに肉の香料を混ぜて作っている。コンビニ弁当は安い。そんな値段で作られるわけがない。自分で作っているのを確認しなきゃ食べられない。日本の食品業界でこんなことがやられている。

 中小企業もピンキリだろうけど、良心が大切。もうけること、利益の前に良識。デジタルが肌に合わない。俺はフィルムの時代だから。デジタルカメラは何でもできる。女優のしわだって消せる。菅原さんもどうですかといわれたので、ふざけるなと断った。しわはしわ。お百姓さんの横皺縦皺を見ればわかる。そういうのが存在感。ドキュメンタリー見てみろ。昔は苦労してロケーションを探した。看板どかしていただけますかなど交渉もしてようやく作った。探すのも大変だった。今はCG。パッパと俳優が入るとできてしまう。これも偽装だろう。

 「いのちの党」最後に一つだけ言わせてもらいたい。そういう物を立ち上げたら政治と関わらないといけないと言われている。町村会で講演することがあったが、そういう地方で働いている人の代表者。そういう人に入ってもらってがんばる。村長さんが国家に出て行くとかが何年かごには出てくるかもしれない。

「命」
 

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2012年11月18日 (日)

【イベント情報】上野村在住の哲学者 内山 節さん と一緒に お正月用お餅つき大会

上野村在住の哲学者 内山 節さん と一緒に お正月用のお餅をつこう! !
昔ながらの杵と臼でお餅をついて本物のお餅でお正月を迎えよう!!

集合場所・時間:三岐学生の家10 時集合
            (お車はしおじの湯に駐車して下さい。)
          10 時半 餅つき開始 15 時頃終了予定
雨天決行

先 着:餅30 枚分(1枚あたり餅米2升使用)
要予約:12 月17 日(月)締切

昼食は地元料理(つきたてのお餅、あったかい豚汁など)を味わっていただき
食後は秘湯“しおじの湯” で入浴をお楽しみください。

参加費(当日集金)  ※ 小学生未満無料
  村外 1 人 1,500 円 (昼食料、しおじの湯入浴料、保険料、消費税込み)
  村民 1 人 500 円 (昼食料、保険料、消費税込み)
  お持帰りの餅1 枚につき 2,500 円(1 枚あたり餅米2 升使用)
  ※上野村民の方は、餅米の持込みも可能です。
   その場合、餅米を磨いで水に浸したものをお持ち下さい。(2升単位でお願いします) 餅代は値引きさせていただきます。

今年もやります! 上野村のケーキパーティ
餅つき後に持寄りのケーキパーティを開催します! !

今年はクリスマスイブということで、忘年会を兼ねてケーキパーティを開
催します。村内のお菓子づくりが得意なみなさんがケーキを持寄ります。
差入れも大歓迎です。 参加ご希望の方は、お申込の際にお伝えください。
参加費500 円 18 時終了予定

12 月23 日(日)、24 日(月)に宿泊をご希望の方はご相談ください。
村内の民宿、ホテルなどをご案内いたします。

内山 節(うちやま たかし)プロフィール
1950 年東京生まれ。哲学者。1970 年代に入った頃から、東京と群馬県の山村・上野村との二重生活をしている。著書に『「里」という思想』『怯えの時代』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『清浄なる精神』『共同体の基礎理論』など多数。NPO 法人・森づくりフォーラム代表理事など。上野村では畑を耕し、森を歩き、自然と親しみながら暮らしている。

主催:上野村、おてんまの会(上野村のボランティア団体)
お問合せ・お申込み 上野村 森の体験館(産業情報センター)まで
TEL 0274-20-7072 FAX 0274-59-2520

2012mochituki

餅つきは練りが7割、つきが3割ということで、ベテランさんの餅つきをご参考になさってください。

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2012年11月14日 (水)

豊かな上野村生活

昨年11月17日に住民票を移し、29日に引っ越ししてきましたので、もうすぐ上野村に来てから一年経とうとしています。

この間いろいろありました。来て早々テントウ虫とカメムシラッシュで二階中が埋め尽くされ、気温はマイナス十度以下。屋内水道管の破裂。二月の凍結による断水と。これだけなら上野村生活をあきらめたかもしれません。

自然は厳しかったわけですが、人は温たかった。水道が破裂したといえば駆けつけてくれるご近所。畑を作ってくださる大家さん。留守には畑を管理してくださるお隣さん。いろいろと良くしてくれる八百屋さんを始め皆様のお世話になっているおかげで生きていられます。

都市にいるとお金だけで関係が割りきれるのですが、上野村は違います。野菜をもらってお金を払ったら、たぶん次からもらえないでしょう。こちらは御礼のつもりなわけですが、「こっちがくれたいからやっているのに、金をくれるとは何事だ」と逆に怒られてしまいます。お金が関係性を割り切るためのツールであることを実感します。

また、ある時は鍵の閉じ込みをしてしまい、ご近所山の世話になったのですが、往復で一時間以上仕事の手を止めさせてしまったにもかかわらず、「困ったときはお互い様なんだから気にするな。変に気を使うと次からやってやらないぞ。」と優しく言ってもらえました。本当にありがたく感謝の日々です。

春になるとこんなに人が来るんだと驚きもしました。そしてお祭りやら町内の集まりやら消防団やら、青年団やらにも参加させていただき、毎週何らかのかたちで飲み会だった気がします。細かい話は20120731上野村生活を振り返ってにもいくつか書いてあります。

ただし、都市の人がいわゆる静かな生活をしたくてくるには向いていないかもしれません。関係性を楽しめない人には居心地の悪いところだと思います。村民は確かに優しいけど、自分から心を開こうとしなければ、村人も心を開きません。関係性がなければ生きていけない土地ですから。

上野村に初めてきたのは5年前。上野村シンポジウムがきっかけでした。そのご内山節先生を追いかけているうちに上野村を気に入りついに居着くようになりました。(関連:内山哲学カテゴリー

急斜面の山の中なので、本当に先人たちが苦労して作ってきた財産であることを実感する日々です。こういう財産は受け継がなければいけません。

しかしご縁とは不思議な物です。大家さんと東京で会っていたけれどもお互い全く知らずに家を借りることになります。しかも大家さんの親戚を私も知っていて・・・。その方に知り合ったのもまた偶然。偶然が重なり必然的に上野村にいる気がします。

自分の人生何度か収入が一度0にリセットされてきました。リセットする度に次は出世するのですが、ここ上野村で成功し定住していきたい物です。

纏まらない話になってしまいましたが、ツイッターを始めると、頭を使わなくていい簡単さから、あればかりになってしまいます。社会がお金で割り切る短絡的な構造になりつつある昨今。楽をしたいという欲求ばかりが取りだたされ、大事なことが忘れられてしまいます。人間は人間という関係性の中でしか生きられないのに、どうするんだろうと思ってしまいます。自分はこの関係性あふれる上野村にいるから関係ないというわけにはいきません。関係ないというのであれば都会の人と同じになってしまうわけですから。

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