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2012年7月の2件の記事

2012年7月31日 (火)

上野村生活を振り返って

筑波の学生にIターンの調査を頼まれたので、せっかくだからアップしてみます。

 上野村に引っ越して来たのが2011年11月29日。半年以上が経過しました。上野村は本当にいいところです。ツイッターでは流していますが、少し上野村生活を振り返ってみたいと思います。
 来た経緯は第1回の上野村シンポジウムでお話を聞くつもりが、パネリストとして参加させていただくというハプニングからです。そもそも群馬県民ではありませんから、西毛の上野村は知りませんでした。1回目の民泊で上野村の皆さんの暖かさにふれ、2回3回とくるうちに、気に入り定住を決意したと言うこともあります。
 家を借りられたのも偶然で、シンポジウムで知り合った役場の方に村営住宅のお願いをしていましたが、村営住宅は一杯で順番待ちでした。そこへ大家さんが別の方が借りるのになおした家がちょうど開いており、お借りすることができました。
 来たころはまだ肌寒いという程度で住みましたが、年を越すと外気温がマイナス10℃、断熱材が少ない家なので、家の中も似たような気温という日々が続き、春が待ち遠しかった気がします。
 回りの皆さんが、「おい、いるきゃぁ。」と声をかけていただいたおかげで、天神講や、どんどん焼きなど地域のイベントにも参加させていただけるようになりました。(さすがに突然ドアが開くとびっくりしますが。)暖かくなるとほとんど毎週日曜日はなんかのイベントで、地区対抗ソフトボール大会、バレーボール大会、かじかの里サマーフェスティバル、地区の清掃など、そしてその後のお楽しみ、懇親会。(我々の地区、野栗はどちらかというとこっちがメインです。)今週の日曜日は落ち着いていられるというような日がなかなかありません。
 最初はそんなにも時間を拘束されるのは大変と思っていましたが、出てみるとこれが楽しい。そんなこんなで青年団や消防団にも参加させていただくことになりました。消防団などは異例で通常、1年以内は出て行ってしまう可能性が高いので、1年は様子を見るそうですが、春の入団をお許しいただきました。
 上野村に来て思うのは、都会の人が思い浮かべる田舎の風景ではあるけれども、その生活はそうではない。上野村は地域により文化が違います。野栗地区は比較的Iターンなどで外の人が入ってきている実績があるので、外の人にも寛容というか消防団などはIターンなしでは維持できないので、ようやく認めてきたところがあります。あまりIターンが入っていない地区ではよそ者はよそ者。しかし地域の人のつながりは強いので、地区対抗イベントなどは本気で練習し優勝を目指す。また、別の地区ではイベントも本気だが、前夜祭、懇親会と飲み会がダブルでセットなどなど。村営住宅が密集するエリアでは、地域のイベントに参加しなくてもまわりがあきらめているけど、ここ野栗地区はでは事情がない限りは許されません。
 それでも自分はここ、野栗地区が好きですね。まわりの方もいい方ですし。畑を作っていただき、ジャガイモを植えていただき、畑の管理までしていただける。何かの時にはお裾分けも届く。まだ、真新しいと言うこともありますが、気に懸けていただけることがありがたいですね。
 上野村はいい人が多いし、自然も豊か。歩いていれば声をかけられ、何かもらえる。これは間違っていません。確かに関係性のある人はそう。ここで生まれればその瞬間から親、祖父母・・・と歴史がある。そこには受け継げる関係性があります。しかしIターンなど関係性がない人は、自ら積極的に声をかけて関係性を築くしかありません。地域のイベントなどに参加しない人はせっかく上野村に住んでいるのに、自然だけしか見ず一見で帰ってしまうようなキャンプ客と一緒でもったいないです。上野村は人材が財産なのですから。認めてもらいたいなら、まず自分が他人を認める必要があります。
 今でこそ前々村長の黒澤丈夫村長が定住者対策として雇用と住居を提供してきた政策が実り、村の維持にIターンが貢献できるようになってきたわけです。最初に入ってきた方は苦労したと思います。関係性の強い中に異物が入るわけですから。しかしそういう方たちの努力があるからこそ、今私たちが個々にいられることもまた事実であり、感謝です。
 師内山節先生曰く「上野村だって人口は常に流動的。嫁というかたちで外からの人は入ってきている。」まさにそうで、たまたま今はIターンというかたちでもてはやされていますが、上野村だって完全な地元民ばかりで構成されているわけではない。数代さかのぼれば外からの血が入っている。場合によればそこまでたどれないかもしれない。外から人が来ることで村民は外部の情報を知ることや、その友人、家族など新しい関係性ができていきます。
 上野村は昔、本当に陸の孤島でした。前群馬県知事小寺弘之氏の大盤振る舞いで、トンネルが抜けたりして外への買い物も楽になりました。それでも最寄りのコンビニまで片道30分、ホームセンターまで1時間かかります。だから、中央集権型都市に浸食されず、文化が残っていてすばらしいところです。お祭りなどは単なるお祭りではありません。後輩の指導を通じて、自治を学ぶ場でもあります。そして地域内で調達することで、地域の商店にもお金が落ちます。地域の商店ばかりが儲かるわけではなく、地域の商店は寄付というかたちでお金を供出するので、地域内でお金の循環する好循環型社会になっています。トンネルは便利かもしれませんが、地域からお金と人を流出させる原因にもなります。
 上野村の外にでたい人も仕事さえあれば、戻ってきたいと考えている人は多くいます。上野村は今環境が整っているので、実際にはやりたい放題なのですが、なかなか企業までする人がいないのも事実。人に勝てるほど上手であればどの商売でも成り立つのですから。親も上野村から出したところはあります。本当はIターンよりUターンにがんばってもらいたいというのが人情ですから。
 纏まらない話になってしまいましたが、上野村いいところです。関係性が嫌いな人には周りが干渉的だと思われるかもしれませんが、人間は関係性の中でしか生きられない生き物なのですから、こんないいところが残り、またそこに住めることに感謝です。

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2012年7月 1日 (日)

原発について

原発に関してはいろいろな方がコメントを出していますが、自分も見解を出しておこうと思います。

自分はもともと原子力発電所は不要だと思っています。何しろプロメテウスの火ですから。原発をすべて止めて、止めた後は貯蔵施設にすればいいと思っています。そして原発の廃棄物を処理するためにはエネルギーが必要なので、エネルギーをかけて処理をしたらいいと思います。

3.11までの原発関連の自分の記事です。

考えてみれば、原発に関しては我々はかなりの洗脳をされてきました。安全だし、1/3が原子力発電だから、原発とまったら電力が足りないと小学生から教えられてきました。はねるまでは大人に言ってもしょうがないから子供から教育していけと原発メーカーは騒いでいました。

さすがに今こんなことを言う人はいません。こんなことを言えばまず間違いなく袋だたきです。

日本人は東日本大震災の際に、暴動も起こさずすばらしいと世界に大絶賛されました。そんな日本人が原発反対に立ち上がる。これは由々しき事態です。

一方で考えなければいけないこともあります。使用しているのは電力会社の電気です。電力が足りないから原発を再稼働させなければいけないという理屈を助長しているのも私たちなのです。

デモはわかりやすい抗議です。しかし私たちが本来すべきことはそれでいいのでしょうか。デモで疲れてコンビニによる。コンビニやスーパーは冷蔵庫を止められないので、24時間電気を使う。結果電力会社を応援することになります。
また、私たちが家電を使って生活することも電力会社を間接的に応援することになります。

原発デモに反対する人は馬鹿だといったコメントをネットで出している人がいるようですが、確かに一理あるかもしれません。自分は電力会社を擁護していることに気がつかず、口では原発の反対をする。言っていることとやっていることが違う最たる例になってしまいます。

原発に反対する人は、まず自分の生活を見直しましょう。お金で解決できる問題ではないのです。今までの便利さ金で買う経済に協力すると言うことは間接的に原発を推進しているのと同じだということ!せめて自然エネルギーを使っているような会社の製品を購入した方がいいですね。

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