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2012年5月 8日 (火)

ローカルとグローバルとファシズム

 どうも皆さんお久しぶりです。ブログも書かなければいけないと思っていたところにお師匠さんから「ローカリズム言論」をいただきネタができたので書き始めます。

 今自分は群馬県上野村に越してきたわけですが、本当にすばらしいところです。水道管が破裂すればご近所が駆けつけて壁まで壊して直してくださり、下界に出かけている間に大家さんが庭に畑を作ってくださり、そこにはお隣さんがジャガイモを植えてくださる。そして米を買いに行けば、タケノコご飯をもらってくるなど、あげたらきりがありません。

 確かに最寄りのコンビニまで30分、冬季には気温がマイナス10℃だったりと、自然環境は厳しいこともありますが、だからこそ春の喜びがわかったりします。

 自分はずっと科学(化学)系にいたわけですが、(かがり火 144号参照)自分が求める問い「人はどうやったら幸せに生きることができるか」には全く役に立たないというのが勉強すればするほどわかりました。確かに原子力発電所の仕組みやデジタル回路の制御などは理解できます。でもそれは村にいると本当に何の役にも立たないことを思い知らされます。

 上野村は下の村ではないので山の中です。そうすると外にいる人はのどかな山間の風景を思い浮かべると思いますが、確かに見た目にはそうです。でも実際には違います。上野村の春は短いので、草木は一生懸命花を咲かせ、蜂は花々を飛び回り蜜を集め、ありも食料を貯め、鳥はさえずり相手を探し繁殖するのに忙しい。村人も祭りや農作業などに忙しいのです。暇なのは畑の知識も野草の知識もないので何の役にも立たず、ただそれを見つめるしかできない自分と観光客くらいのものです。

 蜂などを見ると都会の人は危ないとも思われるかもしれませんが、この時期は蜜を集めることに忙しいので、人間と戯れるような暇な蜂はいません。刺されたとすればよほど人間の側がちょっかいを出したので、じゃまにされたからでしょう。

 上野村は国家戦略の中で、田舎=遅れたところとされてきました。実際、そう未だに思っているご年配も多い。でも実は逆です。上野村は最先端を守り抜いてきたのです。国家にあらがったからこそ、今、山歩きツアーなどができるのです。そういう先人たちの苦労に感謝し、活かされていることを実感します。

 国が田舎を遅れた所としようとしたのには訳があります。一部の権力者が完全に統治できる国家つまり中央集権国家を作るために、田舎から都市へ人を集める必要がありました。当然国に頼らなくてもそこだけで生活が完結してしまう田舎の存在は目障りです。国家の管理下にすべてを治めたいが故、田舎より都市の方がすばらしいという幻想を抱かせ、田舎を否定し続けてきました。

 そんな支配者たち思いが功を奏し、今は国に頼らなければ何もできないうんざりとした都市ばかりになってしまいました。自分は今まで下界にいたわけですが、知れば知るほどこのままでは「都市が崩壊する。共倒れになる」と感じ、たまたま知り合った上野村に避難してきたわけです。本当に上野村はいいところですが、それだけに都市との共倒れだけはなんとしても回避しなければなりません。

 一時期、お金さえあれば何でもできると言っていた人がテレビに良く出ていましたが、それは国家が通貨を保証するという前提に成り立っています。国家が破綻すれば通貨はただの紙切れでしかありません。そうなっても上野村を始め、過疎地は生きていけるでしょう。しかし国家はそれを許さない。自分たちだけが豊かに生きていることをメディアを駆使して、全力で否定してきます。田舎が遅れた所でそんなところに住むのは野蛮だぐらいのステレオタイプでは許さないでしょう。幸い上野村は内山節派が応援に来てくれるので、理論武装できるから対抗できますが、他の地域は自立できる能力があったのに共倒れにさせられる危険があります。

 本来はこういうことを食い止めるために政治家がいるはずなのですが、皆さん学校で優秀に勉強をされてきたので、国家の洗脳の延長線上にいます。日本で地域のことを考えていた政治家は田中角栄くらいのものでしょう。賛否両論あると思いますが、それだけの仕事をしたのですから、それなりの対価を受け取る権利はあると思います。群馬なんか4人も総理大臣がでているのに、高速道路にしても新幹線にしても新潟のおまけで通っているようなものです。政治家の皆さんが思っている俺が国家を良くすると言うことが幻想なのです。「俺が」と思っているといつの間にか権力者によって支配されてしまいます。

 実際、自分も専門家であれと教育されてきました。だから学位が大切だと思ってきました。大卒で終わってしまったことにコンプレックスがあります。これだけ内山先生の話を聞いていれば論文出して博士もらえるのではないかと思っていました。最近ようやく実はそれは本質からはずれていることに気がつかされました。博士を取ることが目的になってしまっていて、本当は師匠の話を聞いて自分が何を考え行動するかの方が大切なわけです。

 この(権力者の暴走の)流れにあらがうにはどうしたらいいのかずっと考えていました。お師匠さんの本や説法を直接伺いながら思うのは、抗ってはいけないのです。大切なのは違いを許容すること。相手と自分は違う。まして自然は思い通りにならない。自然を制御できないのと同じように、人間だって完全には統治できません。我々は常に関係性の中で活かされています。関係性を意識した社会においてはすべての答えがおのずから導かれます。

 上野村の財産は「人」である。本当に観光だけで帰ってしまう人がもったいないと思います。今のうちから関係性を結んでおかないと、共倒れになってしまいます。

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