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2010年9月13日 (月)

第3回新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム 1日目

また、群馬県と長野県の境の山奥に行ってきました。今年は群馬県庁職員に教えてもらった、峠のうどん屋藤屋さんに行ってから始まります。あまりのおもてなしの良さに、シンポジウムが始まる前からすでに満足してしまいました。この辺はつぶやきをご覧ください。

そんなわけで上野村。予定より早くついてしまってお目当てのうどん屋さんがあいていなかったのでドライブなう。国道なのに対向車とすれ違えないような山みち。くねくねはなれているが正直こんな細い道は嫌だ。わき水をくみたくてもともるところもない。電波もないからつぶやけないし。

天ぷらうどん

いよいよ本文ですが、例によってメモを元に再構成している上、時間がたっていますので、間違っていましたら申し訳ありません。初年からケーブルテレビが撮影しているので、YoutubeとかU-steramでながせといっているのですが、なかなかインターネットでは流れないようです。本当にもったいないと思います。入場無料なのですから。(でも、実は親睦が深まるのはテレビに映らない酒の席なので、参加しないと表面的な議論しかわかりませんよ。)

村長挨拶
 暑い中、村外からも多くの方がお集まりいただきありがとう。今年もお世話になるがよろしくお願いしたい。上野村は少子高齢化という重い病にかかっている。しかし20年以上かけて実施してきたことが実り、Iターンでようやく100人以上の若者が定住してきた。山村が生き延びて行くには山村の価値を認めてもらうことが大切。山村には山村の価値があり、都会には都会の価値がある。都会がよくなっていくわけではない。都会の方と上野村がよく打ち合わせをしてもらいたい。

主催者(おてんまの会)代表 黒澤さん
 お顔を拝見しますと、第1回からお越しいただいている方もいる。今回は「技が開く未来」というテーマで村内から手仕事の技を持った人にきてもらった。私は上野村に生まれたが、伝統の技に触れることなく過ごしてきたと自分でも考えている。今日こうして自分でも話を聞けることがうれしい。そこから日々の生活を見直していけたらいいと思う。

NPO法人ものづくり生命文明機構 中井財務省理財局計画官
 私は3回目の参加になる。母が上野村生まれ。今日は暑いので明日のオプションである龍神の滝に一足先に吉澤さんと打たれてきた。水量が減ってぬるかった。滝に打たれてすっきりとして、始められる。このシンポジウムが村と私たちの交流の場であることを楽しみにしている。村長の話は本当に重たい病気だと思う。そして、それは都市も、農村も、山村もかかっている。
 生きていくために、いろいろ作って食べる。環境との関わり方は心の持ち方だ。(欧米では)農業は自然を破壊する物だと思われがちだが、日本には棚田など美しい風景がある。
 山があり、里(村)があり、都市や石油コンビナートなどが下流にある。三層のピラミッド構造になっている。森の中にある山が頂点。価値観の原形は山村である。農業の里から出発した物が工業へと発展していく。自然との関わりをどこで取り戻すかが大切だ。それを確認することで日々の営みを確認していく。何はともかく、今日は十分交流を深めたい。上野村はなんと言っても水がおいしい。明日の滝行是非おすすめです。

司会:分科会で議論は深めていただくが、各分科会の代表村民から自己紹介をもらいたい。

第一分科会 「草木染め」 小倉八重子氏(工房る・ばば)
 上野村にきて19年目。草木染めを最初からやりたかった訳じゃない。最初は山村留学の子供たちのために仕事としてきた。上野村の自然、星がきれい、水がおいしい、そういうことを気づかせたいと、子供たちと一緒にやっていた。そして自然を相手に助け合う人々(村民)。
 8年くらいやって帰るつもりでいた。そうやって自然と触れるうちに草木染めを始めた。草木には未だにお世話になっている。染めに用いる宝庫。
 昔子供たちに言われた、おがる(地域)のばばあだから「る・ばば」。上野村は上流なので、排水には気をつけている。年金をもらっているから(商売に対して)甘いところはあるかもしれないが、こだわりは上野村でやっていること。

第二分科会 「竹細工」 青木岳男氏(でくの青木工房)
 涼を求めにきた人には申し訳ない。今年は例年になく暑い。竹は簡単。割って編むだけ。ただし、一人だから苦労することもある。手間のかかる効率の悪い仕事である。生産性は悪いが、エネルギー効率はいい。CO2はほとんど出さない。一流企業にも負けないエネルギー効率。エコが叫ばれ、(企業活動に必要な)エネルギー効率はあがっている。しかしそれは大量生産だから成り立つシステム。大量生産を支えるには大量消費があるからである。無駄に使うことを前提とし、その上でしか成り立たないエネルギー効率だ。
 皆さんが今日召し上がったおそば屋さんのざるは自分が作った物だ。そのほかに盛りかごや花かごも作っている。昔の技術を現代にアレンジしている。モナコ公国から招待があり出展したこともある。なんとそこでスペインの美術館に気に入ってもらい、現在は美術館の個人会員をしている。
 こだわりは群馬県産材を使っていること。寒暖の差が大きいと竹が堅くなる。強靱な竹を生かせる技術が必要となる。漆もなるべく地場産を使うようにしてる。中国産の漆が1万円/1kg、一方国産は8万円する。それなら自分でとることにした。そうやって地元の材料を使っている。
中澤正芳氏
 自分は青木さんのように立派な物を作っている訳じゃなく、遊びでやっているので特に説明することはない。
 昔はプラスチックがなかったからすべて竹に頼っていた。素人が始めたから青木さんみたいなプロの仕事はできない。暇しているよりもいいかと、ぼけ防止のために、百姓で使う腰かごとかを作っている。
 17歳の時に始めた。親類から教わった。教えてくれと行ったが最初はだめだった。どうしたら教えてくれるのかと聞けば、弟子になれば教えてやると言われたので、酒を持って弟子にしてもらった。
青木氏
 中澤さんの叔父さんから教わる予定だったができなかった。なぜなら、父が戦争から戻り、マラリアにかかっていた。皆さんご存じないかもしれないが、マラリアは症状が出る時間と、そうでない時間があり、症状が出ない時間は治ったようになる。それが夏の暑い盛りにでるので、村人からは畑仕事をさぼっていると思われた。だから、あんな遊んでいるやつの息子に教えることはないと言われてしまったからだ。小3で父から竹割りなたをもらう。勉強よりもむしろ竹細工の方がおもしろかった。

第三分科会 「木工」 今井正高氏(今井挽物工芸社)
 司会より:今井さんは近代木工のパイオニアでいらっしゃる。
 上野村の木工の歴史は30年。自分は23歳で役場に入る。当時の村長から上野村でも木工を始めると言うことで、その技を習得するために、村の職員として、2年間小田原に住み込んだ。その後10年職員としてやったが、フリーでやった方がいいと思って、昭和62年に自分で始めた。それから23年になる。自分でやっていくと大変なこともいろいろあった。特に販売には苦労した。
 みそ汁椀がよく売れる。木は熱の伝わりが遅いから、陶器と違ってさめにくく持ちやすい。日本人は昔から木との関わりが強い。
大野修志氏(木まま工房)
 自分はIターン。上野村にきて22年。上野村に田舎暮らしを求めてきた。親戚のつてもなくきた。村の人の親切のおかげで成り立っている。
 都会での生活がいやになった。生きている価値観がない。関東近辺の山は針葉樹林(主に植林で人工林)が多いが、上野村の魅力は広葉樹林が多く残っていること。今広葉樹林は少ない。それで上野村にきた。そのときお世話になったのが、今井さん。そして3年で独立した。やはり売ることが大変。そして継続していくことも大変。しかし、都会の販売会などを終えて帰ってきたときにほっとするのが上野村。
 今井さんは挽き物(ろくろで木を回転させて削って形を作る)だが、自分は玩具や家具などのいわゆる箱物を作っている。玩具は特に子供が使う物であるから安全性には気を遣っている。塗装剤や、角張っていないかなど。一番のこだわりはオリジナルであること。いろいろな木工職人が世の中にいて、いろいろな作品が世の中にあふれている。自分は多く売れなくても一人一人に会う物を作っていきたい。
 そして、値段が高いなどとよく言われる。それは自分にとってはチャンス。なぜならよく説明ができるから。待ってましたと思う。無垢の木は加工が難しい。だから加工するには技がいる。素人には作れないことを理解してもらう。見た目はそこそこで、安い物は長く使えない。いい物を長く使ってもらいたい。

第四分科会 「狩猟」 黒澤典久氏、黒澤一歩氏(黒澤食菌・親子)
 (父)自分はてっぽうぶち。農業でやっているのは現在うち1軒。上野村で農業で食べていくのは大変。狩猟は珍しいことではない。原始時代からやっている。でも一時の1/4にハンターが減ったから、鹿やイノシシが増えてしまっている。今、人工より多いのではないか。最初は楽しみだったが、今は義務。60軒の集落に昔は15人いたが、今は一人。遊びでもいろいろあるが、跡継ぎがいない。狩猟がなくなってしまうのではないかと心配している。
 すべてが難しい。仲間によく言っているのは安全指導。用のない時は弾を込めない。獲物であることを確認は徹底させている。しかしあまり厳しく言うといやになってしまうので、冗談めいて。
 上野村には現在9チームあるが、埼玉、東京、新潟、あちこちからも人が来る。役場の鳥獣の数値はあっていない。(違反だが、)ちゃんと報告していない人がいるのではないか。
 鉄砲のうまい下手は練習が必要なことだから、訓練すればいい。しかし法律が厳しくなった。実技があり、的に当たらないと免許が更新されないので、年寄りがやめてしまうのではないか。そうするとだいぶやめてしまうのではないか。
 (息子)上野村で育ち、高校は関西。卒業後埼玉の食肉加工所で2年勉強した。コンクリートで囲まれた生活に疲れ、退社を決意したが、一身上の都合ではやめられなかったところに、ちょうどよくオーストラリアへのファームステイが決まり、9ヶ月海外にいた。そこで人との交流や文化の違いを勉強できた。そして日本に帰ってきて16年がたった。村のいいところは若い人からお年寄りまで顔がわかる。いい意味でも悪い意味でも見られている。若い人には窮屈かもしれない。狩猟を始めたのが13~14年前。昔は1シーズンでイノシシ8頭、鹿2頭でたくさんとれた方だと思う。しかし、この10何年で年に鹿40頭もとれる。どこを歩いても鹿がいる。イノシシは多いときに比べれば減ったと思う。狩猟を始める前キノコ狩りや山菜狩りは好きでよく山に入っていたが、狩猟を始めてからこんなに大きい生き物がたくさんいるのかと思った。当時は何も知らずに山に入っていたが、今は怖くてうかつには入っていけない。
 自然と体が覚えた。鉄砲を初めて撃ったのはオーストラリア。勉強か(農場を荒らす)ウサギ刈りかどっちがいいかといわれて、勉強よりはということで始めた。だから鉄砲の扱いは向こうで覚えた。
 上野村で猟に初めて参加したのは犬を連れて撃たれた獲物を捕りに行く仕事を1年していた。地形もわからず、仲間に無線で聞いて、岩とかのかたちを教えて、案内してもらった。なんでこんなに目印のないところがわかるのか最初は不思議だった。それもだんだん一杯飲みながらの中で覚えていった。教わったというよりも自然と覚えたというのが正しい。

第五分科会 「和蜂 養蜂」 飯出八紘氏(上野物産)
 養蜂なんてどこでもできると言っても過言ではない。1945年におばる地域に生まれた。都会で15年生活していたが、、両親を見るためにUターンしてきた。何が仕事で何が遊びかわからないとよく内山先生に言われる。
 昔は西洋ミツバチをやっていたが、資材に金がかかる。そこで知り合いから和蜂を分けてもらって、一時期からしたこともあったが、現在は8群いる。内山先生のところでも飼ってもらっている。8月3日に熊がでたというので、すぐに引き上げてしまい今はないが。
 養蜂教室を開催したところ、20人くればいいと思っていたところを41名の参加があった。養蜂をやりたい人には巣別れの時に、分蜂してやろうかと思う。
 仕事でも遊びでもそうだが、すべて今やっている人がいなくなるとなくなり、衰退してしまう。だから都会の人でもやってもらいたいと思う。日本ミツバチは西洋ミツバチと違って温厚。もともと日本にいたわけだから、スズメバチへの対抗手段もあるし、病気や害虫にも強い。庭があれば都会でも飼える。
 日本ミツバチは手に入れるのが大変。一番の天敵は人間。集めた蜜をみんな持って行ってしまう。次が熊。木の空洞にあるやつも引き裂いて、きれいにとられてしまう。うちは幸い人に近いし犬がいるから、音がするとすぐにほえるので被害に遭わなかった。

第六分科会 「山仕事」 仲澤壮八氏(林業)
 今年の11月で満70歳になる。自分は山の仕事をする人間であって、こんなに大勢の前で話をしたことがない。山仕事大きく分けて2つある。1つは木を育てる。苗木を買って植えて、下草刈り。これが6~7年。木が大きくなると枝が張って草が生えなくなる。そしたら余分な枝打ちして、間伐して、伐採する。
 今は値段が安い。だから売る人も買う人もいない。平坦なら重機を使えるが、上野村は地形が悪い。重機使えるところが少ない。(人力では持って帰ってくるのが大変だから、)ほとんどの間伐材は切り捨てていて、もったいない。
 今は林業だけじゃなくて、高木とか特殊な仕事をやっている。(空師的な)むしろそっちの仕事をメインにやっていきたい。営林ならどっちに倒しても平気だから簡単。しかし家に近いと倒し方が重要になる。高いところに上っても平気な度胸と、技がないとできない。
 この前自分にしか切れない木があると頼まれて山梨に行った。そこは大きい楢の木が桜と松並木のちかくにあり、隣家も近い。そこでぱっと見て木をどうするか、どこにワイヤーでつるか、どこにチェーンソーを入れるかの判断が大切。

 この後分科会となりますが、それは翌日分としてまとめます。懇親会の前に温泉「じおじの湯」に伺いましたが、断水などのハプニングがあったり、例年通りものすごいおごっつぉ(ごちそう)でおもてなしを受けましたが、参加者得点とさせていただきますのでご了承ください。

 当日参加いただいた皆様には、上野村特産品の十石みそまんじゅうや、猪豚カレー、キノコ入り醤油・ドレッシングのお買い上げにご協力いただきありがとうございます。みえだは村民ではありませんが、かなり押し売りしていた訳で・・・申し訳ありません。

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