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2008年8月12日 (火)

お金=悪?

自分が参加者だとなかなか客観視という物ができなくて困ります。上野村シンポジウムを若干振り返って気になることを記載します。

参加していた学生さん(一部←TBをいただいたので表記)は、どうもお金=悪という図式を描いているようですが、それは違う気がします。あくまでもお金は手段であるので、それが善悪につながることはないような気がします。貨幣とはよくできたシステムです。なぜならお金を使わず物々交換を等という話もありましたが、それは大変なことです。確かにあるコミュニティーにおいてはそれが成立できるかもしれません。しかし物々交換の大変さ、まず1つ目はそれぞれの物品に対して個別に価値を定めなければならないと言うことです。例えば米の価格として、金なら何g、野菜なら何個、労働なら何時間といったように。個数が増えればそれだけで大変な作業です。

また、もう一つの問題はこちらの方が重要なのですが、相手が自分の物をほしい場合は価格が決められますが、自分がもっている物を相手がほしくない場合は入手できないということです。この話は特に自分が新しいテクノロジーしか持っていない場合にはかなり大きく影響してくると思います。
例えばあなたが米がほしかったとして、自分は材木しか持っていなかったが、相手が鉄を要求したら交渉は決裂することになります。もしくはあなたは材木を鉄に変え、それで米をもらう必要が出てきます。これには(直接米をもらう場合に比べて)結構な労力と大きな交換手数料が必要になってきます。それにあなたがパソコンしか持っていないとして、その価値をわからない人では適正な価格かどうかも怪しくなってきます。あなたには米1俵分の価値があると思っていても、向こうは米1粒ぶんの価値もないと思うかもしれません。なにしろパソコンという物を知らないのですから。

そういう意味で共通の価値観である「お金」に換算することで交渉が容易になるわけです。原価20円の紙切れではありますが、それには金何g分の価値があるなどと国家が保証することで成り立つシステムです。つまりローカルマネーを成立させるためには、やはり誰かがそのお金は日本銀行券でいくら分の価値があると保証する必要があるということです。

そこでパネラーから多く意見が出されたのが、お金が問題になるのは、その価値が適正かどうかということです。安い高いではなく価値があるのか無いのか。価値がないと思わないからお金を払いたくないわけです。また、お金では計れない価値がありこれをどう扱っていくかが問題ということも共通の認識でした。これを間違えてお金がたくさんあることがいい悪いではないのです。

みえだは勝ち組負け組というくくりは好きではありませんが、標題にあげられておりましたので、少しふれようと思います。三枝が思うにですが、「自分が不幸な理由を他に求める人が負け組」。「自分が幸せだと思える人が勝ち組」だと思います。

立場や経験が変われば発言もかわってきます。今はこんなことを書いていますが、観客側や学生側にいたら批判していたかもしれません。現に学生時代はもっと人を傷つけるような意見をしていました。だから学生さんの言わんとすることも共感できます。しかし社会に出て思いますが、学生というのがいかに保護された空間であったかと。確かに学業(テクノロジー)は日進月歩であり大変かもしれません。しかし最低でも衣食住は保証され、学業だけしていればすむのですから、やはり楽な物です。経験に勝る勉強はなしです。

本題に戻りますが、みえだは相手の土俵で戦いたくないなら、自分の得意なことで優位に立てばいいと思います。相手に合わせようとするからつらいのですから、相手に勝ることだけで勝負をすればいいのです。相手の土俵で戦わないのですから、努力もすることはないですし、楽ちんな物です。しかし相手に対し文句を言ってはいけません。なにしろ同じ土俵で戦っていないのですから、相手とは平行な関係です。交わることがないのに文句だけ交わらせようとすることが大きな間違いなのです。相手に文句を言いたいなら、相手の立場に立ち同じ土俵で戦わなければいけません。さもなければ何事もすべて自分で行うべきです。文句とはあなたの敗北表明です。

究極を言えば人は自分の幸せの為に生きています。お金を稼ぎたい人、出世したい人、何もしたくない人、ボランティアをしたい人もみんな結局それをすることで自分が幸せになるからしているのです。

ただし最終的には我々は自然の一部なのだから自然に反することは長続きしません。他と自の境界をきちんと認識できることがパネラーから多く意見が出された多様性なんだとみえだは思います。

今日は安全祈り23年目慰霊登山=遺族や社長ら-日航機墜落事故 ということで上野村の皆さんはお忙しかったそうですが、数日前にもかかわらずシンポジウムでは大変よく準備がされており、感銘を受けました。何度感謝しても感謝しきれません。

毎度毎度長いブログですみません。最後までお読みいただきました皆様にも感謝です。

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